Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ヴォーン・ウィリアムズの「スズメバチ」を聴きながら、横浜から星川まで歩く

2007-10-31 05:58:46 | ヴォーン・ウィリアムズの作品
昨日は、横浜から星川駅まで歩いた。
その前の日に3時間半歩いたせいか、
からだが重く、少し疲れた感じであるので、
ここは無理しない程度のウォーキングの距離にした。

途中聴いた曲は、1872年生まれのヴォーン・ウィリアムズの曲。
グロスターシャー州のダウン・アンプニーという村で生まれた。
村のホームページがあるからのぞいてみるといい。
村にある小さなお店の営業時間をみると、
火曜から木曜日が8時半から16時半、
月曜と金曜が8時半から12時半、
土曜と日曜は9時から12時と書いてある。
毎日営業しているのは感心するが、
営業時間がいかにもイギリスの村らしい。
毎日で考えると確実にあいているのは午前中。
こんなことはイギリスの村ではよくあることだ。
(経営的には大変そうなのが村のホームページから分かる)

RCM(王立音楽大学)で、学んだ彼は、ホルストと親交を深めた。
ホルストが生まれたチェルトナムは同じグロスターシャー州にある。
チェルトナムは都市であるがどちらにしろ、ホルストと
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズは同郷人ということになる。
彼の主要作品は40歳代から書かれているので、
大器晩成型の作曲家ということになる。

アリストファネス組曲「スズメバチ」は劇の付随音楽だ。
古代ギリシアの劇作家アリストファネスは喜劇を多く残している。
「スズメバチ」は、当時の裁判を風刺した喜劇のようで、
不合理な陪審員たちをスズメバチにたとえているようだ。
つまり、彼らは誰だろうが関係なく刺すスズメバチみたいということだ。
ケンブリッジ大学の学生たちがこの喜劇を原語上演する際に、
付随音楽をヴォーン・ウィリアムズに依頼したということだ。
劇自体は1909年に上演されたが、
その中から5曲を選びまとめた組曲は、
1912年に彼自身の指揮で初演された。

この曲は以前にも触れたことがあるかもしれないが、
私の好きなヴォーン・ウィリアムズの管弦楽曲の一つである。
組曲は序曲、間奏曲、台所用具の行進曲、間奏曲、
バレエと終幕の場から成るが、とりわけ序曲が好きだ。
序曲の最初は「ブーン、ブーン」と飛ぶスズメバチを描写する。
そしてイギリス風の堂々とした行進曲風の一つ目の主題、
そして優しく語りかけてくる美しい二つ目の主題が続き、
この二つの主題によりソナタ形式により展開されていく。
特に二つ目の主題が心にしみてくるのである。
他の曲ももちろん魅力あふれる曲であるがこのくらいにしよう。

ところでその原題は「WASPS」であるが、
最初見たとき意味が分からなかった。
ホワイト・アングロサクソン・プロテスタントと関係あるのかを
考えてしまうのが、発想の乏しさであろう。
「スズメバチ」の意味であったことを知ったのは最近である。
なお、この劇は古代ギリシアのアテネを舞台としているが
音楽はそんなことはお構いなく、完璧にイギリス的である。
そこは付随音楽を作曲した当時のイギリス王朝のケンブリッジを
アテネに見立てたヴォーン・ウィリアムズの
一流のユーモアということなのだろう。
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アーサー・ブリスの「序奏とアレグロ」を聴きながら、二俣川から元住吉まで歩く

2007-10-30 06:38:39 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は、二俣川から元住吉駅まで歩いた。
西谷で梅ノ木交差点を左折してから羽沢付近を通過し、
環状2号線に入ってからはひたすら新横浜方面に歩き、
新横浜を通過してからは東急線の線路を越え、
綱島街道に入り、武蔵小杉方面に向かって歩く。
3時間半を目安に歩こうと思っていたので、
ちょうど3時間半だった元住吉で終わりにした。

途中聴いた曲は、1891年生まれのアーサー・ブリスの曲。
RCM(王立音楽大学)で、スタンフォードに師事し学んだ。
第1次世界大戦の時には従軍し、大戦後は作曲活動を開始した。
1920年代から1930年代に彼の名を世に知らしめる名曲が誕生した。
第二次大戦の時には英国放送協会の音楽監督に就任し、
1953年には王立音楽監督に任命されたようだが、
この時期あたりは新しい作品を作曲し、世に発表したようだが、
なかなか成功を収めることはできなくなったようだ。

「序奏とアレグロ」は1926年に作曲された。
序奏は重々しい感じで、しかし夕暮れの風景にはあう。
そのあとアレグロの部分になると、
映画音楽でも数々の作品を残したブリスらしく、
ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団のために
捧げた作品であるからか、華やかな音楽でカッコいい。
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アイアランドのロンドン序曲を聴きながら、二俣川から大倉山まで歩く

2007-10-29 08:59:56 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は、二俣川から大倉山駅まで歩いた。
環状2号線をひたすら新横浜方面に歩き、
東急線の線路を越えてから線路沿いの道を歩き、
大倉山駅付近まで出て、改札口に向かう。
二俣川からは2時間半近くかかった。

途中聴いた曲は、1879年生まれのアイアランドの曲。
彼は作曲家というだけでなく、優れたピアニストだったようだ。
アーノルド・バックスのように交響曲は作曲しなかったようだ。
14歳でRCM(王立音楽大学)に入学し、ピアノとオルガンを学び、
のちにスタンフォードなどから作曲も学んだようだ。
その後は大学でモーランやブリテンなどを教えたようである。

ロンドン序曲は1934年に作曲された作品である。
最初はコメディー序曲としてブラスバンド用に書かれたが、
2年後に管弦楽版として作り直され、
現在のタイトルがついたようである。
オーケストレーションの華やかな部分は、
アーノルド・バックスと似ていたりもする。
さまざまな主題が登場し、絡み合っていく。
5分前後にオーボエに登場する旋律が印象的だ。
最後に冒頭に登場した旋律がまた登場し、
華やかに終わるが、とにかくロマンティックな作品だ。

「忘れられた儀式」は、1913年作曲された最初の重要な管弦楽曲で、
1917年にサー・ヘンリー・ウッドの指揮により初演された。
彼自身何度も訪れ、生涯愛着を寄せたチャンネル諸島
(とりわけジャージー島)の風景や、
怪奇小説家のアーサー・マッケンが描く幻想的な作品の世界
などに霊感を得て書かれた作品のようで、
古い言い伝えなどに関心を持っていた彼らしい幻想的な曲である。
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ラッブラの「感謝のしるし」とヴォーン・ウィリアムズ、そしてファーナビー

2007-10-28 11:01:54 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は、台風による雨風が激しかったため、
ウォーキングは休みました。
今回とりあげるのは、1901年生まれのエドムンド・ラッブラの曲。
ノーサンプトンで生まれた彼の家は、労働者階級出身で、
決して音楽的には恵まれた環境にはなかった。
しかし、学校に入ってから作曲などをし始めたようだ。
RCM(王立音楽大学)では、グスタフ・ホルストなどに指導を受け、
ホルストは彼に給費生になるようすすめたようだ。
それほど、彼の経済環境は恵まれていなかったのだろう。
1933年にはフランスのヴァイオリニストと結婚したようだ。
また、第二次世界大戦の時には兵役に服し、
戦後の1947年にはローマ・カトリックに改宗した。
そしてオックスフォード大学から講師として招かれ、
その職務についたようである。

「感謝のしるし」はハドリーの場合と同じように、
ヴォーン・ウィリアムズの70歳の誕生日を祝して
BBCから委嘱された小品のようだ。
彼自身が書いたCDの英文の解説によると、
依頼を受けた1942年はラッブラが兵役に服していた時期で、
その時彼はウェールズの遠く離れた場所に配属されていたという。
しかし、そんな事情もあって1週間の時間が与えられ、
そこで小編成の管弦楽用にオーケストラーションをしたが、
その時は「序奏とフーガ風舞曲」と呼んでいたようだが、
確かに音楽の形式を正確に記したタイトルではあるのだが、
そんな小品なのに長いタイトルはどうかと考え、
70歳の誕生日の時ラッブラの作品をとりあげる放送番組の際に
「感謝のしるし」というタイトルに改めたようである。

ゆっくりとした序奏の部分は重苦しい感じもするが、
愛情をこめたようなやさしい旋律である。
そのあと管楽器により舞曲のような旋律が現われ、
それは繰り返されながら、盛り上がる。
そして最後は冒頭の序奏の部分が再現され、やさしく終わる。

ジャイルズ・ファーナビーのヴァージナル作品に基づく即興曲は、
交響曲第1番のフルスコアがパン出版された1937年のあと、
軽い感じの曲を作曲しようと考え、彼が興味を持っていた
16世紀の作曲家ジャイルズ・ファーナビーのヴァージナル作品をもとに
小編成のオーケストラ用に組曲として作曲したもののようで、
これはこれで、さわやかな感じの新古典派主義的な作品でいい。
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パトリック・ハドリーの「春の朝」を聴きながら、横浜から星川まで歩く

2007-10-27 06:07:35 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は、横浜駅から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1899年生まれのパトリック・ハドリーの曲。
彼は、RCM(王立音楽大学)で学んだようで、
作曲については、ヴォーン・ウィリアムズの影響を受け、
指揮法については、マルコム・サージェントや、
エドリアン・ボールトや影響を受けたようだ。
1925年には王立音楽大学のスタッフとして作曲を教えたようだ。
1938年からはケンブリッジ大学の講師の職を得て、
第2次世界大戦中は、バリス・オルドの代理として
ケンブリッジ大学音楽協会の指揮者、
音楽監督として活躍したという。
1946年にはケンブリッジ大学の音楽科の教授に選ばれ、
退職する1962年までその地位にあったようだ。

「春の朝」は演奏時間3分程度の短い曲で、
ヴォーン・ウィリアムズの70歳の誕生日を祝して
1942年に作曲された作品である。
イギリスの豊かな自然をうたった田園風の曲で、
鳥のさえずりが聞こえてくるような作品で、
デリーアスの音楽のように、穏やかで美しい曲である。
王立音楽大学の時にヴォーン・ウィリアムズに学んだ
生徒としての彼からの音楽の贈り物というところだろうか。
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