Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第8番ヘ長調作品93を聴きながら二俣川から三ツ境まで歩く

2008-12-31 15:15:49 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は二俣川から三ツ境駅まで歩きました。
この時期買い物をするにも多くの人でごったがえしている。
だから、歩く道にも結構普段よりも多くの人がいるので、
歩きづらくなるのだが、災害になると帰る道がどうなるかを
シュミレーションした先日放映の番組を思い出すと怖くなる。
普段歩きやすい道とはいってもいつもそうとは限らない。
途中聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第8番。
交響曲第8番ヘ長調作品93は、1811年から1812年の間に作曲された。
今回はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を、
テンシュテットが指揮したCDを聴いてみた。

第一楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオは、
堂々としながらも軽快な第一主題で始まるソナタ形式である。
簡潔なスタイルの音楽は、交響曲第7番と9番の間にあって
オアシスのようでもあるが、かといって技巧的にいえば、
展開部にみせる主題の展開も、素晴らしく思える。
最後まで躍動的で流れるような音楽は、
再現部を経てコーダに至っても、元気を与えてくれる。
第ニ楽章アレグレット・スケルツァンドは、
木管楽器が規則的に刻む一定の音型に乗って、
弦楽器が軽快な主題を奏でて始まる。
この弦楽器の奏でる旋律がテンシュテット盤では
即興的に聴こえて心地いい感じがする短い楽章である。
第三楽章テンポ・デ・メヌエットは、
宮廷的な華やかな感じの三部形式によるメヌエット楽章である。
とはいえ、古典的なメヌエットかというとそうではない。
その中にダイナミックな部分が従来のメヌエットと違う。
中間部のトリオは低弦楽器の奏でる伴奏的な音型に乗って、
管楽器がそれぞれ牧歌的な旋律を奏でて楽しい。
第四楽章アレグロ・ヴィヴァーチェは、
駆け抜けるような疾走感のある旋律から始まる。
主題と楽器の扱いに工夫が見られ、聴き手を退屈にさせない。
特に木管楽器(ファゴットなど)に打楽器的なリズムを刻ませ、
そういったところに興味深さを感じさせるのである。
最後のコーダの動機を執拗に繰り返すところも、
いやらしく聴こえないところがさすがベートーヴェンである。

それにしても今年も一年いろいろあった。
来年はウォーキングでどこまで歩こうかと考える。
そんなことを考える暇のない一年に、
なるかもしれないので1月中に新しい方面に
長い距離歩いてみたいものである。
今日はベートーヴェンの第九を聴くことにしよう。
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第6番ヘ長調「田園」作品68を聴きながら西谷まで歩く

2008-12-30 22:35:43 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
今日は朝から大掃除で忙しかったのである。
電子レンジの十年分の油汚れを落とすために、
重曹をお湯に溶かして雑巾につけて油の部分を擦り、
それでも落ちない場合はスポンジで擦る。
この方法がなかなかで、しつこい油汚れに効くのである。
中の油で汚れた壁面は結構ピカピカになるものである。
おっと、昨日のウォーキングのことを書かなければ‥‥。

昨日は、二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第6番。
交響曲第6番ヘ長調「田園」作品68は、
1807年から1808年にかけて作曲された作品だ。
高校時代に聴いたのがワルター指揮、
コロンビア交響楽団の演奏によるレコードであったが、
その懐かしい演奏をCDで聴いてみた。
それにしても自然を題材に交響曲を書いてみようとした
その発想は素晴らしいものだし、後世の交響曲作曲家の
どれだけの人が「田園交響曲」というタイトルの作品を
多く残したかを考えても影響は大であるといえよう。

第一楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、ソナタ形式で書かれ、
「田舎に着いた時の愉快な感情」という題が付いている。
このワルターの指揮するステレオ期のCDでは、
チェロやコントラバスの音がはっきりと聴こえてくる。
聴こえすぎかなとも思って、スコアを見ると、
ヴァイオリンなどと同じ音量の指定になっているから、
このぐらい聴こえてもいいのかもしれない。
この交響曲の場合は、弦楽器の配置は古典配置でない方が、
ヴァイオリンなど高い弦と、チェロなどの低い弦の音のやりとりが、
はっきり聴ける部分を、楽しく聴く事ができるかもしれない。
ウィーン・フィルを指揮した1936年盤を聴いても、
その低弦がよく聴こえてくるあたりは変わっていない。
低弦が歌うようにおおらかに演奏するところがいい。
ワルター盤の場合は提示部の繰り返しはなく、
そのまま展開部に入るが、低弦の動きが聴いていていい。
第ニ楽章アンダンテ・モルト・モートは、
「小川のほとりの情景」という題が付いている。
弦楽器がその小川のせせらぎの感じを出しながら、
ゆったりと田園風な中で、音楽が進行していき、
複数の木管楽器が絡み合っていくのがいいだけでなく、
コーダのところで小鳥のさえずりを模倣するのがいい。

第三楽章アレグロは、「農民たちの踊り」である。
ここだけが田園という自然の世界とは相対した
人間が住む世界の喜怒哀楽の世界であろうが、
それすらも自然の情景の一部に溶け込ませるところがいい。
中間部を経て、最初の舞踏の音楽が繰り返され、
音楽は嵐の到来を予感させながら、
切れ目なく次の楽章に入る。
第四楽章アレグロは、描写的な「嵐」の音楽であり、
嵐に対する不安と恐怖と、その脅威が、
ティンパニや金管楽器により強調される。
その嵐の雷鳴が遠くに去っていくようになると
クラリネットのソロで始まる第五楽章アレグレットとなる。
「羊飼いの歌と、嵐の後の感謝の気持ち」という題の終楽章は、
おおらかな自然に対する讃歌ともいえるこの曲は、
美しい堂々とした主題で始まり、もう一つの主題を絡みながら、
次第に様々な楽器に引き継がれながら盛り上がりをみせ、
壮大なフィナーレを形作り、平和に満たされた中で終わる。
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調作品21を聴きながら西谷から希望が丘まで歩く

2008-12-29 14:30:57 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は、西谷駅から希望が丘駅まで歩きました。
途中聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第1番。
交響曲第1番ハ長調作品21は、
1799年から1800年にかけて作曲された。
高校時代にはケンペがミュンヘン・フィルを指揮した
レコードをよく聴いたものであるが、
今回は最近買ったザールブリュッケン放送交響楽団を
スクロヴァチェフスキが指揮したCDを聴いてみた。

第一楽章アダージョ・モルトの序奏は、
威厳のある堂々とした感じで、ドイツ的である。
のどかな牧歌風の部分もあり、
遠くから聞こえる感じのホルンの吹奏がいい。
アレグロ・コンブリオの主部に入ると、
軽快で流れるような第一主題から始まる。
スクロヴァチェフスキの指揮による楽団の演奏も、
リズムを強調させるところを浮き出させ、
弾むようなテンポ感と強弱のアクセントがいい。
第ニ楽章アンダンテ・カンタービレ・コン・モルトは、
そもそもゆっくりとした楽章ではあるのだが、
スクロヴァチェフスキの指揮による演奏でのテンポは、
速めな感じであり、流れるように進んでいく。
第三楽章アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェは、
メヌエットの楽章で、ダイナミックな中に、
リズムの斬新さが目立つ部分がある。
中間部などののどかな感じは古風であり、
管楽器などの即興的に感じる演奏がいい。
第四楽章アダージョの短い主部を予感させる序奏を経て、
アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェの主部に入る。
主部の主題もいきいきとしており、軽快な旋律である。
スクロヴァチェフスキの指揮による演奏は、
そのテンポの軽快さと強弱のアクセントを際立たせて、
この交響曲の良さを十分に引き出している感じがする。
それにしてもこのCD、確か500円くらいで買ったはず。
指揮者と楽団の人には感謝したいが、
こんな安さでいいかと思うような気もしてしまう。
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55を聴きながら和田町まで歩く

2008-12-28 13:36:31 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は、横浜から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは、1770年生まれのベートーヴェンの交響曲第3番。
今回はクレンペラーの指揮によるCDを聴いた。
交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55は、
1803年から1804年にかけ作曲された作品である。
高校の時にレコードで買い、よく聴いていた演奏が、
クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団による演奏の盤で、
オーケストラの配置は、古典配置になっており、
新鮮な気持ちで聴いていた記憶がある。

第一楽章アレグロ・コン・ブリオの冒頭は、
主和音が2度鳴り、いきなり第一主題が登場する。
ソナタ形式で書かれた長大な楽章は、
主題の扱いも色々と工夫を凝らしていると思える。
ベートーヴェンが生きた時代にあって、
この曲は斬新さを持っていただろうし、当時の人々に
新たな響きの体験を与えたのではないだろうか。
第ニ楽章アダージョ・アッサイは、葬送行進曲である。
ロンド形式の楽章を、クレンペラー盤は淡々と演奏しているが、
それでも、ドラマティックな展開の場面はさすがである。
この葬送行進曲が誰のために書かれ、英雄とは誰かについての問いは、
高校時代に頃はナポレオン・ボナパルトとの関連でしか、
レコードの解説で書かれていなかったが、今は違う。
ナポレオンのドイツ進行に対して抵抗したプロイセンの王子、
ルイ・フェルディナントのことであるということのようだ。
そういう事実を知るとこの交響曲の聴き方も変わるものである。

第三楽章アレグロ・ヴィヴァーチェは、スケルツォ楽章で、
軽快に始まるこの楽章は、それまでのハイドンやモーツアルトの
交響曲にはない新しい響きとスタイルを確立している。
中間部トリオの狩りを思わせる3本によるホルンの吹奏も、
当時の人々から見ると、きっと新鮮聴こえたことだろう。
第四楽章アレグロ・モルトは、短い序奏に続いて、
主題をもとにした変奏曲形式で音楽は展開されていく。
その変奏を繰り返していく中で、曲は壮大さを増していく。
コーダの圧倒的な終わり方はいつ聴いても感動的である。
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第7番イ長調作品92を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2008-12-27 07:21:42 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
今日から年末にかけては、ベートーヴェンの交響曲を
様々な指揮者によるCDを聴きながらとりあげたいと思う。
途中聴いたのは、1770年生まれのベートーヴェンの交響曲第7番。
すっかり、知られるようになった交響曲であるが、
昨日はジェームズ・レヴァインが指揮をし、
ミュンヘン・フィルが演奏するライヴ盤のCDを聴いた。
交響曲第7番イ長調作品92は、1811年から1812年にかけて
作曲された作品で、中学生の頃に初めて聴いて、
すっかり気に入った交響曲であるが、
このライヴ盤ではオーケストラの配置は、
よく聴いてみると古典配置になっているようである。

第一楽章ポコ・ソスティナート-ヴィヴァーチェは、
長めの序奏部のあとでフルートによって主題が登場するが、
この序奏部の長さはそれまでの交響曲と比較すると
異例なほど長いという感じがする。
第ニ楽章アレグレットは昔何度も聴いた有名な楽章である。
その感傷的な旋律をこのライヴ盤は淡々と演奏する。
第三楽章プレスト-アッサイ・メノ・プレストは、
軽快に流れる旋律がなんといっても快い。
第四楽章アレグロ・コン・ブリオはフィナーレらしい
華々しい音楽であるが、ここでは弦楽器の古典配置により、
聴き手からみるとヴァイオリンの音が左右から、
交互に聴こえたりし、よく考えられていると感心する。
さすがベートーヴェンだなあと思わせる楽章なのである。
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