Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

レオ・ブローウェルのコロムナス市とサウメルの8つのコントルダを聴きながら西谷駅から二俣川まで歩く

2008-06-30 07:33:43 | 古典~現代音楽ブラジル・メキシコ以外の中南米編
昨日は西谷駅から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのは、1939年生まれのブローウェルの作品。
レオ・ブローウェルはキューバのハバナに生まれた。
CDの英文の解説書によれば、最初の音楽的なレッスンは、
彼の父フアン・ブローウェルと伯母のカリダ・メスキダから受けた。
伯父に作曲家・ピアノ奏者として有名なエルネスト・レクオーナがいる。
最初にギターのレッスンを受けたのは1953年からであり、
イサーク・ニコラに師事し、2年後には作曲法も学んだ。
その後アメリカに渡り、ジュリアード音楽院などで学んだようだ。
作風の初期はキューバの民族音楽からの影響がみられ、
キューバ革命後の1960年代から1970年代はポスト・セリエリズムや
偶然性の音楽などの要素を取り入れた作品などを作曲した。
その後は調性のある作品なども作曲するようになっている。

「コロムナス市」は2004年に作曲されたギターのための作品だ。
「コロムナス市」はハバナの愛称でもあるようだ。
6つの楽章からなる曲の第一楽章導入(クワジ・レント)は、
「ハバナの散歩」という意味の題が付いており、
1956年に作曲した初期のギター作品の一つである
「題名のない小品第1番」から採っているようだ。
冒頭の素朴なしっとりとした感じの曲と、
中間部の少し華やかでリズミカルな曲が対照的だ。
第ニ楽章「パンヤノキの樹とハチドリ」は、
ハチドリのせわしない動きを
トレモロ奏法によってうまく描写しているようだ。
第三楽章「サン・フランシスコの修道院」は、
修道院の前で一人ただすんでいるような穏やかな曲。
終わりの方では、第一楽章冒頭の旋律が再現される。
第四楽章「オビスポ通りに沿って」は激しい曲で、
前楽章とは対照的であり、テンポの速い活気ある曲である。
第五楽章「エル・モロ要塞の夜明け」は、
ゆったりとした感じで始まる曲。
第六楽章「アルマス(武器)広場の儀礼」は、
終曲にふさわしいリズミカルな曲で、
ギター奏者の高度な技術が試される曲だ。

「種子の旅」は2000年に作曲された作品。
アレホ・カルペンティールというキューバの作家の
エッセイの中からタイトルが付けられているようだ。
ミニアル・ミュージック的なところもあるが、
後半になると抽象的な音楽となり、少し難解な気がする。
しかし、そんな音楽を聴いたあとブローウェルの編曲による
1817年キューバ生まれのマヌエル・サウメルの
「8つのコントルダ」を聴くとほっとする。
やっぱり親しみやすいこのような曲の方がいいなあ。
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エイトル・ヴィラ=ロボスの弦楽四重奏曲第6番を聴きながら横浜から和田町まで歩く

2008-06-29 11:30:57 | 古典~現代音楽ブラジル編
昨日は横浜から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは、1887年生まれたヴィラ=ロボスの作品。
弦楽四重奏曲第6番は1938年に作曲され、
1943年11月30日初演された作品である。
ブラジル風バッハの第3番、5番、6番を作曲した同時期にあたる。
第一楽章ポコ・アニマートは、作曲者自身が語ることには、
ブラジル北東部のセルトン(Sertão)の音楽の
特徴的なリズムを利用しているということである。
照りつける太陽の中での雄大なブラジルの自然を感じさせる。
第二楽章アレグレットは、最初のピチカート奏法が印象的である。
生き生きとして弾むようなリズムは、軽快で心地よいものである。
第三楽章アンダンテ、クワジ・アダージョは、
暗く悲劇的なムードを漂わせながら始まるゆったりとした曲。
第四楽章アレグロ・ヴィヴァーチェは第三楽章とは対照的に、
生き生きとした明るい曲で、ポリリズムで書かれている。
ポリリズムとは、各声部によって拍の位置が違う音楽をいうようだ。
拍が一致しないリズムが当時に奏されることで、
奇妙なリズムに聴こえるようだが、
そんなことはあまり感じさせない軽快な曲だ。

弦楽四重奏曲第1番は1915年に作曲された。
第一楽章カンティレーナは歌うような旋律のゆったりとした短い楽章。
第ニ楽章ブリンカデイラは軽快でユーモラスな感じの短い楽章。
ブリンカデイラとは冗談という意味である。
第三楽章カント・リリコは、歌うような旋律の穏やかな曲。
第四楽章カンコネータも生き生きとした短い曲。
第五楽章メランコリアは哀愁を帯びた曲。
第六楽章サルタンド・コモ・ウン・サッシは、
素朴な踊りのような軽快な古典風の曲である。
跳ねる豆のように跳ねるという意味のようである。
この2つの間でも作風の変化は大きくみることができ、
第6番はよりブラジル色が強まっている感じで、
いかにもヴィラ=ロボスらしい曲である。
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ジレルマンド(ディレルマンド)・レイスの「もしも彼女がたずねたら」を聴きながら星川駅から横浜まで歩く

2008-06-28 05:49:30 | 古典~現代音楽ブラジル・メキシコ以外の中南米編
昨日は星川駅から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは、1916年サンパウロに生まれたレイスの作品。
彼は生まれ、ギター奏者(ヴィオロニスタ)として活躍した。
ブラジルではギターのことをヴィオロンともよぶようで、
だからギターの名手はヴィオロニスタと呼ばれるようである。
人生の大半をリオ・デ・ジャネイロで過ごし、
1941年から1975年にかけて数多くのレコードを録音したようで、
バッハやタレルガ、そしてバリオスなどの作品を録音する一方、
ポピュラー音楽の録音も残したようだ。

「もしも彼女がたずねたら-ワルツ」は悲しみに満ちた曲である。
伝統的なブラジル・ギターのスタイルで作曲されているようだ。
「約束-ワルツ」は夢見るような明るい音楽。
やはり伝統的なスタイルで作曲されたロマンティックな曲。
2つの曲ともにワルツであるのだが、
これを聴いていると、ショーロの音楽の世界を思い起こす。
「鉄弦ショーロ・ギターの偉人」とも言われているので、
ショーロとの関連性はないわけではなさそうだ。
こうなるとクラシックとポピュラーの境界線があいまいになる。
でもそんなことを議論する時間があるならば、
より多くの素晴らしい音楽に触れたほうがいい。
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ホルヘ・モレルの「風のミロンガ」を聴きながら横浜から星川駅まで歩く

2008-06-27 04:58:30 | 古典~現代音楽ブラジル・メキシコ以外の中南米編
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1931年アルゼンチン生まれのモレルの作品。
彼は7歳の頃から父親からギターを習い、
それからクラシック・ギターを本格的に学び始め、
そしてブエノスアイレスにあったエスコバルの学校で、
その技術を認められ、エスコバルと一緒に演奏するなどし、
その後エクアドルやキューバ、コロンビアなどで活躍し、
さらにはニューヨークに移り住んだようだ。
1961年カーネギー・ホールでデビューを果たし、
その後いろいろな場所で演奏活動を行い、
演奏家として名声を得た一方で、
自ら作曲したギターのための作品を発表し、
他のギター奏者も取り上げることで、
作曲家としても活躍し、有名になったようである。

「風のミロンガ」は哀愁を漂わせた短い曲である。
タンゴの前身のミロンガは、せつなく懐かしい感じでもある。
「小ラプソディ」は軽快で、リズミカルな冒頭部分と、
ゆったりとした中間部により構成される三部形式の作品であり、
ジャズの影響もみられる作品である。
「踊り ホ短調」は、哀愁を漂わせながら、
流れるような軽快な部分もある短い曲である。
伝統的なラテンアメリカの音楽のリズムと、
アメリカのジャズの要素を取り入れた、
彼のギターのための作品は、
ギターの魅力を十分に示している感じがする。
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マキシコ・ディエゴ・プホールの「南十字星」を聴きながら星川駅から横浜まで歩く

2008-06-26 09:29:46 | 古典~現代音楽ブラジル・メキシコ以外の中南米編
昨日は星川駅から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは、1957年生まれのプホールの作品。
ブエノス・アイレス生まれのブホールは、
ギター奏者で、作曲家でもあった。
「南十字星」は、単純な構造の作品であるが、
前半の孤独に星空を見ているような寂しい音楽と
後半の明るく軽快なところが対照的でいい。

「あるタンゴ弾きへの哀歌」は、「コンフセータ」、
「哀愁」、「エピローグ」の三曲からなる曲で、
ピアソラへのオマージュ(賛)となっている。
新旧の音楽を混ぜ合わせた世界を創り出し、
ミロンガの精神が音楽の中に生きているようだ。
タンゴにみられる哀愁とリズミカルでダイナミックな音楽を
ギターで聴かせてくれる曲である。
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