Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

カルミナ・ブラーナの「凍てつく時は去って(Tempus transit)」を聴く

2010-02-28 11:10:35 | 古代・中世・ルネサンス音楽その他の作品編
昨日も雨が強く降り始めたため、ウォーキングを休みました。
今回からは古代・中世からルネサンス音楽の中で
作曲者不詳の作品や復元・再現された音楽・曲集などを触れる。
今週はその中でカルミナ・ブラーナのCDのいくつかをあげながら、
その中の1曲について触れていこうと思う。
もちろんここでとりあげるカルミナ・ブラーナは、
カール・オルフ作曲によるものではなく、
ボイレン修道院から発見された楽譜から復元演奏したものである。
今回聴いたCDはルネ・クレマンシック指揮、
クレマンシック・コンソートの演奏による2008年録音のものである。

高校時代にクレマンシック・コンソートによるLPを買いあさり、
聴いた私にとって、この新録音は興味があって聴いてみた。
基本的な解釈は旧録音とは変わっていないところが、
ルネ・クレマンシックらしく、安心して聴くことができた。
昔のような荒々しさはないのは少しさびしいが、
軽快なテンポで洗練された演奏となっている。
「凍てつく時は去って(Tempus transit CB153)」は、
寒い冬から解放され、雪解けと共に春の到来を喜ぶ歌である。
花が咲き、鳥がさえずり、娘たちが踊る楽しい春の様子が歌われ、
高校生の時によく聴いた印象深い曲である。
長野の冬も長く、雪がいつ解けるか待ちわびたものである。
そんな状況もあって、よく聴いたのかもしれない。
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ギョーム・ド・マショーの「泉の歌(Le lay de la fouteinne)」を聴く

2010-02-27 09:20:57 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は風と雨が激しかったため、ウォーキングを休みました。
春の嵐という感じで朝から風が強く、夜は雨の多い一日でした。
さて、長く続けてきた中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編だが、
まだまだいろいろな作曲家はいるのだが、今回で終わりにしようと思う。
その最後を締めくくるのが1300年頃生まれたギョーム・ド・マショーである。
彼の略歴については、器楽曲・合奏曲編で触れたので省略する。
聴いたCDはトマス・ビンクレー指揮、ルネサンス合奏団の演奏のもの。

「泉の歌(Le lay de la fouteinne)」は、13世紀から14世紀後半にかけて
作曲されたレーと呼ばれる歌曲のスタイルで書かれた作品である。
その詩形は、いくつかのスタンザ(節)から構成されるもので、
ここでは12節からなる作品に仕上がっていて、
偶数節は3声のカノン、奇数節は単旋律で歌われる。
3声によるカノンの作り出すハーモニーの美しさと、
流れるような単旋律の歌という対比的な音楽を
12節の中で構成しているところが凝っていて聴いていて楽しく、
ギョーム・ド・マショーの偉大さを感じさせる作品の一つである。

なお、今回までとりあげた中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編の
CD等の情報は、以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/renaissance_vocal_music_cd.html
参考にしていただければ幸いです。
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F.アンドリューの「武人たち、恋人たち‥‥/おお、あらゆるメロディの華」を聴き西谷から三枚町まで歩く

2010-02-26 04:31:03 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は西谷から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは14世紀後半に活躍したF.アンドリューの作品である。
フランソワ・アンドリューと表記されることもある。
彼はマショーの死を悼むバラード1曲のみで知られる作曲家で、
彼の生涯について詳しいことはわかっていない。
マショーの弟子であった可能性はあるが、それも確実ではない。
聴いたCDはデイヴィッド・マンロウ指揮、
ロンドン古楽コンソートの演奏のものである。
「武人たち、恋人たち‥‥/おお、あらゆるメロディの華
(Armes,amours-O flour des flours)」は、2重バラードで、
歌詞の内容はまさしく偉大な音楽家マショーの死を悼む歌である。
歌の旋律は宗教曲的な雰囲気を感じさせる素朴さがあり、
重なり合う2つの声部の歌詞はそれぞれ違うが、
「貴ときうたびとマショーの死を」という
最後の一行のところは同じとなって終わる。
そのマショーの名を歌うところは、悲しい感じでもある。
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ウィリアム・ニューアークの「行けば行くほど遅れてしまう」を聴きながら三枚町から西谷まで歩く

2010-02-25 05:31:14 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1450年頃に生まれたニューアークの作品である。
CDの解説によると、彼はイギリス中部のノッティンガム地方出身で、
1475年には王室礼拝堂のメンバーとなっているようだ。
ばら戦争終結後は、ヘンリ7世に仕え、歌曲を作曲し活躍したらしい。
聴いたCDは、ブルーノ・ターナー指揮、
プロ・カンティオーネ・アンティクヮの演奏である。
「行けば行くほど遅れてしまう(The Farther I go,the more behind)」は、
自分自身の不遇さを歌うような歌詞の内容に合わせて、
迷走するかのように旋律とリズムがゆれながら、
歌は重なり合い、美しいハーモニーとともに曲は進行していく。
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リチャード・デイヴィーの「ジョーンは病気」を聴きながら西谷から三枚町まで歩く

2010-02-24 05:41:48 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は朝方西谷駅から三枚町まで歩きました。
夕方は片倉町から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは1465年頃生まれたリチャード・デイヴィーの作品である。
彼はオックスフォードのマグダレン・カレッジのオルガン奏者として、
少なくとも1490年から1492年の間は務めていたようである。
1497年から1506年にかけてはエクゼター大聖堂に移り活躍していたようだ。
聴いたCDはマーク・ブラウン指揮、
プロ・カンティオーネ・アンティクヮの演奏のものである。
「ジョーンは病気(Joan is sick and ill at ease)」は、
バラッド風の曲で、3声部によって歌われる。
歌詞の内容からみるとここでいう病気とはどうやら恋の病のようである。
2拍子でゆったりと歌われる旋律は絡み合いながら、
可愛い恋人にぞっこんになってしまう善良なジョーンの、
あわれな状況、そしてその嘆きを歌っていく。
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