Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

トゥビンの交響曲第4番「叙情」を聴きながら、都賀からみつわ台まで歩く

2007-04-30 05:39:44 | 古典~現代音楽バルト3国編
昨日は千葉県の都賀に行ったので、
都賀駅からみつわ台まで往復で歩いた。
みつわ台はモノレールがはしる駅である。
駅から近くには地酒販売のシマヤ(島屋)があり、
途中そこによってみるとたくさんの品揃えに驚いた。
秋田の刈穂の純米酒を思わず買ってしまった。

昨日歩きながら聴いた曲はトゥビンの交響曲第4番「叙情」である。
1905年エストニア生まれの彼は、
ソ連が1944年9月にエストニアに侵攻してから、
家族と共にスウェーデンに移住するのだが、
この第4番の交響曲はエストニアにいた時期の1943年に書かれた。

第一楽章から民謡によると思われる旋律が奏でられ、
平和で田園的な世界が表現される。
でもそれは何か先行きに不安を思わせ、
迫り来る将来を予感しているような印象を与える。

第二楽章の最初に登場する主題は印象的である。
躍動感がありながらも、幻想的で、
叙情的というタイトルにふさわしく繊細である。

第三楽章も叙情的な世界であり、
弦楽器が奏でる旋律は甘美であり、
木管楽器の牧歌的な感じが合わさる。
また、最後のソロのヴァイオリンによる演奏が、
幻想的な世界を作り出している。

第四楽章は最初から民謡的な主題が奏でられ、
金管楽器も加わり、サウンドに厚みを加えていく。
途中のフルートから始まる木管楽器による音の絡み合いがあり、
再び弦楽器中心に映画音楽的な旋律が奏でられる。
最後は弦楽器を中心に金管楽器がそれに厚みを加え、
堂々としたフィナーレを形づくる。

エストニア政府がソ連戦勝記念碑を撤去したことで、
エストニアにいるロシア系住民が反発し、
4月26日・27日にタリン市内で警官隊と衝突したという。
エストニアとソ連との関係は1944年の侵攻によって
双方の歴史の中に消しがたい記憶を作っている。
その傷は今もお互い癒えていないないのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただものならぬステンハンマルの交響曲第2番

2007-04-29 05:24:53 | 古典~現代音楽スウェーデン編
昨日も横浜から鶴ヶ峰まで歩いた。
二俣川まで歩くつもりではあったが、
鶴ヶ峰付近で雨が降り始めたため、鶴ヶ峰で電車に乗った。

昨日歩きながら聴いた曲はステンハンマルの交響曲第2番である。
1871年スウェーデン生まれの彼は、
ラングストレムと同じ頃に活躍した作曲家で、
ロマン派らしい作風で、シベリウスの影響を感じる。

1回この交響曲を聴いた時にはあまり印象が薄かったが、
改めて聴いてみると北欧らしい魅力のあふれた音楽であることが分かる。

第一楽章の弦楽器や木管・金管楽器の扱い方をみると、
シベリウスの交響曲から影響を受けていることが感じとれる。
もちろん旋律からしてスウェーデンの民謡などを使っているらしく、
典型的な北欧音楽の魅力あふれた楽章である。
ロマンティックでありながら、それに溺れることなく、
主題をもとに展開を行い、曲の構造はしっかりしている。

第二楽章のアンダンテもしみじみと心に浸みてくる音楽である。
素朴な民謡の旋律を変奏曲的な手法も使い、展開している。

第三楽章のスケルツォの主題も民謡的な舞曲で、
北欧らしい魅力にあふれている。
中間部のトリオの室内楽的な響きと弦楽器全体とのかけあいもいい。
なんとなく、ブラームスを感じさせるところもある。
主題が再び登場するが同じ形ではなく、
変形させて登場するのもなかなかである。

第四楽章の終曲の最初からからはじまるサウンドは、
シベリウスの交響曲第5番を思わせるようであるが、
そのままいくのかと思わせる最初の期待を裏切り、
それにこだわることなくフーガによる手堅い主題の展開が始まる。
でもまたそのままいくわけではなく静寂な音楽に変わり、
あのフーガ的な展開はどうしたんだというくらいに別な音楽に変わる。
そうかと思うと徐々にまたフーガ的な音楽が始まり、
この辺の手法がなぜかヴォーン・ウィリアムズの交響曲を思わせ、
一方でこの主題の一部がフーガで展開されていくと
なぜかマーラーの交響曲第7番第5楽章の第一主題の一部が、
ロンド形式で展開されていく時のものと似て聞こえしまう。
しかも終わり方はこれで終わってしまうの?という終わり方である。
聴き手の期待を裏切り、はぐらかすステンハンマルの交響曲、
この四楽章だけでも聴き方によって面白みが増す。
ステンハンマルはただものではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラングストレムの交響曲第2番を聴きながら、横浜から鶴ヶ峰まで歩く

2007-04-28 05:34:09 | 古典~現代音楽スウェーデン編
昨日は横浜から鶴ヶ峰まで歩いた。
いつも歩いている道なのでつらいとかいうことはない。

でも、電車だったら横浜から二俣川までは相鉄線で11分である。
こんなことにわざわざ時間を割くなんてと思う人もいるだろうが、
私にとってはささやかな挑戦なのだ。

昨日の朝、血圧を測ると最高が140代であった。
今まで朝に血圧を測ると最高は160~180のあたりで、
どんなによくても150代であった。
それがなぜか今日は140代だったので驚いた。
歩くことを毎日継続することは大切なのかと実感した。
だからこそ、今日も鶴ヶ峰まで歩いたのである。

おきまりのコースを歩くと退屈になることがある。
その退屈さをしのいでくれるのが音楽だ。

今日聴いたのはラングストレムの交響曲第2番である。
1884年スウェーデン生まれの彼のこの交響曲は、
「祖国」という表題が付いていて、1919年9月に完成し、
ロマンティックな作品であり、わかりやすい。

4楽章からなるこの交響曲の第一楽章の主題は、
印象的であり、大げさな感じもするが、
一度聴いたら忘れないだろう。

第二楽章はフランス音楽にみられる詩的な世界が広がる。
途中ソロ・バイオリンが歌う旋律も美しく、
叙情的で、心に訴えてくる音楽である。

第三楽章の冒頭は勇ましい感じで始まる。
圧倒的な勝利へと向かっていくかのようでもある。
なんとなくその辺がショスタコヴィッチっぽくもある。
作曲年代から考えると第一次世界大戦終結と
何らか関係があるのかもしれない。

歌は世につれとはいうけれど、
交響曲もその時代を反映しているのかなと思ったりもする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コッコネンの交響曲第3番を聴きながら、横浜から西谷まで歩く

2007-04-27 04:22:29 | 古典~現代音楽フィンランド編
昨日は横浜から西谷まで歩いた。
最初鶴ヶ峰まで歩こうと思っていたのだが、
一日忙しく疲れもあったので、無理はしないことにした。

今日聴いた曲はコッコネンの交響曲第3番である。
コッコネンは1921年生まれのフィンランドの作曲家である。
彼は1940年代には新古典派主義的な作品を書いていたが、
1950年代後半からは12音音楽の作品を書くようになり、
1960年代後半からは「新調性主義」または
「自由調整主義」とよばれる作風へと転じていった。

その変遷の様子は、ストラヴィンスキーを思わせるものだが、
最後の「新調性主義」とよばれる作風が、
きっと彼が行き着いた個性的な到達点なのだろう。

交響曲第3番は1967年の作品で、現代的な作品である。
4楽章からなり、20分ほどの演奏時間がかかる作品である。
第1楽章を聴けば、軍楽的な響きの中に何か感じられるのは、
世界大戦の痕跡か戦後の地域紛争である。
もはや北欧的な音の響きは断片的に現れては消えていく。

作曲家にも作風の変化というものはやむを得ないことだろう。
その時代の音楽の流行に乗った作品を書くことが普通なのかもしれない。
アッテルベリのように頑固にロマン派的な作品を現代に書いても、
それを求めている人たちは音楽界にあまりいないのだから。

でも、振り返ってみれば、現代音楽とよばれる世界で、
20世紀に行われた様々な音楽の実験をどう評価していいのだろう。

これらが本当に素晴らしいものといえるのかについては、
私を含め、おそらく多くの聴衆はそれを理解するだけの力を持ってはいない。
将来的にこれらの作品は何世紀もあとでどのように評価されるのだろう。

ちなみに私はこの交響曲が入っているCDの中の作品では、
ピアノ三重奏曲(1989年の作品)が印象に残ったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間が住める惑星の存在、そしてフローリヒの交響曲ホ長調

2007-04-26 05:42:48 | 古典~現代音楽デンマーク編
ヨーロッパ南天天文台(チリ)の研究チームが、
てんびん座の方角の約20光年先に存在する
赤色矮星「グリーゼ581」の周囲に、
地球によく似た環境の惑星を初めて発見したことを
25日に発表したということである。

13日の公転周期で回っているこの惑星の半径は、
地球の約1.5倍で、重さは約5倍。
地球と同じように岩石でできている可能性が高く、
表面温度も摂氏0~40度と推定され、
液体の水が存在できる条件である。
大気の有無や組成などは不明のようだが、
地球と同じような惑星である可能性はあるようだ。

地球と同じ惑星が存在することは、ありえないことではないが、
観測によってその可能性を実証したということになる

前日はりきりすぎたウォーキングは、昨日は一休み。
少し疲れも残っているので、無理はしないことにした。

今日は、フローリヒの交響曲ホ長調について触れる。
フローリヒは1806年生まれのデンマークの作曲家である。
CDの英語で書かれた解説書によると、
一家はドイツ出身で、ミュンヘンからデンマークに移住したようだ。
幼い頃から音楽の才能に長け、優れた才能を発揮したようで、
8歳の頃、聴衆の前でフルートやピアノ、ヴァイオリンを演奏している。

この知らせはドイツからの移民で作曲家のヴァイゼにも伝わった。
王立管弦楽団の指揮者クラウス・シャール(でいいかな?)のもとに
ヴァイゼはフローリヒを送り、そこで彼は音楽を学んだようだ。
公式デビューは、18歳の時で、
聴衆の前でシュポアのヴァイオリン協奏曲を演奏し、
その後も室内楽奏者として活躍したらしい。
クラウス・シャールの亡き後の1835年には、
デンマーク王立歌劇場の指揮者となり、
音楽界の重要な人物として高い評価を得るようになったようだ。

交響曲ホ長調の作曲はローマ滞在中に着手し、
1833年には王立劇場で初演されたようである。
第1楽章はシューマンの交響曲を思い起こさせ、
印象に残る旋律であり、力強い。
第2楽章は打楽器の連打で始まるリズミカルなメヌエットで、
シューマンの音楽に似ているが、
昼間部のトリオのフルートの旋律が愛らしい。

第3楽章のアンダンテは旋律が同じなわけではないが、
シューベルトの交響曲第9番第2楽章のアンダンテを想起させる。
第4楽章も古典的交響曲のスタイルを保ちつつ、
ロマンティックな部分があり、なかなかいい。

しかし、当時はあまりいい評価は受けなかったようで、
この交響曲もなかなか演奏される機会がなかったのだろう。

無数の星が毎日夜空を照らしているはずだが、
僕らには等級の高い星しかなかなか見えないし、
望遠鏡で見る場合も有名な星しか見なかったりする。

音楽の世界でも目立った作曲家はもちろんいるが、
それ以外にもその時代で埋もれた作曲家はたくさんいる。
なかなか紹介される機会がないので我々にはわからないだけだ。

なんか、似ている星の世界と音楽の世界

でも等級の高い星だけしか輝いていない夜空は、
殺風景でつまらないものである。
天の川が流れ、満天の星を見上げるとき、
私たちはこの多くの星の中にもしかして地球のような星が、
きっとあるに違いないという空想を持つことができる。
だからこそ他のたくさんの星も必要である。

スター以外に存在しない音楽の世界は、
きっと、つまらないものだろう。
多くのアーティストがスターになることを憧れ、
活動しているからこそ、おもしろいのであり
そこで音楽の世界の深さも知るのである。

そういうことだからではないが、私も
これからも埋もれた作曲家の作品について書こうっと!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする