Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

テオドラキスの「サドカイ人の受難」を聴きながら横浜から星川まで歩く

2008-02-29 21:24:28 | 古典~現代音楽バルカン地域編
今日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのはテオドラキスの「サドカイ人の受難」。
ギリシアのキオス島に1925年に生まれた作曲家だ。
「サドカイ人の受難」はCDの英文の解説書によると、
1982年に作曲され、1983年に初演された作品だ。
彼は左派の政治家としても活動したことがあったようだ。
若いときはメシアンとパリ音楽院で学んだことがあるようだ。
この作品はテノールとバリトン、バス、朗読者、
そして合唱団と管弦楽のためのカンタータである。

何といっても強烈なリズムが印象的である。
ストラヴィンスキーの影響もあってか、
原始主義的な感じをも持たせる音楽である。
合唱や独唱者はドイツ語で歌うのだが、
これを聴くとカール・オルフの作品に似て、
言葉の持つ力がみなぎっている感じもする。
ギリシアの作曲家というのも珍しいものだが、
彼が、政治家として活動したのも、
彼が育ったギリシアという国の
20世紀の複雑な政治状況が、
きっと関係しているのかもしれない。
でも現代音楽にしては躍動感がある曲で聴きやすい。
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マルティヌーの「戦場のミサ」を聴きながら横浜から星川まで歩く

2008-02-28 22:17:35 | ボフスラフ・マルティヌーの作品
今日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのはマルティヌーの「戦場のミサ」。
チェコ生まれの作曲家マルティヌーは、
私の好きな作曲家の一人である。
「戦場のミサ」は、1939年に作曲された作品。
第2次世界大戦の時期、ナチス・ドイツにより、
チェコ解体が行われたのに対して、
南フランスでチェコの義勇軍が結成されたようだが、
その義勇軍のための作曲された作品が、
この曲で、イジー・ムハがテクストを選んでいる。

歌詞は詩篇や聖書の中のマタイ伝などを引用しているが、
それ以外にイジー・ムハが書き加えた詩が入っている。
バリトン独唱と男声合唱と室内管弦楽のための作品で、
戦うことへ勇気づけられるような歌詞である。
祖国解放と自由と求めて戦う義勇軍を
励ます作品であることは、曲を聴くと伝わってくる。
ヒューマニズムに支えられた力作であることには違いない。
詩の中には故郷を思わせる部分もあり、
強い民族意識を感じさせるところがある。
戦争というものは決していいものではないが、
そのことが素晴らしい作品を
生み出すきっかけになることもある。
でも、忘れてはいかないのは、
その作品を書かざるをえなかった
時代状況は何だったかということだろう。
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モニューシコの「糸を紡ぐ老女」などを聴きながら西谷から二俣川まで歩く

2008-02-27 23:07:10 | 古典~現代音楽ポーランド編
昨日はウォーキングを休みました。
今日は西谷駅から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのはモニューシコの歌曲集。
彼は、1819年ポーランド生まれの作曲家だ。
ポーランドのロマン主義音楽の代表的な作曲家で、
聴いているとメンデルスゾーンや
シューベルトの歌曲を聴いているようで、
しかしポーランドの位置関係か、
ある部分で、北欧的な曲もあり、
ロシア風なところもあるし、
ポーランド民謡的な部分もありおもしろい。
また、オペラ作曲家としても活躍したこともあり、
オペラ・アリアを思わせるような曲もある。

歌詞はミツキェヴィチなどポーランドの代表的な詩人や、
バイロン、ゲーテなどの詩が使われている。
コランコフスキの詩による「花」という作品の詩は、
花には美しく見させるだけでなく、
むごい運命など哀れな部分があることを歌う。
でもそれは人間も同じだよなあとも思ってしまう。
「糸紡ぐ老女」では、長生きをするのが辛いということが、
繰り返されるのが、少し悲しくもある。
モニューシコの歌曲集は、聴いたのは2回目であるが、
再び聴いてみると意外におもしろいが、
なぜこのCDを買ったのかが不思議でもある。
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コダーイの「ハンガリー詩篇」を聴きながら二俣川から西谷まで歩く

2008-02-26 06:32:01 | 古典~現代音楽ハンガリー編
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのはコダーイの「ハンガリー詩篇」。
1923年に作曲されたテノールと合唱団、
および少年合唱団と管弦楽による作品である。
ブタペスト市合併50周年の祭式典のために
作曲の委嘱を受け、聖書の詩篇55をもとに
古いハンガリー語で書かれたものを、
テクストに使用したということだ。

曲はハンガリーの民族色の強い作品である。
バリトン独唱に続き、合唱が加わるが、
音楽は管弦楽が劇的な展開をつくりだしていく。
20分近くの演奏時間を要するこの曲の中では、
感動的な合唱の部分を聴くことができる。
曲の中間部に聴くことができる静かな音楽の部分は、
幻想的でかつおだやかで、美しい音楽である。
後半は合唱の素晴らしい部分を聴くことができる。
最後は静かに消えるように終わっていく。
コダーイのこのような作品を聴くと、
ふだん聴いたことないコダーイの合唱曲には、
美しい作品がまだまだ他にもきっとあるに違いない。
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ルトスワフスキの「眠りの空間」を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2008-02-25 07:41:16 | 古典~現代音楽ポーランド編
昨日も二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのはルトスワフスキの「眠りの空間」。
ルトスワフスキはグレツキと同じく、
1913年ポーランド生まれの作曲家である。
ルトスワフスキの「眠りの空間」は、
1975年に作曲された作品で、
バリトンと管弦楽のための作品。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウに献呈された曲である。

14分前後の作品であるが、
テクストとなっているフランスの詩人、
ロベール・デスノスの詩はユニークである。
幻想的で虚構の世界が描かれながら、
「そして、そこには、君がいる」ということばが、
繰り返されるたびに、いったん現実に戻される。
しかし、再び夢の中に引き戻され、
やがては「君」の存在さえ現実と夢の中で
どこにいるのかがあいまいになっていく。

音楽は、静かに始まり、
バリトンの朗読のような歌が続き、
途中その後のドラマティックな展開を
予感させるような音楽になり、
エピソードでそれは爆発し、
全合奏による激しい音楽になり、
最後は夢の世界へと戻り、静かに終わる。
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