Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

リチャード・ロドニー・ベネットのピアノ協奏曲第1番を聴きながら、荻窪から西荻窪駅まで歩く

2009-02-28 21:42:23 | 古典~現代音楽イギリス編
今日は、荻窪から西荻窪駅まで歩きました。
西荻窪のCopo do diaで近田さんのライブを聴きました。
今日聴いたのは1936年生まれのベネットの作品。
彼はケント州のブロードステアーズに生まれ、
王立音楽アカデミーで学び、バークリー等に師事した。
その後1950年代にピエール・ブーレーズに学び、
イギリスやアメリカで教育活動に従事した。
映画「オリエント急行殺人事件」の音楽の作曲を
手がけたことでも有名な作曲家である。
ピアノ協奏曲第1番は1968年に作曲された。
ブーレーズに師事し、しばらく間もない時期の作品だからか、
セリエル音楽からの影響が強く残った作品である。
今回聴いたのは、スティーヴン・コヴァセヴィチのピアノ、
ギブソン指揮のBBC交響楽団の演奏によるCDである。
モデラートの部分は、煌めくようなピアノの音と、
浮遊するようなオーケストラの響きから始まる。
現実的でない、夢の中にいるような音楽であるが、
ピアニストには高度な演奏テクニックが要求される。
いかにも現代的でセリエルの音楽風である。

プレストは、ピアノと管弦楽が、時に荒々しく、
時に軽快さを装って、音楽は進行していく。
ここでもピアノの演奏は攻撃的で、ダイナミックであり、
管弦楽はうねりのある音楽を作り出していく。
レントは、弦楽器を中心に静かな音楽が展開される。
続いてピアノ・ソロが入り、カデンツァ風に演奏する。
そしてピアノと管弦楽によって徐々に盛り上がりをみせる。
情熱的な音楽であるが、最後はピアノだけになり静かに終わる。
ヴィーヴォは、再びピアノと管弦楽により、
激しく荒々しい音楽が展開されていく。
打楽器とピアノによりリズムが強調され、
金管楽器も加わり、ダイナミックな部分もある。
後半途中からピアノのカデンツァ風の部分があり、
そのあとピアノ・ソロが弾くリズムに合わせ、
管弦楽も加わり、最後は荒々しさの中突然終わる。
それにしてもスティーヴン・コヴァセヴィチのピアノはすごい。
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エドワード・エルガーのチェロ協奏曲ニ短調作品85を聴きながら、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩く

2009-02-27 21:03:14 | 古典~現代音楽イギリス編
今日は、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
今日聴いたのは1857年生まれのエルガーの作品。
彼の略歴については管弦楽曲編で触れたので省略する。
チェロ協奏曲ニ短調作品85は1919年に作曲された。
今回聴いたのはアンドレ・ナヴァラのチェロ、
バルビローリの指揮、ハレ管弦楽団の演奏によるCDである。
第一楽章アダージョ-モデラートは、
チェロ独奏により重々しく悲しみに満ちて始まる。
オーケストラも加わるが、そのトーンは変わらない。
作曲時期の1919年は第一次世界大戦が始まった年だが、
やはりその世相が関係するのか、やるせない感じが伝わる。
しかし、そんな中でも少し希望がみえるような明るい旋律も、
チェロ独奏とオーケストラの中にも見出せたりもする。
最後はチェロ独奏が入り、そのまま次の楽章に入る。
第二楽章レント-アレグロ・モルトは、
最初のレントはチェロ独奏による独白のような音楽だ。
そのあとアレグロ・モルトに入り活発な音楽になり、
チェロ独奏による速い旋律の動きは、技巧的であるとともに、
チェロと管弦楽のかけあいが、軽快な感じでいい。

第三楽章アダージョは、チェロ独奏による甘美な旋律がいい。
管弦楽がそれを見守るようにやさしくサポートしている。
短い楽章であるが、夢のようなひとときのような、
束の間の幸せに浸かるかのような音楽である。
第四楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、
再び現実に戻されたかのような哀愁ただよう感じで始まる。
チェロ独奏は嘆くかのように作曲者の心情を歌う。
その後曲は一転して、心奮い立たせるような音楽になり、
チェロ独奏により堂々とした旋律が奏でられる。
チェロ奏者の技巧が発揮される場面も用意されている。
後半のチェロ独奏が甘美な旋律を歌うところもいい。
最後はチェロが第一楽章の悲しみに満ちた旋律を奏で、
管弦楽も加わり、そのまま短調のまま終わるところがいい。
このチェロ協奏曲はずっと前から持っていたCDで、
何度か聴いたことはあるが、あまり印象に残ってはいなかった。
改めてじっくり聴くと、なかなかの名曲である。
持っていてよかったなあと、しみじみ思うのである。
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マイケル・ナイマンのピアノ協奏曲を聴きながら、横浜から星川まで歩く

2009-02-26 21:43:06 | 古典~現代音楽イギリス編
今日は、横浜から星川駅まで歩きました。
今日聴いたのは1944年生まれのマイケル・ナイマンの作品。
彼の略歴については管弦楽曲編で触れた。
ピアノ協奏曲は1993年に作曲された。
映画「ピアノ・レッスン」の音楽を再構成した曲である。
今回聴いたのはジョン・レネハンのピアノ、湯浅卓雄の指揮、
アルスター管弦楽団の演奏によるCDである。
一曲目の「海辺」は、混沌とした幻想的な感じで始まる。
いかにも映画音楽的な描写的な音楽である。
映画「ピアノ・レッスン」で使われた旋律は、
7分前後でピアノ独奏によって奏される。
とても繊細で、感傷的な音楽である。
その一方で情熱的で、ポップス感あふれる音楽である。

二曲目の「森」は、弦楽とピアノ中心に展開していく。
細やかなピアノの音とゆったり動く弦楽器の演奏は、
神聖で幻想的な森の雰囲気をうまく醸し出している。
三曲目の「小屋」は、軽快なリズミックな曲である。
舞踏的な音楽をピアノが奏しながら、
スコットランド的な感じを思わせもする。
中間部はゆったりとした幻想的な感じの曲で、
後半は第一曲のように何かにせかされるような、
軽快で情熱的な音楽になり、盛り上がりをみせていく。
四曲目の「解放」は、前曲から切れ目なく続き、
ピアノの軽快な舞踏的なリズムに乗って、
壮大な音楽が展開される中で、やがてピアノ独奏が、
第一曲の「ピアノ・レッスン」で使われた旋律を奏で、
情熱的な盛り上がりをみせて終わる。
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ジェラルド・フィンジのクラリネット協奏曲ハ短調作品31を聴きながら、二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2009-02-25 22:02:26 | 古典~現代音楽イギリス編
今日は、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
今日聴いたのは1901年生まれのフィンジの作品。
彼の略歴については声楽・合唱曲編で触れた。
クラリネット協奏曲ハ短調作品31は、
1948年から49年にかけて作曲された。
弦楽オーケストラとクラリネットによる作品である。
今回聴いたのはジャネット・ヒルトンのクラリネット、
トムソンの指揮、BBCノーザン交響楽団の演奏によるCDである。
第一楽章アダージョ・ヴィゴローソは、
悲しみと絶望に満ちた感じの弦楽オーケストラの序奏で始まる。
クラリネット・ソロが入り、歌うように旋律を奏でる。
それはやさしく、甘美であり、弦楽とは対照的である。
最後に用意されているクラリネットの短いカデンツァのあと、
弦楽オーケストラにより盛り上がりをみせて終わる。

第二楽章アダージョは、弦楽中心にゆったりと始まる。
クラリネット独奏がしばらくして入り、
弦楽器とクラリネット・ソロのやりとりが続いていく。
イギリスののどかな田園風景を思い浮かべながら、
何かしらあたたかさを感じるやさしい音楽である。
第三楽章ロンド、アダージョ・ジョコーソは、
速いテンポで弦楽オーケストラによって始まる。
クラリネットが明るい感じの旋律を奏で、
弦楽オーケストラもそれに続いていく。
軽快に弦楽器とクラリネット・ソロのやりとりが続く。
最後は将来への希望に満ちたように、
明るく盛り上がってさわやかに終わる。
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ベンジャミン・ブリテンのヴァイオリン協奏曲作品15を聴きながら、二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2009-02-24 21:21:33 | 古典~現代音楽イギリス編
今日は、二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
今日聴いたのは1913年生まれのブリテンの作品。
ヴァイオリン協奏曲作品15は、1938年から39年にかけて作曲された。
初演は1940年3月28日ニューヨークのカーネギー・ホールで、
ブリテンの友人アントニオ・ブローザのヴァイオリン、
バルビローリ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックで行われた。
イギリスでの初演は1941年4月6日である。
その後ブリテンはこれを1950年に改訂を加え、
1958年にも改訂を加えており、その最終稿による演奏が、
今回聴いたCDのイダ・ヘンデルのヴァイオリン、
ベルグルンドの指揮、ボーンマス交響楽団の演奏によるものである。

第一楽章モデラート・コン・モルトは、
ティンパニの5つの音から成る音型の連打から始まる。
管弦楽による短い序奏のあと、ヴァイオリン独奏が入る。
ヴァイオリンが最初に奏するゆったりした旋律と、
もう一つのテンポの速い旋律は対照的である。
ヴァイオリンは展開部で5つの音から成る音型を奏し、
やがてその音型は再びティンパニが刻むようになり、
ヴァイオリンが美しい旋律を奏でる中、消えるように終わる。
第二楽章ヴィヴァーチェは、スケルツォ楽章で、
軽快に荒々しく始まり、滑稽な感じの音楽である。
ヴァイオリンが奏でる音楽はショスタコーヴィチに似ているが、
管弦楽の奏でる音楽はベルリオーズ風でもある。
中間部はヴァイオリン中心に、甘美な旋律を奏でられ、
再び冒頭の荒々しさが顔をのぞかせるが、
途中ヴァイオリンのカデンツァが入り、
ここはヴァイオリン奏者の腕の見せどころだろうが、
ここでも第一楽章冒頭の5つの音から成る音型が登場する。
そしてそのまま途切れなく次の楽章に入る。

第三楽章アンダンテ・レント-ウン・ポコ・メノ・メッソは、
パッサカリア形式であり、メランコリックな感じで始まる。
ヴァイオリン・ソロも感傷的な旋律を奏でていく。
ゆったりとしたテンポの中で作り出される音楽は、
シベリウス風な感じも受ける部分もある。
途中からテンポは軽快になり、舞踏的な音楽になり、
ヴァイオリンのテクニックが発揮される場面も設けられ、
管弦楽が奏でる音楽はやがて情熱的となっていく。
それがいったん静まり、ヴァイオリン・ソロを中心に、
ゆったり歌いあげる音楽となり、管弦楽はそれをやさしく支え、
最後までその感じが続き、盛り上げるコーダとはならず、
静かにヴァイオリン・ソロを中心に消えるように終わる。
協奏曲のお決まりのように最後華やかに終わることはない。
やはりそこがイギリス的なのかもしれない。
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