Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

マルトゥッチの「ノクターン」、二俣川から南林間、そしてシュマンケルステューベ

2007-09-30 10:56:06 | 古典~現代音楽イタリア編
昨日は、二俣川から南林間まで歩いた。
9月にしては寒い一日であったが、
長屋門公園を抜け、瀬谷柏尾道路を北上する。
厚木街道に入ってからを瀬谷方面にしばらく歩き、
途中右折し瀬谷駅を通過し、海軍道路をひたすら北上する。
この海軍道路が予想以上に長かった。
そして、八王子街道に入って相模原方面を北上、
246号線を越え、もっと北へと思ったが、
雨が降り続いていたことや、少し寒気がしたこともあり、
それ以上北に進むことはやめて、県道50号線に入り、
南林間駅まで歩いたが、途中左手にあった店が目に入る。
シュマンケルステューベという手作りソーセージの店に入り、
フライシュケーゼとバイスブルストを買う。
ミュンヒェンでバイスブルストは食べた記憶があるので、
懐かしい気持ちで、つい買ってしまった。

さて、昨日南林間まで歩く間に途中聴いた曲は、
イタリア生まれのジュゼッペ・マルトゥッチの作品。
レスピーギの師であったことは以前ふれた。
英文で書かれた解説書によると、
彼は1856年1月6日に生まれたようだ。
ナポリのカプアで生まれ、音楽の初歩的な知識等については、
父とトランペット奏者のガエターノに学んだらしい。
ピアノを習い、11歳の時にナポリ音楽院に入学した。
ベニアミノ・チェシという人が彼のピアノの師だったようで、
チェシ自身は当時有名なピアニストである
ジギスムント・タールベルクと共に、
ナポリのポシリポで学んだ人物のようである。
作曲については、パオロ・セルラオに学んだようだ。

マルトゥッチは最初ピアニストとして活躍していたが、
その後指揮者に転身して、その活動が目立つようになる。
1881年1月23日にはナポリで最初の演奏会を行った。
そこでの演奏曲目はモーツアルトの交響曲第40番ト短調や、
ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番であり、
ドイツ音楽に対しての深い関心がみてとれる。
あと1888年にワグナーの「トリスタンとイゾルデ」を、
イタリア初演したのは有名な話である。

さて、海軍道路を北上しながら、その途中聴いたのは、
ノベレッテ(物語風のピアノ小品)、夜想曲とタランテラ。
ノベレッテは1905年に作曲されたピアノ作品を
管弦楽化した曲で、三部形式で書かれている。
最初のオーボエが吹くのどかな感じの主題は印象的で、
中間部の早い動きの部分を挟み、最初の主題が再現される。
聴いた感じはフランス音楽の印象派的な作品である。
夜想曲は、1888年に作曲されたピアノの作品を
管弦楽化した作品で、緩やかでロマン的な部分からは、
ワグナーからの影響を感じさせる。
タランテラは1875年の作品で、いかにもイタリア的な作品。
やはりピアノ・ソロだったものを管弦楽化したらしい。
踊りの曲だからか動きがあり、前の2曲とは違い、
イタリア・オペラのような華々しい曲である。
この3つの曲で選ぶならば、タランテラが個人的には好きだ。

今回買ったマルトゥッチの管弦楽曲集には交響曲もある。
前回までは交響曲をモノラルでしか聴けなかったのが、
ステレオ録音で聴けるので嬉しい限りである。
交響曲第1番を聴いてみるとやはりブラームスっぽい。
第3楽章はCDの解説では、ブラームスの第2交響曲の
スケルツォ(おそらく第3楽章のこと)の類似性を指摘している。
それは、実際聴き比べると分かるだろう。
マーラーはイタリアのオペラの世界に憧れ、
マルトゥッチはドイツ音楽のワグナーなどの世界に憧れた。
自分の国の音楽ではなく、他の国の音楽に憧れるというのは、
どこでもある話しなのだが、そういうもんだろうかねえ。
と言いつつ、ドイツ風のフライシュケーゼを食べる私である。
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ロドリーゴの「ある貴紳のための幻想曲」、品川から新橋、そして渤海史はおもしろい

2007-09-29 13:21:33 | 古典~現代音楽スペイン編
講演「渤海と唐、そして日本」を聴くために、
昨日は、品川駅で降りて、品川から新橋まで歩いた。
さすがに、暑い日中での1時間近くの歩きはきつかった。
國學院大學栃木短期大学の酒寄先生の講演は興味深く、
渤海と日本との交流史のことはもちろんのこと、
「唐碑亭」をめぐる近代日本との関係についても、
なるほど、へぇーっと思うことがたくさんあった。
歴史は過去のものとして終わるものではなく、
現代にもつながっているものだとつくづく実感する。

さて、昨日新橋まで歩く間に途中聴いた曲は、
1901年スペイン生まれのロドリーゴの作品。
1954年に作曲された「ある貴紳のための幻想曲」は、
ギター奏者のセゴビアのために作曲された曲で、
「ビリャーノとリチェルカーレ」、
「エスパニョレータとナポリ騎兵隊のファンファーレ」、
「たいまつの踊り」、「カナリオ」の4曲から成っている。
曲の素材は17世紀スペインの作曲家ガスパール・サンスの、
「スペイン式ギターによる音楽教程(指南)」の
教則本に含まれているギターの小品から採っている。
この曲を聴いているうちに、2曲目の旋律が気になってくる。
何かレスピーギの「シチリアーナ」に似ているのだ。
家に帰ってから、サンスの作品のCDを探すと、
「スペイン式ギターによる音楽教程」があった。
(演奏はエルネスト・ビテッティでした)
そして、パニアグワの指揮した「ラ・スパーニャ」。
この二つのCDを手がかりにして聴いてみた。

「ビリャーノとリチェルカーレ」は第2集に収められている曲、
ビリャーノが忠実に使われ、管弦楽化している。
「エスパニョレータとナポリ騎兵隊のファンファーレ」は、
最初の旋律は第1集・第2集でたびたび登場する
エスパニョレッタ(紡ぎ歌)の旋律から採っているようで、
優雅な旋律を変奏曲風に展開している。
中間部は第2集から部分的に使っているようだ
「たいまつの踊り」は第1集にある同名の曲から使っている。
旋律は繰り返され、4曲の中ではとても短い曲である。
最後の「カナリオ」は第1集に収めた同名の曲から採っている。
そこに現代スペインらしい味付けをし、華々しく終わる。

それにしてもエスパニョレッタの旋律は、
レスピーギの「リュートのための古代舞曲とアリア」の
第3曲の「シチリアーナ」に似ている。
それもそのはずで、サンスがまとめた教則本の中にある曲は、
当時流行っていた曲の旋律であり、
エスパニョレッタも作曲者不詳の曲なのである。
多くの作曲家がこの旋律を使って作曲などしており、
サンスはその一人なのである。
その中にはレスピーギの曲ととても似たものがある。
ううん、偶然のつながりでレスピーギから
ロドリーゴにたどり着いてしまった。
それにしても過去の人を現代の人が掘り起こすことは、
大切な事業であり、演奏家や作曲家の使命なのかもしれない。
それは歴史を研究するものにとっても同じだろう。
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レスピーギの組曲「鳥」を聴きながら、横浜から星川まで歩く

2007-09-28 09:42:19 | 古典~現代音楽イタリア編
昨日は、横浜から星川まで歩く。
途中聴いた曲は、1879年イタリア生まれのレスピーギの作品。
彼は1913年にローマのサンタ・チェチーリア音楽院の教授に就任した。
そしてそれ以後、昔の作曲家の作品を調べるうちに、
その中のいつくかを編曲して管弦楽曲にするようになった。

組曲「鳥」は、1927年に作曲され、その曲の素材は、
17・18世紀イタリア・フランス・イギリスのクラヴサン曲から採った。
この時代の作品にも様々な描写音楽があるのだが、
鳥に関する描写音楽を素材に使い、
管弦楽化することで、クラヴサンでは表現しきれないものを
表現しようと試みたようで、曲は「前奏曲」から始まり、
「鳩」、「めんどり」、「夜鶯」、「かっこう」の5曲で構成される。

「前奏曲」は、17・18世紀の作曲家とは関係ない独自の主題で始まり、
中間部はこのあと出てくる各楽章の主題を予告している。
最初の主題がそのあと再現され、三部形式のこの曲を閉じる。
「鳩」は、フランスのガローのクラヴサン曲のようだが、
私は聴いたことがないので原曲はわからない。
穏やかなそして甘い旋律の流れる作品である。
「めんどり」は、有名なラモーの「めんどり」からとっており、
確かに原曲のクラヴサン曲とは違った魅力を生み出している。
曲は原曲に忠実にそのまま進行していくが、
レスピーギは各楽器の良さを引き出していると思う。
「夜鶯」は、イギリスで流行したヴァージナル音楽が原曲らしい。
この作曲者不詳の原曲は聴いたことがないが、
愛らしいフルートの旋律や、チェレスタの響きが心地よい。
「かっこう」は、イタリアのパスキーニの作品が原曲らしい。
かっこうの模倣したこの原曲も、私は聴いたことがない。
かっこうの声を幾度も繰り返すところは印象的である。
最後は「前奏曲」の最初に登場した主題が現われ、全曲を閉じる。

よく考えてみるとクラシック音楽では、
この鳥の声を模倣した作品は意外に多い。
ルネサンスやバロック音楽はもちろん、
モーツアルト、ベートーヴェンだって、
マーラーだって、ディーリアスだって
レスピーギ(「ローマの松」に出てくる)だって、
ほらほら考えればいろいろ出てきそうだ。
そして、鳥の音楽といえば、きわめつけはメシアン。
ピアノ曲の「鳥のカタログ」はもちろんのこと、
管弦楽曲でも「異国の鳥たち」とか「鳥の目覚め」など
鳥好きの彼は日本の軽井沢に滞在した時にも、
周囲の鳥のさえずる声にきっと耳を済ませていたに違いない。
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カルバーリョの序曲「勤勉な愛」を聴きながら、横浜から上星川まで歩く

2007-09-27 06:52:51 | 古典~現代音楽ポルトガル編
昨日は、横浜から上星川まで歩く。
途中聴いた曲は、1745年ポルトガル生まれの
ジョアン・デ・ソウザ・カルバーリョの作品。
そこで、CDの英文で書かれた解説を読んでみる。
ポルトガルでは、カルバーリョに続きモレイラ、
ポーチュガル、ボンテンボといった作曲家が登場するが、
カルバーリョは、この三人の作曲家を教えたようだ。
この時期のポルトガルはジョアン5世(在位1706-1750)、
ジョゼ1世(在位1750-1777)の治世にあたるが、
ブラジルからもたらさせる黄金により、黄金期にあった。
この経済的な豊かさを背景に、
イタリアからは多くの音楽家や振付師を招く一方、
国内の作曲家をイタリアに派遣し、学ばせている。
当時はイタリア歌劇が人々の人気を集めた時代で、
ジョアン5世の時にはリスボンに歌劇場が開設されている。
(ただ、1755年にリズボンで地震があった。
歌劇場はどうなったのだろう。再建されたのだろうか。)

序曲「勤勉な愛」は、1769年に作曲された作品で、
当時流行していたニコロ・ヨメルリの影響を受け、
明らかにイタリア歌劇の影響が強くでているようだ。
最初のアレグロ・コン・スピリートでは、
弦楽器が軽快に旋律を奏し、ファゴットの音も心地よい。
聴いた感じモーツアルトの音楽を聴いているようでもある。
(モーツアルトもイタリア・オペラ形式の作品を
多く残しているのであたりまえだろうが)
続くアンダンティーノ・コン・モルトでは、
最初叙情的な旋律が現われ、やや悲しげである。
中間部は優しい感じの旋律が登場するが、
再び叙情的な旋律が現われ、次の部分に切れ目なく続く。
最後のアレグロ・スピリトーソは弦楽器とホルンが活躍する。
活躍するホルンの吹奏が心地よく、曲は華やかさの中で終わる。
日本の現代作曲家の作品をずっと聴いていたからか、
こんな時代の作品を久しぶりに聴くとほっとするなあ。
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ファリャの「オマージュ(讃歌)」を聴きながら、二俣川から東戸塚まで歩く

2007-09-26 06:41:01 | 古典~現代音楽スペイン編
昨日は、二俣川から東戸塚まで歩く。
久しぶりに日中は暑さが厳しかったので、
ウォーキングは夕方にすることにした。
東戸塚からJR線で横浜駅まで行き、相鉄線で戻ったが、
電車の待ち時間などを含めて結局1時間近くかかった。
ということは、単純にそのまま往復にして歩いても、
時間としてはほぼ同じということか?
途中聴いた曲は、1876年スペイン生まれのファリャの作品。
これからは、スペイン・ポルトガル・イタリアの作曲家の
管弦楽曲を紹介していこうと思う。
ファリャという人物はあまりにも有名なので経歴などを
いまさらここで触れる必要はないだろう。
昨日聴いた曲は「4つのオマージュ(讃歌)」と
バレエ音楽「恋は魔術師」である。

「4つのオマージュ(讃歌)」は、ファリャの人生の中で、
重要な4人の人物に捧げた断片的な作品をまとめたもの。
したがって、作曲年代もそれぞれ違い、
そこには20年以上の開きがある。
第1曲「E.F.アルボスの名によるファンファーレ」は、
1933年に作曲されたファンファーレ風の作品である。
エンリケ・フェルナンデス・アルボスは指揮者のようだ。
第2曲「クロード・ドビュッシーに捧げる」は、
1920年に作曲され、彼の作風に大きな影響を与え、
親交のあったドビュッシーに捧げる曲で、
もともとはギター曲として作曲したものを
管弦楽曲に編曲した印象派的な作品である。
第3曲「ラッペル・ド・ラ・ファンファーレ」は、
1941年に作曲された20秒足らずの短い間奏的な曲である。
第4曲「ポール・デュカスに捧げる」は、
1935年に作曲され、原曲はピアノ独奏曲のようだ。
彼と親交のあったデュカスに捧げる作品で、
音楽もデュカス風に仕立て上げている感じだ。
第5曲「ペドレリャーナ」は、1938年に作曲された。
ペドレリャーナは、フェリーペ・ペドレルの名から来ており、
彼が作曲を師事したペドレルのために作曲されたものである。
ペドレルの歌劇「ラ・セレスティーナ」から着想したらしいが、
ペドレルの作品は日本ではなかなかお目にあったことはない。
この作品の中では一番長い曲で、味わいのある

バレエ音楽「恋は魔術師」は、1915年に作曲された作品で、
彼の名を有名にした主要作品といえるだろう。
曲の説明はいまさらというところがあるので、
ここでは私が今回聴いたCDの感想を少し触れる。
指揮はマータによるもので、この演奏はメリハリがあっていい。
シモン・ボリヴァル交響楽団の演奏はやや雑な気もしないでもないが、
有名な「火祭りの踊り」もスケールのある演奏で、
熱気あふれる感じがしていい。
シモン・ボリヴァル交響楽団は初めて来日した時の演奏が、
NHKで放送していたのを見たときの印象が残っている。
そのときはヒナステラのエスタンシアをやっていたのだが、
そこで見せた熱演を想い起こさせるような演奏である。

ファリャは晩年スペインに成立したフランコ政権を避け、
南米に亡命したようなのだが、そのことは知らなかったし、
そして南米に行った彼がどうだったのかは知られていない。
愛するスペインのために色々な作品を残したのだが、
その彼がスペインを去らなければならなかったのは残念だ。
歴史は一人の作曲家の人生をも大きく狂わせている。
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