今日は横浜から二俣川まで歩く。
2時間余りの道のりであった。
そのうち、自由が丘あたりまで歩いて見ようかと、
新たな野望に燃える自分であった。
今日聴いた曲はグノーの交響曲第1番と第2番。
第1番は何も言われないとドイツの作曲家と思えるような、
ハイドン・モーツァルトに似たスタイルで書かれている。
交響曲第2番は第1番に比べるとフランスらしく、
第2楽章なんかはロマンティックな雰囲気である。
第3楽章は最初の弦が奏でる部分はともかく
そのあとの管楽器などが中心に出てくる箇所は、
サン・サーンスの交響曲第2番の第3楽章に似ている。
どちらもほぼ同じ時期に書かれているが、
この類似性はどうしてだろうと思ったりもする。
さて、ふだん歩いていても気づかなかったことに今日気づいた。
横浜から環状1号線に平行した道を最近歩いているのだが、
浅間町のあたりの道の下をみるとプレートに「旧東海道」と書いてあり、
さらにその先を進むと「追分」の表示がある。
いつも私はこの追分のところを右に行き、16号線に出るのだが、
その右の道は八王子道で、追分はその起点となっていることが分かった。
ちなみにそのまま天王町駅の方向に向かう道は旧東海道である。
こんなこともあるもんで、何も知らないで今まで歩いていた。
だからどうという問題ではないが、
こんな時にイメージするのは、
昔の時代の人々がこの追分の地点で何を感じたかである。
多くの人たちが歩くしかなかった昔の時代に、
旅行や行商などいろいろあっただろうが、
どんな思いでこの場に着いたのか、
また出発したのかを想像するのはおもしろい。
多くの人は今この場所を自動車などで通過するだけなのだが、
昔は特別な意味が込められていたような気がしてならないのである。
2時間余りの道のりであった。
そのうち、自由が丘あたりまで歩いて見ようかと、
新たな野望に燃える自分であった。
今日聴いた曲はグノーの交響曲第1番と第2番。
第1番は何も言われないとドイツの作曲家と思えるような、
ハイドン・モーツァルトに似たスタイルで書かれている。
交響曲第2番は第1番に比べるとフランスらしく、
第2楽章なんかはロマンティックな雰囲気である。
第3楽章は最初の弦が奏でる部分はともかく
そのあとの管楽器などが中心に出てくる箇所は、
サン・サーンスの交響曲第2番の第3楽章に似ている。
どちらもほぼ同じ時期に書かれているが、
この類似性はどうしてだろうと思ったりもする。
さて、ふだん歩いていても気づかなかったことに今日気づいた。
横浜から環状1号線に平行した道を最近歩いているのだが、
浅間町のあたりの道の下をみるとプレートに「旧東海道」と書いてあり、
さらにその先を進むと「追分」の表示がある。
いつも私はこの追分のところを右に行き、16号線に出るのだが、
その右の道は八王子道で、追分はその起点となっていることが分かった。
ちなみにそのまま天王町駅の方向に向かう道は旧東海道である。
こんなこともあるもんで、何も知らないで今まで歩いていた。
だからどうという問題ではないが、
こんな時にイメージするのは、
昔の時代の人々がこの追分の地点で何を感じたかである。
多くの人たちが歩くしかなかった昔の時代に、
旅行や行商などいろいろあっただろうが、
どんな思いでこの場に着いたのか、
また出発したのかを想像するのはおもしろい。
多くの人は今この場所を自動車などで通過するだけなのだが、
昔は特別な意味が込められていたような気がしてならないのである。