昨日は横浜から西谷まで歩いた。
最初鶴ヶ峰まで歩こうと思っていたのだが、
一日忙しく疲れもあったので、無理はしないことにした。
今日聴いた曲はコッコネンの交響曲第3番である。
コッコネンは1921年生まれのフィンランドの作曲家である。
彼は1940年代には新古典派主義的な作品を書いていたが、
1950年代後半からは12音音楽の作品を書くようになり、
1960年代後半からは「新調性主義」または
「自由調整主義」とよばれる作風へと転じていった。
その変遷の様子は、ストラヴィンスキーを思わせるものだが、
最後の「新調性主義」とよばれる作風が、
きっと彼が行き着いた個性的な到達点なのだろう。
交響曲第3番は1967年の作品で、現代的な作品である。
4楽章からなり、20分ほどの演奏時間がかかる作品である。
第1楽章を聴けば、軍楽的な響きの中に何か感じられるのは、
世界大戦の痕跡か戦後の地域紛争である。
もはや北欧的な音の響きは断片的に現れては消えていく。
作曲家にも作風の変化というものはやむを得ないことだろう。
その時代の音楽の流行に乗った作品を書くことが普通なのかもしれない。
アッテルベリのように頑固にロマン派的な作品を現代に書いても、
それを求めている人たちは音楽界にあまりいないのだから。
でも、振り返ってみれば、現代音楽とよばれる世界で、
20世紀に行われた様々な音楽の実験をどう評価していいのだろう。
これらが本当に素晴らしいものといえるのかについては、
私を含め、おそらく多くの聴衆はそれを理解するだけの力を持ってはいない。
将来的にこれらの作品は何世紀もあとでどのように評価されるのだろう。
ちなみに私はこの交響曲が入っているCDの中の作品では、
ピアノ三重奏曲(1989年の作品)が印象に残ったのである。
最初鶴ヶ峰まで歩こうと思っていたのだが、
一日忙しく疲れもあったので、無理はしないことにした。
今日聴いた曲はコッコネンの交響曲第3番である。
コッコネンは1921年生まれのフィンランドの作曲家である。
彼は1940年代には新古典派主義的な作品を書いていたが、
1950年代後半からは12音音楽の作品を書くようになり、
1960年代後半からは「新調性主義」または
「自由調整主義」とよばれる作風へと転じていった。
その変遷の様子は、ストラヴィンスキーを思わせるものだが、
最後の「新調性主義」とよばれる作風が、
きっと彼が行き着いた個性的な到達点なのだろう。
交響曲第3番は1967年の作品で、現代的な作品である。
4楽章からなり、20分ほどの演奏時間がかかる作品である。
第1楽章を聴けば、軍楽的な響きの中に何か感じられるのは、
世界大戦の痕跡か戦後の地域紛争である。
もはや北欧的な音の響きは断片的に現れては消えていく。
作曲家にも作風の変化というものはやむを得ないことだろう。
その時代の音楽の流行に乗った作品を書くことが普通なのかもしれない。
アッテルベリのように頑固にロマン派的な作品を現代に書いても、
それを求めている人たちは音楽界にあまりいないのだから。
でも、振り返ってみれば、現代音楽とよばれる世界で、
20世紀に行われた様々な音楽の実験をどう評価していいのだろう。
これらが本当に素晴らしいものといえるのかについては、
私を含め、おそらく多くの聴衆はそれを理解するだけの力を持ってはいない。
将来的にこれらの作品は何世紀もあとでどのように評価されるのだろう。
ちなみに私はこの交響曲が入っているCDの中の作品では、
ピアノ三重奏曲(1989年の作品)が印象に残ったのである。