
森友学園の国有地取引に関する決裁文書の書き換えで、財務省は今日(12日)自民公明に書き換えがあったことを認める報告を行った。なんでまず第一に、自民党と公明党か良く解らないが、ご容赦のほどとか、お手柔らかにお願いしますとでも言ってのであろう。
今頃になって書き換えを認める姿勢に転じたのは、否定し切れないと見たのであろうが、事件発覚から一年経っての渋々の態度である。安倍晋三は丁寧な説明を繰り返してきたが、木で鼻を括ったような回答しかしていない。森友問題は時間が経っても、消えるどころか更なる疑念が次々と噴き出している。朝日などのスクープがなければ、”ばれずに良かったね”で収まる所である。
麻生太郎は先ほど記者会見をして、「書き換えがあったのは、森友学園への格安の払い下げ問題が発覚した昨年2月下旬から4月で、理財局で14件の文書で書き換えがあった」と述べた。自らの責任や進退については「考えていない」と語った上で、「最終責任は当時の理財局長の佐川でああり、それより偉い人に及ぶものではない」と言い放った。
書き変えられた文章の中には、複数の政治家の名前があったり安倍昭惠の名前があったことについては言及していない。
「本件の特殊性」などといった文言を削除や安倍昭恵関与したという記述も消した。平沼赳夫や鴻池祥肇などの当相ら複数の政治家の名前が削られたケースもあったという。
麻生太郎は、削除など書き変えの内容については何にも言ってない。形式的に遺憾であると述べた程度である。公文書の書き変えの問題性への実感が何もない。
何より、”ばれたから謝る”という麻生太郎の姿勢が許せない。安倍晋三が忌み嫌う朝日新聞のスクープがなければそのまま行ったのではないか。他にも同様のことが沢山あるのではないだろうか。特に加計学園問題については、もっと規模が大きくなり、金額も関係団体もより複雑に深く関係しているかに見える。特に安倍晋三自身の介在があるだろうが、より大きな疑惑というより疑獄という構造になっていないだろうかと思える。森友問題は、「特殊性」を抱えた問題などではなく、安倍政権の普遍的で恒常的な問題なのでないかとも思われる。
籠池夫妻を長期拘束するほどの傲慢さがあるなら、何時でも安倍昭惠を収監できるはずである。司法も忖度しているのか。