
このような投票行動は、プーチンの命令の元に行われものではない。彼らは問い詰められても決して、上からの指示があったとは言わない。選挙に不正があっても、プーチンが罪に問われることはない。
住民の自主的な行動、忖度によるものであるからである。命令系統もなければ、実行者やそれに関わったものに権限があったわけではないし、金が動いた形跡もないと思われる。正義を貫くことよりも、権力者の庇護のもとにあるほうが彼らの利益につながる。現場の選択である。
神風特攻隊の前例にもなる、フィリッピンでの特攻があった。弾薬のなくなった日本がゼロ戦で飛び込ませたのである。そこには、兵士のボランティア実行されたと記載された看板が立っている。特攻隊はボランティアなのである。ボランティアとは志願兵のことであり、上官からの命令ではない。しかし命令以上に強い服従を強いる、反論ができないような体制になってはいた。戦陣訓や教育勅語で洗脳された若者たちは、志願して死の片道飛行のゼロ戦に乗ったのである。
忖度よりもこれは強いものがあり、結果も悲劇的である。ボランティアは志願兵であり、自ら進んで行ったことである。忖度だって同じである。将来を約束してくれる人事局を見ながら、進んでやる。文書改ざんなど不正が発覚しても、上司は安倍のように、「僕知らないよ。妻も関係してません。」と言ことになるのである。
本来は、忖度もボランティアも見返りを求めない、美しい行為であったはずであるが、安倍昭惠がこれをこれを”総理夫人”をバックに、思う存分悪用したのである。今のところ森友問題だけが日の目を見てしまっただけのことである。
