テロ行為そのものは淫靡な殺人行為であり、社会的にも道徳的にも決して許されるものではない。しかし、頻繁に使われるテロの定義は曖昧である。現在使われているテロの定義は、9.11以降ブッシュが正義につくかテロにつくかという、恫喝ともいえる発言に依拠していると言える。
「テロリズム( terrorism)とは、何らかの政治的目的のために、暴力や暴力による脅威に訴える傾向や、それによって行われた行為のこと」(ウィキペディア)であるならば、戦争ですらテロの範疇に入る。
あるいは、直接暴力でなくても、威嚇であれば矢張りテロ行為と言える。テロ行為という言葉を乱発するのは、大国である。アメリカや中国やロシアが頻繁にこの言葉を、自らが抑圧した人々あるいは民族あるいは宗派の抵抗に対して、テロ行為と呼び捨てる。
今日起きた、新疆ウイグル自治区の最深部のカシュガルの出来事はどうだろう。中国政府は、テロリストが交番を襲ったと発表した。テロリストはナイフを用いて襲ったが、7人が射殺され一人が拘束されたとしている。
カシュガルは、ウイグルやカザフやキルギス族たちの町である。漢族は、1%もいない。その漢族が政治を握り経済を抑えて、警察官として監視する。漢族の行為こそがテロ行為に近いと言える。
ウイグルの人たちは温厚な人たちである。嘉峪関からカシュガルに至る、西域南道と呼ばれたシルクロードの道は、ウイグルの人たちの地域である。
この地域が漢族の中国に編入されることに、違和感を覚える。西域南道の要衝である和田(ホータン)では、ウイグルに対する非人道的迫害が繰り返されている。鉱物資源の豊かな新疆ウイグル地区全域で、宗教的抑圧と規制は恒常的に行われている。
中国は日本に対して、歴史認識を促すが、その言葉をそっくりこの地域のことを鑑みてお返ししたいものである。テロ行為には、行為の悪の面が強調されるが、弱者の行為であるとも捉えることができる。
諍いを収めるには、強者が譲ることが前提になる。大国は、体制の保持のためこのような寛容を示すことがないのが、テロの土壌になる。
南ロシアでも、冬季オリンピックを意識した、爆破テロが起きている。全く同様のことが言える。