鳩山由紀夫が首相の職を投げ出した。9カ月しかもたなかった。安倍、福田、麻生と曲がりなりにも、12カ月続いた自民党内のタライ回し政権以下である。4代とも 首相の孫や息子たちばかりである。なりふり構わず政権のを奪取した首相たちとは明らかに異なり、彼らは権力の座に淡泊である。
参議院選挙までは持つのではないかと思っていたが、現実感のない思いつきの表現が余りにも多すぎた気がする。海外メディアには、まるで回転ドアのように入れ替わる政権と日本を表現している。
自民党政権と異なるのは、鳩山自身が選挙戦を戦って得た政権交代である。そのために、多くの国民が過大と思える期待を寄せていた。鳩山の友愛政治と称する政治理念は、清濁併せ呑まなければならない権力の座にいては、具体策を示せるものではなかった。
今回の鳩山辞任で唯一評価されるべきは、小沢一郎を抱き込んだ辞任劇に仕立てたことであろう。只一人、小沢一郎に鈴をつけられる立場にある鳩山が、最後の行った政治と金に関する決着だったと見てよい。小林千代美にも辞職を迫ったのも同様の思いだったのだろう。
それにしても、せっかく政権交代したのであるから、自らの理念をもっと前面に押し出して、大胆な政策転換を行って欲しかった。実質初の政権交代であるから、思惑と異なることも少なからずあったろうし、僅か半年足らずいで期待できる成果を国民は知っているはずである。例えば、事業仕分けで官僚の持つ既得権をいくら削減したとしても、国民は金額ではなく内容と姿勢を評価したはずである。
密約を明らかにしたことや脱ダムにしても、自民党政権では決して取り組めなかったことである。これらは不十分であっても、評価に値はする。同じように、普天間にしても、県外を言い通せばよかったのである。実現しなければ、アメリカや旧自民勢力や北朝鮮のせいにすればよかったのである。彼にはそうした強さも居直りもなかった。誠心誠意話せば聞いてくれる人たちに囲まれた、幼少時代が目に浮かぶ。
いずれにしても、これほど短命に終わるのは日本にとって不幸なことである。次期政権には、こうしたことを学んで逞しい政権を期待したいものである。