大関琴光喜の野球賭博が発覚してから、その後の展開は目を覆うべき情けない相撲界の、醜悪が曝されている。琴光喜が、野球賭博だ買ったのに金を払ってもらえなかった、それを仲介してやるとした人物に金を取られ騙された。仲介者を訴えるとか訴えるかどうかの話ではない。
新弟子を寄ってたかって、撲殺した時にもその内容が解らないまま闇に葬り去られる寸前で、発覚した事件があった。撲殺を行った責任者の親方は、全く反省もなく法廷でも、自らの正当性を譲っていない。大相撲の封建体質はここにある。
大麻を吸ったロシアの力士を解雇した時にも、どうやら日本の力士は受難を逃れたようである。ここでも身内に甘く、タニマチによっこされる体質から抜け出していない。この時、文科省大臣に謝罪した時にも、大臣が頭を下げ、謝罪に来た大柄の理事長がそっくりかえっていた。
朝青龍が何度事件を起こしても、たった一人の横綱に躊躇した内容の判断しかできなった。暴力沙汰が発覚した時には、即刻解雇するべきであった。横綱という地位の人間の意味を、相撲協会は理解していない。朝青龍の意見など聞く必要など毛頭なかったのであるが、結局は甘い判断になって、嬉々として彼は次の事業に乗り出している。相撲協会は、朝青竜に足蹴にされた時か思えない。
古くから、相撲は地方巡業で大衆に接してきたのである。お相撲さんを直接見れる地方巡業は、相撲人気の底辺を支えるものである。朝青龍はこれを無視して2場所だか停止にあっているが、この地方巡業は古くから、地方の興行主が仕切っていた。多くは暴力団関係者である。
こうしたつながりが、山口系の暴力団にテレビに映る席を用意することになったのである。それでなくても、タニマチにはそうした関係者が数多くいる。今回の野球賭博も、狭い部屋で退屈する力士たちにとって、格好の遊びごとであったのであろう。暴力団の世話人がいたのであろうか。
親方制度なども、伝統という名のもとに閉塞されたところでのやり取りである。相撲協会には、元力士しかいない、限られて人間関係の極めて封建的な組織であると言える。更に、古くから八百長疑惑は絶えたことがない。
転換点は幾度もあったが、いずれの時点でも自らに甘い判断をし、世の動きについて行くことができない対応しかしてこなかったのである。民間経営にすることで、よいしょされ続ける体質から脱却するべきと思われる。