田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

怪盗グルーの月泥棒 3D

2010年11月07日 17時13分31秒 | 日記
な~んか話題になってましたよね。つるべさんと子役の女の子は映画祭まで行ったりして。
予告を見てもおもしろそうだったので、楽しみにしてました。

グルーは世界一の怪盗を目指しています。今回はピラミッドが盗まれた!それを超えるためには月を盗むしかない、と思ったグルー。しかし、そこにベクターという手ごわいライバルが現れます。彼を出しぬくために孤児の姉妹を養子にしたグルー。しかし、慣れない子供たちには天下のグルーも戸惑って・・・という話です。

で、まぁ・・・結論から言うと、普通~~の映画でした。
おもしろいんですが、ビミョウに笑うツボがずれているというか・・・。もちろん、それは私だけかもしれません。一緒に行った娘はウケてましたし。

でも、最近みたアニメの「おまえうまそうだな」よりはもっと子供向けだったような気がします。アニメなんだから当たり前なのかもしれませんが・・・。

あ、でもグルーのお母さん、いえこの場合は「おかあちゃん」のほうがピッタリかもしれません。あのおかあちゃんにはウケました。今度はこちらのキャラを主人公にお話を作ったらどうでしょうか(笑)。

しかし、グルーのライバル、ベクターもすごかったですね。あのベクター邸のしかけのすごさはどう!しかもホイホイとその仕掛けを操ってる。
ライバルではなく、あの二人が手を組めば凄いことができるのではないかと思ったのは私だけでしょうか?ちなみにベクターの声は山寺宏一さんでした。

しかし、時代は「家族」「暖かさ」を欲しているのでしょうか。最近こういう内容の映画が多いように思います。
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冬の小鳥

2010年11月06日 21時43分37秒 | 日記
久しぶりに韓国映画です。

主人公は幼い少女。父親に、孤児院に捨てられてしまうシーンから始まります。
後からわかることなのですが、父親はどうやら赤ちゃんのいる女性と再婚したようです。
小さい女の子にはよくあることで、少女は赤ちゃんを抱こうとします。しかし、誤って安全ピンが足に刺さってしまっていたのです。母親は、早速妬いているんだと解釈し、夫に少女を捨ててくるように要請したようです。

悲しいですねぇ、こんなこと、実の子供だったら絶対そんな邪推はしないのに。
スピルバーグの「A.I」を思い出しました。悲しいですね、ほんとに。

しかし・・・私、自分が再婚の経験がないからわからないのですが、男の人ってこんなに妻の言いなりなんですか?自分の娘なのに・・・。それとも、お父さんも同じ解釈したのかな。
子育てした経験から言うと、小さかろうと大きかろうと、女の子って赤ちゃんを抱きたがるものなのに。それがどんなにあぶなっかしくても。

おかげで、少女はいつまでも「お父さんが迎えに来る」と信じてやみません。
周りの大人たちも、「お父さんは来ないよ」なんて、言いません。

(この辺で、最近見たジャッキー・チャンの「ダブル・ミッション」を思い出しました。
あの映画の中でも、両親が再婚して父親の連れ子だった子が、父親が家出してしまったあとに肩身の狭い思いをしながら、そしてもう大きいから半分わかっていながら「お父さんが迎えに来るはず」と言っていたのでした。)

それで、少女の自分探しの旅が始まるのです。
養父母が決まって、お祝いされながら施設を出てゆく女の子たち。
大きくなってしまうともらい手がなくなると、生理を隠して英語を勉強してまで自分を売り込む年上の少女。

足が悪いために大きくなるまで在院してしまい、やがてお手伝いさんとしてもらわれてゆく女性。

少女が、年上の少女と一緒に拾って育てていた小鳥もやがて亡くなってしまいます。

周りがどんどん変化してゆくなか、無口な少女もいろんな試みを経て、やがて自分には他の道がないことを自覚してゆきます。

この辺は子供の柔軟性ですね。でも、偉いですね、はっきりお父さんの顔も覚えてると言うのに、こんな風に自覚できるなんて。
日本と風土もまた、違うのでしょうね。

淡々とした、静かな映画でした。そして、お父さん役は、先日「TUNAMI」でおもいっきり若づくりしていたソル・ギョングでした(笑)。
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ペルシャ猫を誰も知らない

2010年11月04日 22時45分43秒 | 日記
最近、音楽映画が多いんですかね、先日も「ベンダ・ビリリ!」という映画を見たのですが、”知られていない後進国の音楽は実はすばらしい”というコンセプトが共通してますね。

この映画において、「ペルシャ猫」というのはイラン、そしてイランで当局の目を逃れながら音楽活動をする若者たちを指すんだそうです。

ゲリラ撮影を行いながら作った映画、そしてほとんどは実在のミュージシャン。
主役の二人などは、撮影後4時間でイランを離れたそうです。

むむむ・・・ぬるま湯の日本にいるとちょっと考えづらいけど、監督もイランを離れたそうです。

音楽は万国共通の言語、ありとあらゆる国で同様のことが起きているのでしょう。

私は音楽に詳しくないけれど、「俺はイランから出ない。ここが俺の舞台だ」と言っていたラップミュージシャン。彼の歌がインパクトつよかったですねぇ。

素晴らしい!歌詞もリズムも。あの歌のCDなら欲しいな。


どこの国の若者も大変なんだねぇ・・・。
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悪人

2010年11月03日 12時52分03秒 | 日記
やっと見ました~、「悪人」。話題の邦画ですものね、見ておかないと。

<ネタバレあり>



さすがですね、評判がいいだけのことはあります。妻夫木くんもがんばってますし、深津さんもさすが。一番驚いたのは樹木希林さんのうまさ!うますぎです。

樹木さん演じるおばあちゃんが「美人秘書」とか言われてうさんくさい男にだまされていくところは見ていてつらかった。その男の家で怖そうな男たちに脅されて、高価な健康食品買わされるところなんかは、目をそむけそうになりました。

なんであんなおばあちゃんを騙すんだろうね。彼らに親や祖母はいないのかな。

あんまりリアル過ぎる映画も・・・見ていてつらいかも。

そういう意味では、なんて言うんだろ、私の周りが平和なだけなのかもしれないけれど、ちょっと悪い奴らを描き過ぎかな、って感じがした。もちろん、だから「悪人」なんだろうけど。

でも、こんなに「悪人」ばかりだと生きてゆけないでしょ?ちょっとあんまりじゃない?

深津さんだってまだ若いし、1人でいるのが好き、あるいは家でいるのが好きっていう女性だっているはず(だと私は思う)。だからって、愛に飢えてるとか孤独だとかっていうのも短絡的な感じがするし、彼がいるからどうとか、いないからどうとかって、人生はそんな単純なものではないと思う。

殺されちゃうひかりちゃんだって、ちょっと自己中すぎるでしょ。あんなに雰囲気読めないもんかな・・・岡田君(だよね)にウザがられてるのは一目瞭然だし、自分に自信があるのは結構だけど、大したことないと見た妻夫木くんにあんな露骨な態度を取るって・・・。
あんなにひどい女性ってそうそういるのかな。なんだかな~~って思ってしまった。
ご両親が堅実なだけにね、不思議な感じがした。

妻夫木くんと深津さんが灯台にこもるところで、古いけれど「愛の嵐」を思い出してしまった。
あれも名作だったよね~~、確か、若かりしシャーロット・ランプリングの映画だったはず。

あ、その辺で明らかになる、妻夫木くんの小さい頃の過去。いくら時々来ていたからって、灯台に置き去りはつらいよね・・・、あんまりだよね。
でも、そんなことする母親って、そうそういないでしょ?普通ないでしょ?
そりゃ、まれにあるのかもしれないけれど(そういえば最近マンションに置き去り事件があったけど)、設定が希少すぎる。だから、妻夫木くんがああいう大人になった、とか言われればそうなのかもしれないけれど、あんまりな設定だと思う。

最後、警察が来ているのがわかって深津さんの首を絞めた妻夫木くんは、完全に自分一人を悪者にするため、彼女を完全な被害者に仕立て上げるためにわざとやった、と私は見ているんだけれど、そうじゃないのかな?

でも、そうじゃないと、あまりに救いがなさすぎる。私はそう思いたい。

確かに名作だとは思うけど、見た後心と体がず~~んと重くなってしまいました。
この映画が大好きなひと、ごめんなさい。
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アイルトン・セナ 音速の彼方へ

2010年11月01日 23時05分43秒 | 日記
あの頃・・・そう、天才アイルトンがいて、プロフェッサー・プロストがいて、本能のままのナイジェルや女性にもてまくるベルハルト、従順なデイモンやモレノ、おちゃめなピケなど(もちろん他にもいっぱい・・・)個性豊かなドライバーが揃っていて、おもしろかったなぁ。

日本もあの頃が一番盛り上がっていたような気がする。みんな燃えてたよね。

私は日本でF-1が開催されるようになって3年目くらいに見に行ったと思うんだけど、今ほど座席もなくて、歩きまくったのを覚えてる。

あのころって(今でも名を変えて存在するのかしらんけど)、SWCとかあって、ミハエル・シューマッハなんかはこちらで走ってた。ベンドリンガーとチームメイトだったと思う。
でも、その才能の片鱗は見えていて「そのうちF-1へ上がってくるんだろうな」と思わせた。

ともかく、本当におもしろい時代だったと思う。
確かに、マクラーレンにセナとプロストがいたころは16戦中15勝とかで「おもしろない~」と思ったこともあったし、ウイリアムズの車が良すぎたときは「つまんない」と思っていた。
でも、やっぱり見てた(笑)。つまらないことだけれど、「名前が同じだから」って、デイモン小暮閣下がデイモン・ヒルに寄付してたのを覚えてる。

今回のセナの映画では、その懐かしい頃を中心に、セナがまだカートで走っていた頃の映像から亡くなるまでの軌跡を(すこしセナ寄りの解釈も散りばめながら)描いてゆきます。

冒頭、「監修 森脇基恭」という文字が見え、「あら!」と思いました。それなら安心して鑑賞できます。

どんなスポーツでもそうですが、大きくなればなるほど、政治が絡んできます。そんなことはみんなわかっているんでしょうけど、それでもやっぱり一番を目指してがんばるんですね、だれしも。

あのころ(1980年代後半から90年代前半にかけて)、F-1を見ていた人間にとっては懐かしい映像が次々に現れます。
「あぁ、そうだったな、セナが初めてブラジルで優勝したときは、こんなふうに叫び声がそのままマイクに入って聞こえていたな」とか、「あ!このときは確かシケイン不通過とかで失格になったんだったな」とか、いろんなことが思い起こされるわけです。

そして、運命のイモラ。日本では泣きながらリポートする男が二人。今宮さんと森脇さんですね。あの時もらい泣きしたのを思い出して再び泣いてしまいました。

かの天才は、あのとき亡くなったから伝説になったのかもしれません。でも、やっぱり悲しいです。生きていて欲しかったですね・・・。
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