岡山市議会議員/おにきのぞみの虹色通信

〈いのち・みどり・平和〉を大切にする
 政治や暮らしをつくっていきたい。

8月15日 長泉寺にて平和の鐘 & 「幸せなら手をたたこう」に込められた平和への想い

2016-08-15 | おにき日記








 「幸せなら手をたたこう ~ 名曲誕生の知られざる物語」というドラマが、7月31日にNHKの BS1で放映されました。このドキュメンタリードラマを見て、全世界で愛されているこの曲に託された「平和」への想いを知ることができました。
 この曲は、東京オリンピックが開かれた1964年に坂本九さんが歌って大ヒットしましたが、作詞者は、当時25歳の大学生であった木村利人さん(早稲田大学名誉教授)です。
 木村さんは、1959年にフィリピン農村でのYMCAワークキャンプに参加をしました。そこにはフィリピン人青年ボランティアもいたのですが、「日本人がきたら殺そうと思っていた」という程に殺気だっていたのです。訪れた村では太平洋戦争末期に、日本軍が抗日ゲリラとみなした民間人をたくさん殺しました。教会の碑には、「日本兵は村人をここに閉じ込めて皆殺しにした」と書かれていたそうです。
 木村さんは、心傷み、苦しみ、祈り、懸命に働き、ともに汗を流します。そんな木村さんの姿に、フィリピン人青年が、「過去の戦争のまちがいは赦します。戦争を再び起こさないよう、ぼくらが誓い合おう」と手をとって伝えたのです。
 その村で子どもたちが歌っていたのが、手や足をたたきながらみんなで楽しく遊ぼうと呼びかける歌でした。スペイン民話として地元に伝わるこのメロディーに、木村さんがオリジナルの詞をつけました。青年が木村さんへの感情を「態度に示した」ことと、聖書で出会った「手をたたこう」という言葉が元になっています。「幸せなら手をたたこう♫」の誕生です。
 帰国後、YMCAの集まりなどで披露をし、学生などの間に広まり、坂本九さんが耳にして、大ヒットにつながっていったということです。木村さんは、「歌で世の中を平和にしたい。怒ったり、悲しんだり、苦しんでいる人に希望の光を届けたい」と番組のなかで言われています。

 さて、私がフィリピンの言葉で歌える数少ない曲の一つが、この「幸せなら手をたたこう」です。ネグロス・キャンペーン活動にかかわって10周年の1996年。私は訪れたサンフリアン村で村人たちと本当に仲良く過ごしました。歓迎会で子どもたちが歌ってくれたのが、この「幸せなら手をたたこう」で、私はこれなら私にも歌えると、子どもたちから一番と二番の聞き取りをして、練習をしたのです。
 そして、このサンフリアン村で、はじめてネグロス現地に友達ができました。その友達が私に伝えてくれた言葉が、「これまで日本人はとても怖い存在だった。でも、のぞみと出会って、そのイメージが変わった。フィリピンと日本の平和のために、ぼくたちは永遠に友達でいよう」と。
 木村さんがワークキャンプでフィリピンを訪れてから37年経ってのことです。私はネグロスの人と出会うことで、私と同じ世代であっても現地の人は今も日本人を恐れ、例えば日本人との結婚はとても受け入れられない状況であることを知りました。

 そして、今年、YMCA関係の方から、このドラマ放映と「幸せなら手をたたこう」という歌の本当の意味を教えていただきました。
 今年も8月15日に、長泉寺で平和への鐘をつきました。岡山ユネスコ協会としては17回目、私にとっては20回目の節目の年になります。記念講演では、岡山空襲についての話をお聞きしました。戦争への道を許さないために、戦争とは何かをきちんと知り、顔の見える具体的なつながりのなかで「平和」をともに築くことを大切にしていきたいです。

*朝日新聞「be」掲載記事を参考にしました。



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