時間経っちゃいましたが、プロフェッショナル 仕事の流儀の正月特番、《イチロー・スペシャル》、面白かったです。
茂木健一郎 クオリア日記の記事、《プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロー・スペシャル》とか、
すみきち&スタッフブログの《1月2日夜9時!「イチロー・スペシャル」》、とか、
Nikkei BP online 記事、自分の感覚を信じ抜く「言い訳」できない生き方 イチロー(compiled by 渡辺和博(日経BP))だけでなく、視聴者のブログも数多く感想が書かれています。
深い話、重い言葉がたくさんありました。
イチローの私生活でのリラックスした姿、そして、試合に臨む超一流のプロとしての姿。
ここまで取材できたというのは素晴らしいですし、取材嫌いのイチローもよくここまでさらけ出してTV相手に語ってくれたと思います。
自分の感性をここまで信じきっていて、世間はどうあれ、それだけで勝負しているという、その生き方、素晴らしいです。
こんなにまで徹底的に、究極的に自分を信じ、自分の判断に疑いなく従えるものなのか。
「ボール球を打たなければ、間違いなく自分が一番ヒットを打てるはず」と言い切る。
「過去の自分のバッティングを振り返ると、よくあれで打てたなって、今もそう思う。これは終わりがない。」と言う。
「7年目の去年のシーズンにして初めて、重圧から目を背けず、あえてそれに向き合い、敢然と挑むことができた。」と言う。
技術的なことだけでなく、生活の細かい部分でも、彼一流の拘りを持つ。
こうでなければならない。
その理由はこう。
感性の話だけど、論理的に説明できる。
深い哲学がある。
普通の一流プレーヤーの何倍も考え抜き、つきつめて、技術も精神もどんどん研ぎ澄まされて余計な部分がそぎ落とされていく。
見終わっての第一印象として、サッカーの中田もそうだけど、なんか羽生二冠に似ているな、と思った。
そう思って調べていたら、やはりそう感じた方がいたようです。
のほほん便りの「プロフェッショナル」イチロー・スペシャルです。
一部引用させていただきます。
-----------------------------------
なんだか、肌触り的に「…羽生善治(の回)に似てるナ」というのが素朴な感想、でした。
やはり若くから頭角を発揮し、前人未踏の境地に至った方には、どこか通じるものがあるのででしょうか?
ストイックさが、どこか浮世離れした空気を醸し出してるあたり… 通じるものありますよね
なにげないことながら、「弓子夫人の作ったカレーライスを、(ブランチとして)7年間毎日食べている」ってあたり、羽生善治が、棋士会館への道を、同じ時間帯。同じルート、電車と徒歩で通い、同じメニュー(これまた、かなり素朴で質素)を食べ続け…
その“決まったパターン”行動によって、徐々に“自らを調整してる”あたり「…なるほどナ」なものがあったのでした。茂木健一郎の「(無意識をコントロールするには)それしか無いでしょう」発言に、さらに納得!
だけど、試合前後の近寄りがたいほどの、ピリピリした雰囲気と、とくにオウチに戻り、愛犬・一弓と戯れてる時の、きわめて無防備な表情とのコントラストが、うんと印象的。
あれほどの大記録をうちたて、そして、塗り替えてる選手にもかかわらず、いまだに「緊張に弱い」と素直に心情を吐露するあたりや、「時差に慣れない」(眠れないと、気弱になる)ってあたり、その人間臭さに、勝手に親近感。
--------------------------------------
圧倒的な高みを目指す一人の人間として、自分の経験と感性だけを頼りにして、終わりのない道を歩む。
あまりにも壮大で不思議な宇宙のようなイメージで、愛する野球というものを捉えようとしている。
深すぎるし、大きすぎるし、すごすぎる話で、
見習いたいとか、参考になる、とか、そんな単純な話ではないと思う。
でも、
野球が好き、そして、ヒットを打つためにどうするか。
将棋が好き、そして勝つためにはどうするか。
そのためには何をしないといけないか。
大局観と技術を高めるため、自分で納得がいくために、どうするのか。
そのための普段の生活はどうあるべきか。
これは必ずして、あれは絶対にしない。
試行錯誤の中で、何を掴みとって、どのように自分の中にそれを生かしていくのか。
無理やり自分に置き換えようとしてみると、
今の自分の目標は何か。
その達成のために、自分はどうするのか、何をしたらいいのか。
それをひとつひとつクリアしていき、レベルアップしていくことしかない。
仕事でも、趣味でも、強い目標達成意欲を持ち、その達成のための戦略を必至で考える。
それは、なぜ?
その方法は?
それしかないのか?
と、つきつめてつきつめて、考え抜く。
そしてそれを強い精神力で地道にかつ真剣に実行していく。
レベルや才能は違えど、基本は同じような気がする。
自分の才能や現状を客観的に分析し、達成可能な目標を設定し、そこに向かって、真摯に真剣に突き進む努力。
そんな毎日を送らなければいけない。
送りたいと思う。
あんな表情がしたい。
あんな目をしたい。
鈴木一朗から、徐々にスイッチが入っていき、試合モードに変質したときのイチロー。
対局モードに入り、盤に向かっているときの、羽生睨みとも言われてしまうような羽生二冠。
あんなに自分の感性だけを強く信じられる自分になりたい。
そして、ストイックすぎず、
自然に、明るく、さりげなく努力を継続できる自分でありたい、
なんて、
いつになくマジに考えた自分がいました。
茂木健一郎 クオリア日記の記事、《プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロー・スペシャル》とか、
すみきち&スタッフブログの《1月2日夜9時!「イチロー・スペシャル」》、とか、
Nikkei BP online 記事、自分の感覚を信じ抜く「言い訳」できない生き方 イチロー(compiled by 渡辺和博(日経BP))だけでなく、視聴者のブログも数多く感想が書かれています。
深い話、重い言葉がたくさんありました。
イチローの私生活でのリラックスした姿、そして、試合に臨む超一流のプロとしての姿。
ここまで取材できたというのは素晴らしいですし、取材嫌いのイチローもよくここまでさらけ出してTV相手に語ってくれたと思います。
自分の感性をここまで信じきっていて、世間はどうあれ、それだけで勝負しているという、その生き方、素晴らしいです。
こんなにまで徹底的に、究極的に自分を信じ、自分の判断に疑いなく従えるものなのか。
「ボール球を打たなければ、間違いなく自分が一番ヒットを打てるはず」と言い切る。
「過去の自分のバッティングを振り返ると、よくあれで打てたなって、今もそう思う。これは終わりがない。」と言う。
「7年目の去年のシーズンにして初めて、重圧から目を背けず、あえてそれに向き合い、敢然と挑むことができた。」と言う。
技術的なことだけでなく、生活の細かい部分でも、彼一流の拘りを持つ。
こうでなければならない。
その理由はこう。
感性の話だけど、論理的に説明できる。
深い哲学がある。
普通の一流プレーヤーの何倍も考え抜き、つきつめて、技術も精神もどんどん研ぎ澄まされて余計な部分がそぎ落とされていく。
見終わっての第一印象として、サッカーの中田もそうだけど、なんか羽生二冠に似ているな、と思った。
そう思って調べていたら、やはりそう感じた方がいたようです。
のほほん便りの「プロフェッショナル」イチロー・スペシャルです。
一部引用させていただきます。
-----------------------------------
なんだか、肌触り的に「…羽生善治(の回)に似てるナ」というのが素朴な感想、でした。
やはり若くから頭角を発揮し、前人未踏の境地に至った方には、どこか通じるものがあるのででしょうか?
ストイックさが、どこか浮世離れした空気を醸し出してるあたり… 通じるものありますよね
なにげないことながら、「弓子夫人の作ったカレーライスを、(ブランチとして)7年間毎日食べている」ってあたり、羽生善治が、棋士会館への道を、同じ時間帯。同じルート、電車と徒歩で通い、同じメニュー(これまた、かなり素朴で質素)を食べ続け…
その“決まったパターン”行動によって、徐々に“自らを調整してる”あたり「…なるほどナ」なものがあったのでした。茂木健一郎の「(無意識をコントロールするには)それしか無いでしょう」発言に、さらに納得!
だけど、試合前後の近寄りがたいほどの、ピリピリした雰囲気と、とくにオウチに戻り、愛犬・一弓と戯れてる時の、きわめて無防備な表情とのコントラストが、うんと印象的。
あれほどの大記録をうちたて、そして、塗り替えてる選手にもかかわらず、いまだに「緊張に弱い」と素直に心情を吐露するあたりや、「時差に慣れない」(眠れないと、気弱になる)ってあたり、その人間臭さに、勝手に親近感。
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圧倒的な高みを目指す一人の人間として、自分の経験と感性だけを頼りにして、終わりのない道を歩む。
あまりにも壮大で不思議な宇宙のようなイメージで、愛する野球というものを捉えようとしている。
深すぎるし、大きすぎるし、すごすぎる話で、
見習いたいとか、参考になる、とか、そんな単純な話ではないと思う。
でも、
野球が好き、そして、ヒットを打つためにどうするか。
将棋が好き、そして勝つためにはどうするか。
そのためには何をしないといけないか。
大局観と技術を高めるため、自分で納得がいくために、どうするのか。
そのための普段の生活はどうあるべきか。
これは必ずして、あれは絶対にしない。
試行錯誤の中で、何を掴みとって、どのように自分の中にそれを生かしていくのか。
無理やり自分に置き換えようとしてみると、
今の自分の目標は何か。
その達成のために、自分はどうするのか、何をしたらいいのか。
それをひとつひとつクリアしていき、レベルアップしていくことしかない。
仕事でも、趣味でも、強い目標達成意欲を持ち、その達成のための戦略を必至で考える。
それは、なぜ?
その方法は?
それしかないのか?
と、つきつめてつきつめて、考え抜く。
そしてそれを強い精神力で地道にかつ真剣に実行していく。
レベルや才能は違えど、基本は同じような気がする。
自分の才能や現状を客観的に分析し、達成可能な目標を設定し、そこに向かって、真摯に真剣に突き進む努力。
そんな毎日を送らなければいけない。
送りたいと思う。
あんな表情がしたい。
あんな目をしたい。
鈴木一朗から、徐々にスイッチが入っていき、試合モードに変質したときのイチロー。
対局モードに入り、盤に向かっているときの、羽生睨みとも言われてしまうような羽生二冠。
あんなに自分の感性だけを強く信じられる自分になりたい。
そして、ストイックすぎず、
自然に、明るく、さりげなく努力を継続できる自分でありたい、
なんて、
いつになくマジに考えた自分がいました。
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