
会社の近くにある古くからの名店が、今月末、時代の波に飲まれて、閉店します。
鈴木真砂女って知ってますか?
羅(うすもの)や 人悲します 恋をして
などなど、恋の句となればこの人、という俳人。
僕は俳句の世界は全く疎くて、知りませんでしたが、丹羽文雄の小説「天衣無縫」や瀬戸内寂聴の「いよよ華やぐ」に書かれてもおり、つとに有名な人のようです。
どんな人かと言えば。
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明治三十九年、千葉県鴨川市の老舗旅館(現在の「鴨川グランドホテル」)に三姉妹の末娘に生まれる。昭和四年、二十二歳で日本橋は問屋のお坊ちゃんと恋愛結婚。女児を恵まれるも、夫は花札賭博に狂った果てに失踪。十年、実家の旅館を継いだ姉の急死に遭い、父母に説き伏せられ、義兄と結婚。家のためを考えてである。夫は良い人だ。だがどうしても好きにはなれない。
女将稼業は些事多忙だ。鬱々とした日々がつづく。そんなとき真砂女は俳句と出会うのである。亡き姉は俳句の書き手だ。その縁で誘われるまま打ち込む。
過去は運にけふは枯野に躓けり
夫運なき秋袷着たりけり
運に見放された幸薄い女。真砂女は辛いばかりの胸のうち思いのたけを作句に託す。そして女将になって二年後、三十歳のとき事件がある。
口きいてくれず冬濤見てばかり
男憎しされど恋し柳散る
恋の相手は客の一人、七つ下の海軍士官。すでに妻があった。十三年四月、真砂女は家出する。折しも日中戦争たけなわ。愛しい人は長崎の大村に転属していた。ただもう士官さんを一目みたさ。鞄一つ持って下関行の特急に乗っていた。やっと彼に会えたが、喜びもつかの間、すぐに別れの時がくる。恋人は戦地へ行く。自分は主人の許へ。夫は黙って妻を迎え入れた。それどころか「家出の褒美でもあるまいが、二カラットのダイヤの指輪を買ってくれた」(「家出事件まで」)。
鏡台にぬきし指輪や花の雨
あるいはそのダイヤのだろうか。はたまた結婚記念のものか。真砂女は指に光るそれを鏡台に雨の音をききすむ。またこんな句もみえる。
罪障のふかき寒紅濃かりけり
罪障は成仏往生を妨げる罪業。寒紅は寒期に作る色鮮やかで美しい口紅。その背負った罪の意識のほど、あえて派手に紅を引き化粧する。
ここに掲げる句をみよ。「人悲します」の人とは、相手の妻、さらには、自分の夫。どちらにも詫びようもない思いをさせた。もうこのまま自分を偽って生きてゆけない。
三十二年、五十歳で離婚。裸同然で家を出た真砂女は銀座の路地裏に、カウンター九席、奥に小部屋が二つの小料理店「卯波」を開く。店名の由来の一句。
あるときは船より高き卯浪かな
「人生も浪の頂上に佇つときもあれば奈落に落ちることもある。そして又浮かびあがる」(「銀座「卯波」開店」)。この明るさ。真砂女の人柄もあって、文人、俳人が出入りし店は繁盛する。
黴の宿いくとせ恋の宿として
初めてのアパート住まい。六畳一間。真砂女は振り返る。「……遂にボロボロ涙が出て来て情けないやら、みじめやらで何べん泣いたことだろう。しかしこのアパートの一年間の生活は私にとって幸せを噛みしめた一年であった」(「同」)じつはそこで恋人と一緒だったのだ。そうなのだが幸せは長くつづかない。
幸は逃げてゆくもの紺浴衣
どうしたって男には妻がいるのである。真砂女は言う。「この一年に生涯を賭けたようなものである」。一緒には住めない。だがしかしなお歯痒いような関係はつづいている。そうして突然、終幕がきている。
五十一年、恋人は脳血栓で倒れ、以後植物人間になる。翌年、一度も見舞うことも叶わぬまま、愛しい人は逝く。
かくれ喪にあやめは花を落としけり
「かくれ喪」とは哀しい、真砂女の造語。「お寺の門の表の暗がりに佇ってひそかに一人で通夜をし、葬儀の焼香は彼の友人が夫人の了解を得てお別れが出来た。……私は南国の海辺生まれの陽の性格、彼は北陸の雪国生まれの陰の性格であるが、自分ではどううまがあったかわからない」(「句のある自伝」)
愛人関係で四十年間。ようやく恋は終わった。真砂女は品のいい和服に帯をきりりと締めて店に出て、以前にもまし笑い顔を振りまいた。八十歳を超えて詠んでいる。
今生のいまが倖せ衣被
「自分の長い人生をふりかえってみて、そして今生の句が生まれた。嘘、偽りのない現在の心境である。……過去の修羅は己が招いたもの、これを捨て去って久しい」(「同」)
平成十五年三月、長逝。享年九十六。
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ほんと、波乱万丈の人生ですね。
そんな真砂女が50歳の時に離婚し、銀座1丁目の路地裏で始めた小料理屋が、この卯波。
カウンター9席、奥に小部屋が2つというだけの、本当に小さな店です。
会社の本当に近くでもあり、なんとなく知ってはいましたが、2年ほど前、文藝春秋のえらい人に連れて行ってもらい、初めて入りました。
さすがに、多くの文人、政治家、財界人が、通っているようです。
店の外には「卯波」という看板が出ていますが、この名は真砂女の代表句
あるときは 舟より高き 卯波かな
からとったものとのこと。
そして、
「江戸以来、俳句は「ゆとり」、「あそび」の世界を主たる対象としてきました。生活感の排除をもってよしとする傾向すらありました。その中で、真砂女は実体験の切なさをもとに、『男女の愛の句』という新ジャンルを開拓したのです。」
幸は 逃げてゆくもの 紺浴衣
恋と俳句に人生を賭けた、と言えるでしょうし、ラテン系のような情熱溢れるパワーを感じます。
先日の朝日新聞に大きく取り上げられました。
現在、卯波は真砂女の孫宗男さんが経営しています。
宗男さんのブログ、《店主のぼやき》です。
昨年11月の記事、《まだ少し時間はありますが、閉店のお知らせです》。
*****************************************
「結果から申し上げると、卯波は一月末での店舗明け渡しが決定しました。
七月に退去の申し入れを受けてから、こちらも弁護士を立てての交渉を続けて参りました。
しかし、やはり建物の老朽化はいかんともし難く、裁判に持ち込んだとしてもこちらが勝利することはまず見込めないであろう...という結論に基づき、今回の合意となりました。
まことに残念ではありますが、その土地に根付いているものは二世代で追い出し新しいものに取って変えるのが、日本の相続税制の基本理念である以上、仕方のないことでもあるのでしょうか...
その後のことについてですが、今は退去が決まったばかりでもあり、まだ全くの白紙です。
移転をよく言われますが、卯波はあくまで真砂女のお店。
お店だけでなく、周囲の土地全てに真砂女の思いが残っています。
ですから、ここが駄目なら別の場所へというようには簡単には割り切れません。
私にとって真砂女が大事にしていた卯波を守ることが大切であったわけで、そのために懸命に努力をしてきました。
真砂女と私の40数年来の思い出が詰まったこの店を失ったあと、自分が何を目指すのかは、今は正直良くわかりません。」
「それから、閉店後の1/27(日)に、不要品のガレッジセールを行います。
まぁ大した物はないですけど、卯波の記念に何か一つ...と思われる方はどうぞいらして下さい。
意外な文房具とか調理道具などもありますよ。
大体お昼くらいから始める予定でいます。」
**************************************
時代の波、と言えば簡単ですが、
想像するだけで、熱く複雑ないろんな思いが店に詰まっているのでしょう。
年明け早々に、電話しましたが、もう閉店まですべて満員とのこと。
そして、最近は見物に来た人、入りたくても入れない人、などで、店の周りは多くの人がうろうろしています。
惜しまれて、惜しまれて、こういう店がなくなっていくんですね。
鈴木真砂女に対して、
彼女の句に対して、
この店で過ごしたそれぞれの時間に対して、
いろんな人のいろんな思いが、
今銀座一丁目の空に、
くるくるくると渦巻いているようです。
鈴木真砂女って知ってますか?
羅(うすもの)や 人悲します 恋をして
などなど、恋の句となればこの人、という俳人。
僕は俳句の世界は全く疎くて、知りませんでしたが、丹羽文雄の小説「天衣無縫」や瀬戸内寂聴の「いよよ華やぐ」に書かれてもおり、つとに有名な人のようです。
どんな人かと言えば。
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明治三十九年、千葉県鴨川市の老舗旅館(現在の「鴨川グランドホテル」)に三姉妹の末娘に生まれる。昭和四年、二十二歳で日本橋は問屋のお坊ちゃんと恋愛結婚。女児を恵まれるも、夫は花札賭博に狂った果てに失踪。十年、実家の旅館を継いだ姉の急死に遭い、父母に説き伏せられ、義兄と結婚。家のためを考えてである。夫は良い人だ。だがどうしても好きにはなれない。
女将稼業は些事多忙だ。鬱々とした日々がつづく。そんなとき真砂女は俳句と出会うのである。亡き姉は俳句の書き手だ。その縁で誘われるまま打ち込む。
過去は運にけふは枯野に躓けり
夫運なき秋袷着たりけり
運に見放された幸薄い女。真砂女は辛いばかりの胸のうち思いのたけを作句に託す。そして女将になって二年後、三十歳のとき事件がある。
口きいてくれず冬濤見てばかり
男憎しされど恋し柳散る
恋の相手は客の一人、七つ下の海軍士官。すでに妻があった。十三年四月、真砂女は家出する。折しも日中戦争たけなわ。愛しい人は長崎の大村に転属していた。ただもう士官さんを一目みたさ。鞄一つ持って下関行の特急に乗っていた。やっと彼に会えたが、喜びもつかの間、すぐに別れの時がくる。恋人は戦地へ行く。自分は主人の許へ。夫は黙って妻を迎え入れた。それどころか「家出の褒美でもあるまいが、二カラットのダイヤの指輪を買ってくれた」(「家出事件まで」)。
鏡台にぬきし指輪や花の雨
あるいはそのダイヤのだろうか。はたまた結婚記念のものか。真砂女は指に光るそれを鏡台に雨の音をききすむ。またこんな句もみえる。
罪障のふかき寒紅濃かりけり
罪障は成仏往生を妨げる罪業。寒紅は寒期に作る色鮮やかで美しい口紅。その背負った罪の意識のほど、あえて派手に紅を引き化粧する。
ここに掲げる句をみよ。「人悲します」の人とは、相手の妻、さらには、自分の夫。どちらにも詫びようもない思いをさせた。もうこのまま自分を偽って生きてゆけない。
三十二年、五十歳で離婚。裸同然で家を出た真砂女は銀座の路地裏に、カウンター九席、奥に小部屋が二つの小料理店「卯波」を開く。店名の由来の一句。
あるときは船より高き卯浪かな
「人生も浪の頂上に佇つときもあれば奈落に落ちることもある。そして又浮かびあがる」(「銀座「卯波」開店」)。この明るさ。真砂女の人柄もあって、文人、俳人が出入りし店は繁盛する。
黴の宿いくとせ恋の宿として
初めてのアパート住まい。六畳一間。真砂女は振り返る。「……遂にボロボロ涙が出て来て情けないやら、みじめやらで何べん泣いたことだろう。しかしこのアパートの一年間の生活は私にとって幸せを噛みしめた一年であった」(「同」)じつはそこで恋人と一緒だったのだ。そうなのだが幸せは長くつづかない。
幸は逃げてゆくもの紺浴衣
どうしたって男には妻がいるのである。真砂女は言う。「この一年に生涯を賭けたようなものである」。一緒には住めない。だがしかしなお歯痒いような関係はつづいている。そうして突然、終幕がきている。
五十一年、恋人は脳血栓で倒れ、以後植物人間になる。翌年、一度も見舞うことも叶わぬまま、愛しい人は逝く。
かくれ喪にあやめは花を落としけり
「かくれ喪」とは哀しい、真砂女の造語。「お寺の門の表の暗がりに佇ってひそかに一人で通夜をし、葬儀の焼香は彼の友人が夫人の了解を得てお別れが出来た。……私は南国の海辺生まれの陽の性格、彼は北陸の雪国生まれの陰の性格であるが、自分ではどううまがあったかわからない」(「句のある自伝」)
愛人関係で四十年間。ようやく恋は終わった。真砂女は品のいい和服に帯をきりりと締めて店に出て、以前にもまし笑い顔を振りまいた。八十歳を超えて詠んでいる。
今生のいまが倖せ衣被
「自分の長い人生をふりかえってみて、そして今生の句が生まれた。嘘、偽りのない現在の心境である。……過去の修羅は己が招いたもの、これを捨て去って久しい」(「同」)
平成十五年三月、長逝。享年九十六。
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ほんと、波乱万丈の人生ですね。
そんな真砂女が50歳の時に離婚し、銀座1丁目の路地裏で始めた小料理屋が、この卯波。
カウンター9席、奥に小部屋が2つというだけの、本当に小さな店です。
会社の本当に近くでもあり、なんとなく知ってはいましたが、2年ほど前、文藝春秋のえらい人に連れて行ってもらい、初めて入りました。
さすがに、多くの文人、政治家、財界人が、通っているようです。
店の外には「卯波」という看板が出ていますが、この名は真砂女の代表句
あるときは 舟より高き 卯波かな
からとったものとのこと。
そして、
「江戸以来、俳句は「ゆとり」、「あそび」の世界を主たる対象としてきました。生活感の排除をもってよしとする傾向すらありました。その中で、真砂女は実体験の切なさをもとに、『男女の愛の句』という新ジャンルを開拓したのです。」
幸は 逃げてゆくもの 紺浴衣
恋と俳句に人生を賭けた、と言えるでしょうし、ラテン系のような情熱溢れるパワーを感じます。

現在、卯波は真砂女の孫宗男さんが経営しています。
宗男さんのブログ、《店主のぼやき》です。
昨年11月の記事、《まだ少し時間はありますが、閉店のお知らせです》。
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「結果から申し上げると、卯波は一月末での店舗明け渡しが決定しました。
七月に退去の申し入れを受けてから、こちらも弁護士を立てての交渉を続けて参りました。
しかし、やはり建物の老朽化はいかんともし難く、裁判に持ち込んだとしてもこちらが勝利することはまず見込めないであろう...という結論に基づき、今回の合意となりました。
まことに残念ではありますが、その土地に根付いているものは二世代で追い出し新しいものに取って変えるのが、日本の相続税制の基本理念である以上、仕方のないことでもあるのでしょうか...
その後のことについてですが、今は退去が決まったばかりでもあり、まだ全くの白紙です。
移転をよく言われますが、卯波はあくまで真砂女のお店。
お店だけでなく、周囲の土地全てに真砂女の思いが残っています。
ですから、ここが駄目なら別の場所へというようには簡単には割り切れません。
私にとって真砂女が大事にしていた卯波を守ることが大切であったわけで、そのために懸命に努力をしてきました。
真砂女と私の40数年来の思い出が詰まったこの店を失ったあと、自分が何を目指すのかは、今は正直良くわかりません。」
「それから、閉店後の1/27(日)に、不要品のガレッジセールを行います。
まぁ大した物はないですけど、卯波の記念に何か一つ...と思われる方はどうぞいらして下さい。
意外な文房具とか調理道具などもありますよ。
大体お昼くらいから始める予定でいます。」
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時代の波、と言えば簡単ですが、
想像するだけで、熱く複雑ないろんな思いが店に詰まっているのでしょう。
年明け早々に、電話しましたが、もう閉店まですべて満員とのこと。
そして、最近は見物に来た人、入りたくても入れない人、などで、店の周りは多くの人がうろうろしています。
惜しまれて、惜しまれて、こういう店がなくなっていくんですね。
鈴木真砂女に対して、
彼女の句に対して、
この店で過ごしたそれぞれの時間に対して、
いろんな人のいろんな思いが、
今銀座一丁目の空に、
くるくるくると渦巻いているようです。
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