即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

地名に託された思い

2012年04月18日 00時35分07秒 | 雑感
今日はいろんな事情でそもそもの地名を変えてしまうということについて。

ずいぶん前に《伝承》という記事を書きました。
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うちの町の隣町に、「北方町」というのがあります。

昔から住んでいる人たちは、「ぼっけ」、と呼んでいます。

それがずいぶん前に「きたかた」になっちゃいました。

新しく越してきた人たちが読めないから誰にも読みやすく、だって。

地名って、それでいいんだろうか?

大昔から受け継がれてきた由緒ある名前を、読みにくいからなんてことで変えちゃう。

そのうち「きたかた」が当たり前で、「ぼっけ」と言ってたことさえ誰も知らない時代になる。

地域にまつわる歴史や一切のバックグラウンドが見えなくなる。

単に行政の短絡というだけでは済まないことだと思います。
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先日金沢に行った時に書きましたが、金沢では昔の地名を徐々に復活させてるとのこと。
素晴らしいですね。

先日のサンデーモーニングでやってました。

仙台の波分神社。
慶長16年にここまで津波が来て二つに分かれて引いていったのだとか。
津波の警告を込めてつけた名前なのですね。

石巻の渡波地区。
これも津波の危険性を託した名前。

女川、小名浜など、オナというのは男波のこと。

釜石や塩釜など、カマがついた地名は、津波が大地を噛むように抉り取るということからついた名前だとのこと。
鎌倉もそういうことだそうな。

福島原発の地元である双葉郡というのは、もともと標葉郡(しめはぐん)と楢葉郡(ならはぐん)が合併して双葉郡となった。標葉(しめは)は津波をしめ出すという意味がこめられているとのこと。

昔から幾度となく津波に苦しめられた先人たちの思いがそこには詰まっている。
時代は進化し、どれだけ近代化されても、津波の歴史は繰り返す

地名に籠められた思い。
託された願い。
教訓や警告なども含め、昔の人たちからのメッセージを我々はしっかりと受け止めないといけない。
先人たちの苦労や経験や知恵を無駄にしてはいけない。

『地名を変えることは歴史を断ち切ること』

我々はもっと歴史を学ばないといけないし、次の世代に伝えていかなければいけない。

モノ余りの時代、使えるモノを無駄にしてるのと同じように、昔の人たちからの知恵や思いも切り捨ててしまっている。

金沢で行ってるような地名復活運動が日本中に増えていくことを願います。

そして、身近なところで言えば、「ボッケ」町の復活運動をしないといけないです。
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