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ついに深夜グルメまで異世界へ!?:異世界食堂2


営利企業での制作活動には、予算などの制約を受けることもあり。
テレビ番組などでは、スポンサーの意向か配慮なのかは不明だが、
よく意図が分からないものを見かけることがある。
深夜帯に、やたらとグルメ番組が集中するテ〇東系には、
どのような思惑があるのかは知らないけど。
4年ほど前、深夜グルメと異世界ファンタージアニメを、
ミックスしたような「異世界食堂」というテレビアニメまで放送しており。
(ライトノベルを原作としたものらしいけど…。)
深夜帯にアニメ制作までしてグルメ番組で埋め尽くそうとする、
野心や陰謀ともつかない意思に戦慄すら感じたものです。
(注意:話半分で聞いて欲しいところ、ね)。



そんな深夜枠でありながら、
クォリティーの高いテレビ番組を放映してきた時間帯において、
なんと、またまた「異世界食堂」がテレビアニメ化される。
「異世界食堂2」となり、楽しみなところである。
・・・でも、深夜帯に美味いものを見せられるのは、
何かと弊害もあるのが悩みどころかな?

追記:

深夜帯のアニメ番組は、20年以上前から増えている。
かつては主に子供番組を主にとして制作されてきたテレビアニメも、
現在では視聴者層の年齢も高くなり、ストーリー性の高いものが多い。
手書きで原画を制作していた時代とも異なり。
画像処理のコンピューターやソフトウェアが導入され、
アニメ作品では難しいとされていた激しいアクションシーンや、
ダンスシーンなども可能にしている。
日本のアニメ作品(ジャパニメーション)は、もはや世界的なブランドであり。
海外の放送局やネット配信、DVDタイトルでも市場は広がり。
人気作品からは、コミックやコンピューターゲームなど、
他メディアへの関連作品も生み出しており。
世界的にも、日本のアニメがもたらす市場は、
メディアタイアップを含めれば、かなり大きなものになる。
アニメ番組が増えた理由は…。
ほぼ国内需要しか満たせないドラマやバラエティーより、
「何を制作したら、使い回しがきくのか?」と言うことなのだろう。
アニメ作品の舞台となった地域が、“聖地”化してしまう現象も起きており。
“町おこし”や“村おこし”などの「地域おこし」としての効果の大きさは、
バカにできないものにもなっている。
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こんなときだから備えています。:10日遅れだけど、ね。


10日前のこと…。
9月1日、防災の日において、
部屋中にある懐中電灯を、かき集めてみることにした。
ついでに、暗くなってきた自転車用のライトもバッテリー交換することにした。
この自転車用のライトは、本来、補助用であり。
2枚のコインのような、まっ平らな電池が入っているだけのものだった。
手早く新しい電池と交換したもの、
この消耗した方の電池は、どうしたものだろうか?
かつてのボタン電池やコイン状の電池は、水銀を用いられてことから、
近年は、代替物質へと換えられているもの。
そのまま不燃ゴミとして捨てられるのは、あまり望ましくないと聞く。
部屋の隅にあった大きな金属缶に投げ込んでおくことにした。
(あとで絶縁テープにくるんで、ホームセンターで引き取ってもらうかな?)



あちこちに置いていた懐中電灯を集めてみると、5~6本、あった。
懐中電灯は、色々な災害状況を考えたとき、
必要性の高い道具であるかと思われ、
トイレや玄関などに分散して置いている。
わが師、ツ〇ヤ先生は、ヘッドランプ派であることから、
一応、ヘッドランプも1つあり。
豆電球を用いる古いタイプも含めれば、7本と1つになる。
その古い金属性の懐中電灯も、
数年前に電球部を、LEDのものへと交換している。
半年以上、スイッチを入れたままでも、
点灯し続けてきたが、そろそろ限界らしい。
電池交換するかな。
半導体であるLEDは、電球とは、点灯原理が異なり、格段に消費電力が低く。
長時間使用が可能であり、心強い。
反面、極性を持つことから、電池の入れ方を間違えれば、点灯することもない。
災害時に慌てることがないように、それぞれ点灯チェックしていく。
単4電池を用いるものは、頻繁に扱うこともあり。
こまめにチェックしてはいるもの、いい機会なので、
電極部のバネなども含めてチェックしながら、
ちょっと暗いものは、電池を換えておくことにした。
あれっ?
単1電池がない。
そう言えば、あんまり使うことがないから、予備がなかった。
近年、単1電池を用いる電化製品も少なく。
あらためて調べてみると、そんなに手頃な価格でもない。
マンガン電池でなら、¥100Shopでも買えたハズだったから、
今度、何かのついでに買っておくかな…と、思っていたら、
いつの間にか、10日が過ぎていた。
この懐中電灯でなら、点けっぱなしでも、
半年以上、持つのだから、チャチャと買いに行くかな。


(この画像は、以前のもの⇒)

追記:

最近では、災害時の備えとして、懐中電灯でなく
ヘッドランプが推奨されているようですけど。
このような道具の手入れが苦にならない性格なら、
ライトを、もう一本、用意しておくことをオススメします。
災害時に限らず、暗がりの中では、目線は光源へと向いてしまうことから、
ライト一本で行動するのは、意外に疲れるものです。
もちろん、2つ以上のライトを持って行動すれば、
両手がふさがってしまうので、状況に応じた使い分けができなければ、
無理にオススメはしません。
(NAも)負担にならないところから備えていこうと思っています。
そう言えば、カロリーメイトの消費期限が、
まだ大丈夫かもチェックしておくかな?
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“えんがちょ!”の“縁切った!(えんきり)”はヒドいのでは?


今回のコロナショックが長引いていくことで、
コロナ(COVID―19)を伝染病や病気というより、
子供同士の“えんがちょ(ん)”のような捉え方をしている人がおり、
ちょっと驚かされている。

それも、ちゃんと大学まで卒業しているような人間から、
コロナを、まるで“呪い(まじない)”や“祟り”のように怖れる言動があり、
色々な意味で不安にさせられたほどである。
教養や人間性を証明するハズの“学位”がありながら、
論理的な思考もせず、非科学的な認識をしている人間がいれば、
学位への信頼や信用も揺らいでしまう。(もちろん、偏見です!)



一方で、早朝にコンビニエンスストアの前で、
(若くもない男女数人が)路上飲みしているのを見かけることもあり。
飲食店への自粛要請(事実上の営業規制)への意味を考えてしまう。
コロナ不安を煽るだけのテレビやインターネットばかりとは言え、
正しい情報を伝えてくれる番組だってあり。
頭のネジが、2~3本、ユルんでいる人たちには、
もうちょっと考えて欲しくなる。
なにより自粛要請に応じている飲食店に対して、失礼である。



当初から、このコロナ(COVID―19)による感染被害は、
沈静化するまでに、2~3年以上かかるだろうと言われてきたもの。
この2年は、やはり長いものに感じられる。
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20年分、考えさせられる。


「ついに起こってしまったか!」
それが、当時の印象だった。


20年前…、
9・11のテロに動揺する人々の心理が理解できなかった。
当時の国際情勢において、アメリカを象徴するニューヨークのような街が、
(反米勢力を含む)複数の勢力から破壊工作のターゲットになっていたのは、
かなり社会性の乏しい人間でも想像できることであり。
むしろ、それまで何もなかったことが不思議な状況だったからだ。
色々なテレビ番組で、ニューヨークのワールドトレードセンターへと、
旅客機が突入する映像を、何度も繰り返すように用いられ…。
それを訳知り顔のコメンテーターたちが、
内容もない言葉で埋め尽くすだけの番組ばかりとなり。
そんな日々が、しばらく続いたように覚えている。

今年、2021年8月16日、
日本の終戦記念日である8月15日より、1日が過ぎたとき。
アフガニスタンの政権が、反政府組織ともされるタリバンに奪取された。



以前にも記したけど…。
軍隊や情報機関のある国家では、
ナショナリズムや敵勢国家(もしくは仮想敵国)への対抗心を、
喚起させる教育が行なわれていることがある。
世界や社会の概念を認識していく教育プログラムで“含み”があり。
ある意味、戦争準備や社会操作のための洗脳教育と言えるけど。
それほど珍しい話でもない。
これに違和感を覚えるのは、第二次世界大戦後、
軍や秘密警察が解体された国家に住んでいるからでしかない。
東西を問わず、どこの国家でもあることで、もちろん教育機関も絡んでいる。

例をあげるなら・・・。
「9・11テロ以降のアメリカの軍事行動」になる。
当時、アメリカでは、テロ撲滅や戦争支援が、当たり前となり。
それが、かなりの知識人にまで及んでいることに、
日本の関係者(?)たちは戸惑っていたようだったが…。
ミリタリーマニアとしては、不思議でもなかった。
9・11テロ以降、反社会的な行為や政治的な問題なども、
そのまま”テロ”という大きな”くくり”で処理されたことで、
多くの人々が巻き込まれていくことにもなった。
その弊害が、今も、アメリカ社会に及んでいるのを感じるときがある。

今年は、2001年9月11日から、20年後。
そして、9・11テロの首謀者、ウサマ・ヴィン・ラディンが
(2011年5月に)殺害されてから10年目でもある。
今後の状況は、まだ何も言えないもの。
戦争の火種が、次の火種へと燃え移ったようにも思え、
どこか突き落とされたかのような気分にさせられる。

追記:(2021年9月11日)

21世紀において、
ウサマ・ヴィン・ラディンは、最初の戦争をしかけた人物…と、
かつて、(不肖)宮〇茂樹さんは記していた。
もちろん、英雄扱いする気はない。
それでも20年目となり、
テロとの戦いとは何だったのか?を考えるとツラいものがある。
関連する過去の記事⇒「テロリストが死んだ。」
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