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“かれぇ”なのに苦い思い出:塩を求めての続き


子供の頃、学校の図書館には、
児童向けに、歴史上の偉人などの伝記が置いてあった。
その中には、“大英帝国の植民地支配から、
インド独立へと導いたガンジー”
の伝記もあった。
さて…。
大人になって思い返しても、
ほとんど覚えていないことに気付いたのは、ここ1~2年のこと。
インドカレーの店を馴染みにしているだけに知らないというのも情けない。
そこで読みやすい本などから、読んでみることにしたのだけど…。
いくら読んでも思い出せない。
正確には、“まったく覚えていなかった”というところ。

マハトマ・ガンディーは地方勢力の大臣の家に生まれ、
大英帝国での留学の後、弁護士として、南アフリカで活動していくとき。
有色人種であるインド人というだけで、
乗車券を持っているにも関わらず、
列車の客車から、駅へと追い出されるという暴力を受ける。
すべての人間が基本的人権をもつという考え方は大英帝国で芽生え、
絶対的な国王の権限を制約する形で発達してきたと聞いているけど。
「すべての人間には、基本的な人権があるのです!」と、
声高にあげながらも、植民地では公然と差別が行われていれば、
“自分たちは人間扱いされていない”のだと、
肌身で感じさせられるような体験にも思える。

それだけにガンジーは、南アフリカで受けた人種差別を、
深刻な問題だと感じたのかも知れない。
これが契機となり、
ガンジーは、南アフリカでの人権運動に関わっていくこととなる。
(関連する過去の記事「塩を求めて…。」)
大英帝国の支配に、暴力で対抗するのではなく。
非暴力、不服従という姿勢を示し続けるという行動で、
民衆の結束を強めていく。
後年のガンジーの写真は、行者のような姿で、
その印象から、神話で語られる聖者のようにも思えるときがある。
もちろん、神話や伝説で語られるような超常的なことではないが、
彼は奇跡とも思えることを行った。
もしかしたら、歴史上に実在した聖者や聖人と呼ばれた人たちの多くは、
神や聖霊などから、預言や法力のような超常的な力を授かった超人ではなく。
実際には、彼のような人だったのはないかな?とも思える。
色々と調べているうちに、
今年(2017年)は、インドが独立してから、
70年目になることも知ったけど。
つまり…。
来年は、ガンジーが亡くなって70年目となったことになる。
「今年、2017年は、酉(とり)の年にして、
インド独立より、70年を迎えるカレーの年(?)」と…。

どこかフザけているようにも感じられる表現を、かなり使い回してきたけど。
2017年を迎えたときから、年末には、また記すつもりだった。

本当の蛇足:
世の中には、あらゆる美味、美食があり。
とっておきを、1つだけ決めるのは、
なかなか難しいところがあるけど。
日本人として、一般的な家庭のもとで生活してきていれば…。
タマネギとニンジン、ジャガイモ、それに豚肉か牛肉となれば、
カレーライスが思いつく。
(しつこいようだけど…。)
このカレーライスにも使われるニンジンやタマネギの原産地は、
どちらもアジアになり。
複合香辛料のガラムマサラの原料、胡椒を巡って、
命がけの航海に出たものがいたことで、
航海先の新大陸より、ジャガイモやトウガラシがもたらされた。
その新大陸の先住民も支配される辛い歴史があり。
今、当たり前のように食べられている物は、
不思議なほどに、多くの国や人の歴史につながっている。
それは多くの人が不当な暴力や搾取を受けてきた事実でもあり、
考えさせられる。
同時に、敬意を払うべき行為や人物へ
感謝するような気持ちになるときでもある。
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