goo

労働賛美:迷

(前回の続き)
どんな世界においても、
個人の努力が、本人の望む結果へとつながるかは?
実のところ分からない。

職務経験が長いだけで、現場の責任者となったものには、
単純で惰性的な仕事ですら手順化できない。
面倒だから?
改善もせず「出来ない」で片付けられてしまう。
“明確な取り決め”や“線引き”がなされていないから、
次々と起こるトラブルやクレームに対し。
“お前(部下)が悪い”としか言えない。
職場の社則や規定には…、
「上司にへつらえ」とは記されていなくても、
通常、上司(要職者や悪職者)には、
職場において、立場は認められている。
この立場を、権威とカン違いするものもいるからオカしくなってくる。

営利企業(会社)で働いている人間は、
会社に“お金”を入れるために働いている。
これは“営利企業”に限ったことではないけど。
こうやって会社に入った“お金”は、仕事に応じて、
“給料”として、分け合うことが約束事になっている。
だから仕事と言うものは、生活の糧であり。
つまらなくても、手ヌキが許されるものでもなく。
片手間で済ませられない。
単なる収入源だと割り切ろうとしても、簡単にはいかない。
職場は、同僚や顧客などとの信用や信頼関係が生まれる場でもあり。
自分だけのものではないからだ。
それでも企業社会には…。
詭業社会としか思えない理屈が、まかり通っている空間もあり。

そんな会社のエラい人たちは、ルーチンワークをこなしているだけで、
自己保身を判断基準の重要因子と考え、
体裁を整えて知識武装するのが問題解決だとしか考えてなく。
デスクの前でマインドゲームばかり繰り返し、
スキのない言葉で、びっしりと自分の守りをかためている。
こんなのは“たかり”でしかなく。
笑えないところだった…。

2020年7月追記:
この1年後には、部署移動させられることになる。
いつも耳の痛いことばかりを言われて、
煙たがられていたと言うところだったのかな?
仕事上での人間関係は、学生時代と違って、利害が絡む。
多くの人は、生活のため、お金が必要なのが分かっている。
お金の動く契約や仕事は、多くの雇用を生み、
生活を支えていく。
それだけに、お金を生み出すシステムには多くの意思が絡み。
社会的な信用や信頼にも関わってくる。
「信じる者」と書いて、「儲け」と読む。
商売人でなくても、どこかうれしい言葉だ。

人間同士のつながりは、”信頼”と”情”で成り立ち。
”信頼”がなければ、”情”も揺らいでしまう。
他人への不信感は、最大の敵となり得るけど。
それも問題が起きないかぎり、
どのように悪いのかを教えられることなどない。
何よりも…。
「誰だって、イヤなヤツとは関わりたくもない」と言うこと。
(この記事の最初へ「労働賛美:喚」⇒)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )