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東南アジアへ4300kmほど:カンボジア旅行編の6

(前回の続き)
旅行会社の現地ガイドから、アンコールワットの中央回廊には、
「日本人による落書き」があると聞かされた。
“やれやれ、トンだ罰当たりがいたもんだな”と思ったが、
詳しい話を聞いていくと、どうも違う。
かつて、日本が東南アジアとの交易があった時代(17世紀)。
この地を訪れた日本人“森本右近太夫”という武士は、
アンコールワットを“祇園精舎”だと思ったとのこと。
“うん?”
祇園精舎の鐘の音…で始まるのは、平家物語だったかな?
“祇園精舎とは、どういう意味かな?”
何だろうか?
鐘の音という言葉が続くということは、
寺社や仏閣などがある場所や地域なのだろうか?
戦乱や政争の傷跡が残った京都のことかな?
それとも、かつて交易があった異国の地、南京あたりだろうか?
色々と考えたこともあったけど。
結局、調べることもなかった。
そこで調べてみたところ祇園精舎とは、天竺(インド)にあった寺院のこと。
当時、カンボジアは「南天竺」と呼ばれていた。

ほとんど日本で生活していると、お釈迦様と仏教に関わる話も、
物語や美術で知ることが多かったように思える。
もちろん、お釈迦様が生きていた時代のインドとは、現在のインド文化は異なり。
日本で信仰されてきた仏教は…。
天竺(インド)から、三蔵法師が唐(中国)に持ち帰ったものを、
さらに遣唐使たちにより、もたらされた。
そう単純に思っていた。
しかし、東南アジアの仏教文化がもたらしたものは、
かなり大きいのではないかと思える。
日本の仏像には、帝釈天や歓喜天のようにインドの神々(ヒンズー教の神々)を、
ベースにしているのではないかと思われるものも多く。
不思議にも思っていた。
東南アジアで、ヒンズー教と仏教が融合した文化が生まれ、
それが日本に伝えられていたと考えれば、納得ができる。

数世紀も前に、砂岩に刻まれた巨大な仏像を前にした日本人にとっても、
平家物語は、昔話の1つ。
悪戯心で書き記したのではなく、
御仏への信仰の厚かった父親を思ってのことだったらしい。
だからと言って、現代の日本人(に限らず…)が落書きなどすれば、
大変な事態になるのは間違いないけど、ね。
ちなみに…。
この“落書き”は、20世紀、ポルポト派によって塗りつぶされてはいる。

2020年8月追記:

その後、ちょっと勉強してみました。
紀元前5~6世紀頃、お釈迦様によって生まれた仏教は…、
インドを統一したマウリア朝のアショーカ王によって、
(在位、紀元前266~232頃)深く信仰され、保護されたと言われる。
しかし、その後…。
「出家した者のみが救われるという考え方は利己的である」
…との考え方から、大乗仏教が生まれることとなり。
中央アジアを通じて、中国から日本にまで伝わってくる。
その大乗仏教の発展とともに仏像なども造られていく。
だけど、日本にきた仏教文化は、
それだけではなかったと思われるのは、上記の通り。
(続く ⇒)
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