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はんぐおーば

二日酔いを意味する英語の「はんぐおーば(a hangover)」
まあ“酔っ払い”の言うこと。by.NA-094

戦いの後始末と、8月の終わり

2020年08月26日 21時26分11秒 | 寒空小人

戦時下においては、戦争に大義があるかどうかなどは関係ない。
だから、不正がまかり通ってしまうこともあるのは、
歴史が証明している。


これまでの人生において、
ウマが合わないと思う人物と出会うこともあった。
その中には、単にイヤな人物だと思えるだけでなく、
明らかに悪意的な人間もおり。
それが組織社会で関わり合うこととなる人物(同僚や上司など)だと、
かなり悩まされることにもなった。
実際、自分本位な行動をとっていただけでなく、
不正行為までしたものまでいたのだから、
収まりどころのつかない感情を抱えることとなった。
しかし、こんな話は、戦時下とは異なる平時の日本での生活においてのこと。
もし戦時下であれば、このような案件は、別の面を見せることになる。
簡単に言えば、「処刑」されるか「リンチ」にされるかである。
それを理解できるものであれば、隠蔽を図ろうとするだろう。
社会全体が不穏な状態となる戦時下においては、
“巻き添え”や“とばっちり”で謀殺されてしまう人間が、
平時とは比べものにならないようにも思える。


理想的なまで社会正義が浸透している世界でも、
不正の排除は困難で、不正は、社会にとって、大きな脅威。


数年前、ある不正行為の実情を把握しきれないことから、
本社のエラい人たちは、不正行為を行なった同僚や上司とも、
その事業所の人員を、まとめて処罰することにした。
それは(親会社への)対外的なアピールだけでしかなく。
もちろん納得できるハズもなく、本社の役職者とぶつかることになった。
ここで本社にとって、解決すべき問題は、
「不正行為」から「本社の判断には、不都合な人物」へと、
変わることになった。

それを、迂闊(うかつ)にも気付いていなかった。
ハッキリ言えば、本社のエラい人たちには、実務経験もない人間がおり。
無理解な(バカでやる気もない)人物たちへの説明と説得には、
かなりの時間と根気が必要になった。
本社が、現場サイドの仕事を理解できないのは、
単純に、本社の怠慢でしかなく。
今、そのような時間と向き合っていたときには、
感じ取れなかった後悔が、心に静かに染みていく。



いつの頃からか?
8月15日の終戦記念日より、
8月が終わっていく、
今の時期になってから戦争について考えるようになった。
今も、政情不安定な地域や内戦状態の国だってある。
戦争体験者である祖父母が亡くなって、ずいぶんと経っており、
正直、75年前の戦争のことなど、どうでもいい。
戦争や紛争のようなものとは、これからも無縁でいたい。
暴力とは、無縁でいたい。
“いじめ”や“ハラスメント”のような社会的な暴力も含めて、
暴力とは関わりたくもない。
そう考える人は少なくもないだろう。
「“他人”など、どうでもよいから、“自分”は関わりたくない」というのは、
ある意味、自然な感情。
だけど…。
そんな問題とは、無縁でいたいと思っている人間には、
かなり下劣な行動(マネ)ができるものもいる。
それは、守るべき平和なのだろうか?

戦争が終わって、生活は一変する・・・そう思っていた。
(2020年8月28日加筆訂正)

かたり、たかり:誤

2020年07月18日 22時22分22秒 | 寒空小人
(前回の続き)
「本社の人間は聞きたいことしか、聞かない。
だから、都合の悪いことを伝えることもなく。
本社が聞きたいことだけを伝えてきた。
そして、自分のそばには…、
何の疑問も感じないまま、
考えようともしない人間(イエスマン)だけとなれば、
事業所は私物化できていた。
お前さえいなければ…。」

…とでも言っているのだとしたら、
物語(創作)のエンディングとしては、ちょうどいいけど。
これまでの文章は、多少の脚色と誇張はあっても、ほとんど本当のこと。
今も、収まりのつかない気持ちがあり。
この一連の記事には、何度も訂正を加え、加筆してきた。
それに、当時は気付いていなかったが…、
「人の善意は、お金に換えられない」という、
彼の対応(言動)は、単なるトリックワードで済まされないものだった。
何故なら、自分たちの仕事を評価していないと、突き付けただけでなく。
仕事上において評価されるべき行動を、
学校教育や社会道徳で用いる“善意”という言葉で奪っており。
明らかに職業倫理を伴ってなければ、“やさしさ”もなく。
かなり罪深いものだった。
おそらく自覚もなく、口にしていた言葉だったのだろう。
もう6年以上前のことで、
実際には、それほどスマートな対応ができてなく。
この事業所で関わっていく、
「従業員をたぶらかした親会社社員」 ⇒
「親会社の社内ニート」 ⇒
「高齢採用された素行不良社員」 ⇒
など、
以前、記事にしたような問題は解決できないまま部署移動になり。
当初、期待していた昇進もならなかった。
これらの問題は…、
事業所の責任者が、自身の職務を果たしていれば発生することもなく。
彼の存在は、諸問題の遠因だったとも言える。
こんな上司たちは根絶されることを願っているけど。
簡単にはいかない。
(この記事の最初へ「かたり、たかり:逸」⇒)



蛇足:
日〇テレビ系のドラマ「ハケ〇の品格」の再放送において、
ニュースサイトのレビューには…、
「この13年間で働き方は大きく変わり、
派遣社員に対する“いびり”や“いじめ”も、
今の世の中では許されません」…とあった。
残念ながら、このレビューは正しくないかも知れない。

他人を理解するには、その人物と同じ“もの”を得なければ、
難しいときがある。

だから、他人への嫉妬や憎悪、悪意のようなネガティブな感情を、
強く持つことで、ようやっと理解できるようになったこともある。
世の中には良心のない人間がいる。
自分の痛みと、他人の痛みは、別のもの。
同じように思えても、同じものではない。
長い間、それを受け入れることができなかったけど、
今は違う。
そして、こんな感情を理解できるようにしてくれた人物へ、
強い憎悪をもっていることを、今、やっと自覚している。
それは、色々な意味でも望ましいことではなく。
正直、己を恥じている。
(2021年7月加筆訂正)

かたり、たかり:砥

2020年07月17日 11時11分11秒 | 寒空小人
(前回の続き)
人間同士のつながりは、”信頼”と”情”で成り立っている
職場での人間関係は、利害も絡み。
社会的な信用や信頼にも関わってくる。
だからこそ、“お金”の発生しない業務を引き継ぐのは、
誰もが嫌がったのかも知れない。


これが契機となり、
社内の規定通りに超過手当(残業代)が出ることとなった。
今までと違って、“お金(残業代)”が発生するとなれば、
他の同僚たちが、業務や案件を引き継いでいくことも
徹底されていくようになった。
多くの問題点の“遠因”だったことが改善され、
少しずつ雰囲気も良くなっていったけど。
それを、すべて自分の成果のように、現場長は語るようになり。
(NA)は、ほとんどの同僚から感謝されることもなかった。
今、考えれば…、
「現場の責任者と口論になったような人物とは関わりたくない」
…と言ったところ。
面白くもない話だったが、これが落としどころだと思うことにした。

しかし、彼にとっては、そうではなかった。
この件は、よっぽど面白くないことだったのだろう、
本社には、(NA)は「反抗的」「仕事への意欲が疑わしい」という評価が、
伝えられることになる。
数年後、この事業所を離れてから、
別の件で、本社の人員と関わり、それを知ることになるのだけど。
本当に虚栄心の強い人物だったことを知ることになった。
今まで、誰も指摘してこなかった職場の問題点を、
年下の部下(※)から指摘され、しかも言い負かされたのは、
責任者として業務などしていないことを証明したものだったけど。
そこは指摘しなかった。
※…と言っても、もう若くもなかったのだけど。
自分が知らないこと、
専門外のことに関わりたくないのは、誰だって一緒。
面倒臭いというだけでなく。
会社での業務ともなれば、責任が伴うことから、
自分の評価を下げることにもなりかねない。
そう考えれば、現場の責任者への配慮も必要だと思ってのことだった。
しかし、正しい判断ではなかったのかも知れない。
先程、“言い負かした”とは記したが、
そもそも、同じ職場の上司と部下であれば、
“勝ち負け”など意味はなく、非生産的な話。
それに“勝ち負け”で言えば、むしろ“負け”だった。
職場内の立場を用いて、他人の権利を放棄させるような人物に対し、
その“権威”への配慮をするなど、愚行であり。
もっともらしい肩書きや権威に負けている。
つまり「現場長という肩書きにビビッていた」ということ。




他人の忠告には、耳を貸さず、
自分勝手にやりながら、
不都合なことがあれば、「俺は間違っていない!」
その挙句には…。
「お前が悪い!」「アイツが悪い!」となって…。
「本社は分かっていないんだ!」などと言いながら、
顧客や部下との信頼や実績を残していくことより、
場当たり的な対応を繰り返していけば、不祥事も増えていく。
当然のツケとも言えるけど。
何人もの部下が、彼から離れていった。
事業所での業務を維持できなくなり。
本社に呼び出されていたようだった。
単に虚栄心が強いだけで、
プライド(責任感)など持ち合わせてもいなかったのだろう。
仕事を放り出すようにして、辞めていった。
(NAは…)すでに事業所を移動していたこともあり、
その後は知らない。続く⇒

かたり、たかり:惨

2020年07月16日 00時00分00秒 | 寒空小人
(前回の続き)
別の事業所から、社内移動してきたこともあり。
本来、残業扱いされるシフトオーバ―について、疑問に思ったもの。

職場の同僚たちには、ほとんど反応がなかった。
5分や10分程度のシフトオーバでは、“お金”もでないというのは、
一見すると、大きな問題に思えなかったのかも知れない。
しかし、誰にとっても面白いことではなく。
明らかに、やる気と士気(モチベーション)を下げており。
「カネにもならないのに、やっていられるかよ」ともなっていた。
これは「自分さえ良ければいい」という人たちにも、都合がよく。
手抜きやサボりは、当たり前だと考えるものも出てくる。
手間取りそうな仕事に関わるような人員は減り。
その弊害で、また負担を受ける人員が出てくる。
粗雑(ザッパ)な対応も目立ち、「信頼」というものが失せていた。
仕事というものには、明記されてなくても、
“常識”や“業界内で暗黙の了解”となってもいる“取り決め” もあり。
これが不明確であれば、都合の悪いことがあったとき
“言い逃れ”が出来てしまう。

こんな大事なことが解決していないから、支障や弊害があり。
こちらの意思や都合にも関わらずに起こるトラブルも生まれる。
だから、シフト時間をオーバーするような事案が、
毎回、発生するという悪循環となっていた。



ある日、昼食どきの休憩時間中にもかかわらずトラブルで
呼び出されることとなった。
かなり手間のかかる案件だったこともあり、
片付いたときには、別のシフトと交代時間だった。
この時間帯に昼食が取れないと、
シフト上、夕方まで食事をとれる余裕はなく。
仕方なく、上司に相談してみたところ、
「シフトはズラせない」というものだった。
少し考えてから…、
「ちょっとよろしいでしょうか。休憩時間中での対応に加えて、
食事もとらないで、次の仕事に入れというのはツラいものがあります」
「なんとかなりませんか?」
この言葉に考えさせられたのか、上司は、現場長のデスクへ相談に向かった。
しばらくして、現場長が目の前にやってきた。
「また、お前か!」
面白くもないことを聞かされているという表情だった。
「これは仕事なんだから、ツライだろうけど仕方がないだろう」
今、思えば、ここで黙っていることもできた。
しかし、“仕方がない”の一言で済ませられるという意識と態度は、
無視できないものがあった。
そうでなくても、ハラが減ってイラついていたこともある。
「以前にも相談させていただきましたが、
超過勤務(残業)として扱えないのですか?」

この「残業」という言葉に、過剰な反応をするのは分かっていた。
その理由は、今も分からないけど。
今、思えば、このようなイレギュラーな業務での対応や手順について、
ほとんど知識を持ち合わせていなかったのかも知れない。
自分本位で虚栄心の強い人物だったので、
自分が知らないことを「分からないから教えてください」と、
本社の経理担当などに聞けなかったのかも知れない。
事実、数年後、彼が本社の人間とも折り合いが、
悪かったことを知るのだけど。
当時は、そこまで察することはできなかった。
「またかよ。人の善意はお金には代えられないだろう」
この言葉を、他人の善意を受けるものが、口にすれば意味が変わってしまう。
「こんな状況で仕事しているのは、お前だけじゃないだろ」
現場の管理権限をもつ役職者でありながら、
自分の職務を理解していないような言葉だった。
「あくまでも、ボランティアのような善意を期待したものであって、
上司としての命令ではないということでしょうか?」
「もし仕事ではないのでしたら、
今後は、無視してもよろしいと言うことですね」
このような反論を予想していなかったのか?
戸惑ったような表情を浮かべていた。
そこで、はっきりと気が付いた。
この人は、これまでにも場当たり的な言動で、
恫喝するようなことをしてきたのだろう。
おそらく事業所の問題点や改善策などは、何も考えてこなかったのだろう。
「お前、何を言っているんだよ」
「仕事なんだから、仕方がないだろう」
感情的で、かなりの大声だった。
激昂しているのは分かった。

もう若いとはいえないような年令ではあったけど。
自分より年配の人物で、3つも役職が上にある上司から、
大声で威圧されるのは苦しいものがあった。
それに、このような問答には慣れてもいなかったが、
ここで打ち切らせることはできなかった。
ほとんど反射的に、大声で返していた。
「それでしたら、課長は、部下に“タダ働き”しろと言うのですね」
この確認するような言い回しに怯んだ気配があった。
「そうは言っていないだろう」
よっぽど面白くないと思っているのが表情で分かった。
「そうですよね。期待してよろしいのですね」
ここが“落としどころ”だと伝える意味もあった。
声を落として伝えた。
しかし、彼の目線には、ゾッとするような“もの”が含まれていた。
憎しみが感じられる目だった。
それまでの社内での会話や態度から、
この人物の性格には、独善的なところがあるのを感じていたけど。
このような目ができる人物とは思っていなかった。
この状況が、かなりの緊張感を、周囲に与えているのも気付いていた。
それでも目線は外さなかった。



内線電話が鳴り、同僚の1人がとった。
「あの、そろそろ交代に入っていただけませんか?」
別シフトの人員から、
いつまでも交代が来ないことへの不満を伝えるものだった。
「課長との大事な話が終わっていないので、
まだ交代できないと伝えていただけますか」
この言葉に耐えらなかったのか、彼は目線を外した。
追い打ちをかけるようだったが、ハッキリさせておく必要があった。
「課長、私の休憩はどうしたらよろしいでしょうか?」
「分かった。手当をつけておく」
何か“わだかまり”が残ることとなり。
しかも、その日は“飯抜き”になってしまった。
(2021年7月加筆訂正:続く⇒)

かたり、たかり:弐

2020年07月15日 11時11分11秒 | 寒空小人
(前回の続き)
物事には、直接的な原因とは、別に“遠因”とも呼ぶものがあり。
それが解決されないため、
同じようなことが繰り返されるものも少なくない。
直接的な原因よりも、遠因の方が悪質で、
解決や対応も困難なものがある。
このような問題点を明確にしていくのは、かなりの労力が必要となり。
しかも、それだけでは終わらない。


この事業所での仕事は、交代制のシフトが組まれ、
それぞれのシフト毎に休憩時間や持ち場が固定されていた。
別の人員が交代してくれなければ離れることもできない持ち場もあり。
10人以上で、交代制が組まれた職場であっても、
1人でも所定時間がズレたら、
そのまま休憩時間に入れないものがでる状況だった。
しかも、休憩時間にまたがるような事案は、かなり多く。
余計な手間が増えるのを嫌がってなのか?
他の同僚たちは、同僚の業務や案件を引き継いでくれることもなかった。
5分や10分程度のシフトオーバとは言え、
毎日ともなれば、面白くもない話だった。
もちろん休憩時間にまたがるような業務があった場合には、
その時間に応じた超過勤務(残業)扱いとなることが、
就業規則か雇用条件にもあった。
部署移動して、3カ月ほど経ち、
一通りの事案や書式にも慣れてきただけに確認することにした。
手の空いたところで、直属の上司に相談したところ。
妙な反応があった。
「ちょっと分からないから、現場長に聞いてくれないかな」
そこで事業所の責任者である現場長(課長)に、
少し時間を割いてもらえるようにお願いした。
現場長の男性は、当時、50代前半だった。
年令より、若々しく、知性的にも思える印象があったもの。
決められたルーチンワーク以外にできることもなく。
結局は、本社や親会社の言いなりでしかないような人物でもあった。
毎日のように、大声で…、
「こんな仕事は、契約外じゃないかぁ!」
「本当なら、契約を受けたところが片付けるべき仕事だろう!」などと…。
本社への不満を叫び、強気な態度を見せてもいたので、
本人は、現場の救世主を気取っていたのかも知れない。
頭の中を整理して、言葉を選びながら状況を説明していくことにした。
たびたび休憩時間にまたがる事案が起こり、
それで休憩時間を割かれることを伝え、
その分を、超過勤務(残業)として請求することは、
出来ないでしょうかと相談したところ。
表情が変わっていった。
「お前、何を言っているんだよ」
「人の善意はお金には代えられないと言うだろ」と、
かなり感情的な言動で怒鳴りつけられた。

「同僚が困っているのだから、助けるのが、当たり前だろ。」
この回答と態度には納得できなかったが、
それ以上の相談は控えることにした。
職場の社則や規定には…、
「上司にへつらえ」とは記されていなくても、
通常、上司(要職者や役職者)には、
職場において、立場は認められている。
事業所の責任者である上司への配慮も必要だと考えたからだ。
「困ったときは、お互い様だろう」
「お前だって助けてもらっているだろう!」
それで会話は、打ち切られることになった。



「人の善意はお金には代えられない」
これは、彼の口癖というより、
お気に入りの言い回しのようなものだった。
「他人が善意で行うのであれば、対価は不要(いらない)」
それならば…。
「お前が善意で(勝手に)やったことだろう!」とすれば、
余計な手間もいらない。

・・・と考えての言い訳だったのだろうか?
しかし、シフト制の仕事において発生する、
交代時の“つなぎ時間”での業務を考えることもなく。
“他人の善意”を期待して、仕事を進めていくなど。
前提条件として無理があり。
さらに、休憩時間に割り込まれた人員へのフォローも行わなければ、
職場内の士気(モチベーション)は下がるだけとなる。
お金と仕事の問題から逃げ回るための、
小さな言い訳が、すでに大きなものにもなっていた。
このような“善意”を期待する言葉は、“善意の強要“となっていた。
これと張り合う訳でもなかったけど。
当時、(NA)は「社会的な信用は、カネでは買えんのじゃ!」と、
ふざけた言い回しを用いて、同僚たちの助けを(ちょっと強引に)借りて、
事業所の業務を覚えていった。

その後、お互いに違う意味で、
自分たちの言葉を証明していくことになり。
かなり皮肉な結末になっていく。
(2022年3月加筆訂正:続く⇒)