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はんぐおーば

二日酔いを意味する英語の「はんぐおーば(a hangover)」
まあ“酔っ払い”の言うこと。by.NA-094

地動説と天動説:“信じる”ことと知識は違う。

2020年08月10日 01時02分02秒 | 愚人投影(鈍考中!)

現在では常識となっている“地動説”は…、
(この場合、地球が太陽の周囲を回っているというものです。)
ある日、ガリレオという偉い“学者さん”によって、
「これまでの考え方は間違っている!」
「私の唱える“地動説”が正しいのです!」と、
自説を強引に押し通したようなものではなかった。

それまでにも“地動説”を唱えていたコペルニクスは、
天体の観測から、説明のつかない事実に気付き、
地球は恒星である太陽を回る惑星であり、
地球の周囲を回っている天体は、月のみになると考えていた。
※もっともコペルニクスには、宗教的な背景もあり、
科学的な始点だけで、地動説への発想に導かれたのではないらしい。



ガリレオは…。
当時、子供の玩具程度にしか扱われていなかった望遠鏡を改良して、
天体の観測に用いていくことで、
地球と同じような惑星である木星にも、
3つの衛星があることを観測し、天体の軌道を導いていった。
その軌道から、“地動説”を裏付けていく。

この発見が、聖書の教えに反するからと、
ローマの異端審問所において、撤回させられたという話の方が、
あまりにも印象的なことから?
“どうして地動説”が正しいのか?を、
ちゃんと覚えていなくて、説明に困ったことがあった。
(関連する過去の記事「ガリレオの衛星を探そう!?」)
「宗教は個人を幸せにするもので、世界を平和にするものではない」
…と言われたことがある。

キリスト教が支配する中世という時代は、哲学は神学に準ずるもの。
17世紀のイタリアで…。
ガリレオに対するキリスト教会の反応は、
科学的な思考が、一般にも浸透している時代ではなく。
宗教が、文化や知識、芸術であり、
そして、権威であった時代。
しかも、古代、アリストテレスらによって提唱された“天動説”は、
日蝕や月蝕を、数値的に予測できるもので、
現代の教養人でさえ、理解するのが困難なもの。

必ずしも、非合理的なものでなく。
おそらく、当時はハイレベルな科学的な教養だった。
アリストテレスは、ギリシアの哲学者プラトンの弟子と言われ、
あらゆる方面への研究を行った“万学の祖”とも言われる人物。
ありきたりな言い方になってしまうけど、天才だったのだろう。
歴史的な大天才の学説に対して、ガリレオが提示した科学的な実証は…。
当時の教養人たちを動揺させたのかも知れない。
「自分には不都合だ!」というだけで、
権威が根拠のある発言を黙らせたという歴史的な事実は、
今後もあり得ることだけに考えさせられるときがある。

ガリレオの科学的な功績としては、「落体の法則」も有名で、
その理論を実験で証明するという手法は、現在の科学にも踏襲されている。(2020年8月16日加筆訂正)



(過去の画像より:イタリアつながりで、イタリアンビール)

地球はデカかった!…とは、誰も言ってないのよ。

2020年08月09日 10時11分12秒 | 愚人投影(鈍考中!)

人類初の人工衛星スプートニク1号は、
1957年、旧ソビエト連邦が打ち上げた。
その4年後の1961年にユーリ・ガガーリンは、
人類初の有人宇宙船ボストーク1号によって、大気圏から地球を観測する。
しかし、それより二千年以上前には、
地球が球体であることを確信していた人たちがいた。

紀元前にエジプトに住んでいたエラストテネスという人は、
「アレクサンドリアの南にあるシエネの町では、
1年に1回だけ、夏至の正午において、井戸の水に太陽が映る」
という話を聞いたことから…。

“太陽が正確に天頂に位置している”ことだと気付いた。
そして、同時刻のアレクサンドリアで出来る影を観測して、
7.2度の角度となることを確認する。
すでに地球が球体であることに確信をもっていたのだろう。
この7.2度という角度は、2つの地点の緯度の差であり。
360度を7.2度で割った数から、2つの地点の距離をかけることで、
(50×距離)地球の大きさを算出したという。



日本でも、伊能忠敬(いのう ただたか:1745~1818年)が、
天体を観測して、地球の大きさを算出している。

その誤差は、0.2%とも言われている。
彼は、50代になって、蘭学の天文学を習うことから、
「地球の大きさ」を知りたいと思うことになる。
その計測方法は、北極星を定点にして、二点間の観測を行うこと。
地球が真円であるなら、観測距離と定点との角度から、
地球の中心から、何度の角度になるのかを割り出せる。
観測を行う場所が、近すぎれば、地球の大きさに対して、
角度が小さくなり、誤差が大きくなってしまう。
そのため、江戸と蝦夷地までの間で北極星を観測していく必要があった。
これが日本全国で測量を行った地図作りのキッカケとなる。



追記:
以前にも記したけど…。
かつて多くの人たちが地球の周囲を、
星々が回っているという天動説を信じていた。
「地球は、まん丸である」という地球球形説を、
イタリアの天文学者トスカネリ(1397~1482)が唱えたことで、
コロンブス(1446~1506)は西回りのインド航路への航海に向かった。
それまで多くの人たちが、地球は、まっ平らなものだと信じていたと聞く。
現代でも、GoogleやYahooで検索して、
よく分からなくても「おしまい」にする人は少なくないかも知れない。
まして、当時は、全国規模の高速鉄道もなければ、
国内外への飛行機も存在しない。
その実証や検証のため行動するなど、簡単には出来ない。
彼らの“知識への執念”には圧倒されるものがある。

雨と疑問と災害のこと

2017年06月26日 11時02分13秒 | 愚人投影(鈍考中!)

子供の頃、“湿度”という概念が、なかなか理解できなかった。
それでも…。
いつの頃からか?
「空気中にどれだけ水分が溶け込んでいるかを、パーセント表示したもの」だと、
理解できるようにはなった。
(関連する過去の記事⇒)
“これって、何だろうか?”
“何故だろうか?”
などと、不思議に思ったり、
分からないことを、他人に訊ねてはみたもの。
よく理解できないままだったことがある。
それに…。
学生時代は、学位や教養と言ったものを、
安っぽい処世術の1つのようにしか思えず、
どこか本気で取り組むのにも避けていたところがあった。
大人になっていくことで理解できることがあれば、そうでもないことがある。
自分なりの考えをもって、他人に説明できることもあれば、
他人の受け売りでしかない知識もある。
そこで、日々の生活の中で、疑問にも感じなくなっていることに気付く。
だから、古い疑問を思い出したときは…。
この「はんぐおーば」にアップしてみることがある。



夏場になると、落雷を引き起こす積乱雲が発生する。
10億ボルトもの電圧を発する雷だが、その正体は、静電気。
プラスティックの下敷きを髪の毛にこすりつけることで
発生する静電気と同じ種類のもの。
空気が乾いている冬場の時期は、静電気が帯電しやすく。
セーターなどへ着替えるときに、静電気でバチバチすることも少なくない。
このとき発生している静電気は、電力こそ、弱くても、
3000Vと高電圧で、なかなか侮れない。
反対に湿度の高い夏場は、空気中に導電性のある水の分子が多く、
静電気は帯電しにくい。
それなのに、湿気のカタマリのような雲の中では、
何故、静電気が帯電していくのか?
そう疑問に感じたことがある。

少し考えてみた。
静電気は、電気的に絶縁された2つの異なる物質が、
相接触して離れるときに発生し、物質の絶縁抵抗が大きいものほど大きい。
つまり導電性のある物質(水)も、
状態によっては静電気を発生させることになる。
急速に発生する積乱雲の中では、
大気中の水蒸気は、気流によって、冷やされて、氷の粒へと変わる。
雲の中で、その氷の粒は、浮き沈みを繰り返し、ぶつかり合って、
静電気を発生させていく。
大空を埋めつく尽くすほどの積乱雲の中に帯電していく静電気の量は、
もちろん、巨大なものになる。
神話や伝説などの時代から、落雷を、神の御業や怒りとして、
人類が畏れたのも不思議でないところ。
それに、実際、危険だから、ね。

付録?:
気象庁の気象情報では、「災害が起こるおそれ」のあるときは、“注意報”が、
「重大な災害が起こるおそれ」のあるときは、“警報”が発表されます。

気象庁による1時間の雨量。
[雨の降り方。※雨量は目安なので「以上」「未満」と厳密ではない。]
1時間の雨量 10~20mm
[ザーザーと降り、雨音で話し声がよく聞こえない。]
20~30mm
[ドシャ降り。側溝や下水、小さな川があふれる。]
30~50mm
[バケツをひっくり返したようなに降り、道路が川のようになる。]
50~80mm
[滝のように降り、土石流がおこりやすい。車の運転は危険。]
80mm以上
[雨による大規模な災害発生の危険があり、厳重な警戒が必要。]

台風と風について:
最大風速17m/秒未満を熱帯低気圧、
それを超えるものを台風と言います。
熱帯低気圧でも大雨を伴うものがありますから、注意が必要です。
台風は、暴風と大雨をもたらします。
また、梅雨の後半から夏にかけては、集中豪雨が多発する時期です。
昼間は晴れていても、大気の状態が不安定な場合は、
狭い地域に、突然、短時間に滝のような雨が降る場合があります。


台風の大きさ(気象庁による)
 呼び方 平均風速15m/秒以上の半径
台風 500km未満
大型の台風(大きい台風) 500km~800km未満
超大型の台風(非常に大きい台風) 800km以上

台風の強さ(気象庁による)
呼び方 最大風速(m/秒)
台風 17~33未満
強い台風 33~44未満
非常に強い台風 44~54未満
猛烈な台風 54以上
風の強さと被害想定(気象庁による)
※風速は目安なので「以上」「未満」と厳密ではない。
風速10~15 看板やトタン板が飛び始める。
風速15~20 風に向かって歩けない。
風速20~25 しっかりと体を確保しないと転倒する。
風速25~30 立っていられず、ブロック塀が壊れる。
風速30~ 屋根が飛び、家が倒れることもある。

(2018年1月加筆訂正)

空の下、地の上

2017年04月03日 00時44分47秒 | 愚人投影(鈍考中!)

子供の頃…。
自分の知らなかったことを、他人から伝えられても、
理解しきれないこともあれば、
自分の知っていることを、他人に伝えようとしても、
言葉が足りなかったこともある。
もう充分に、大人と呼ばれる年代を過ぎている。
それでも、疑問にも感じていないことは、答えなど知る術もなく。
もしかしたら、大人になった今でさえ
世の中のことなど、分かっていないのかも知れない。

紀元前にアリストテレスは、
「物体が落下するのは、重量(重さ)があるからであり」と考え、
「重い物体の方が、軽い物体より、早く落ちる」と述べていた。
この考え方は、ガリレオガリレイ(1564~1642)の「落体の法則」まで、
およそ2千年間、疑問に思われなかった。
(ガリレオに関連した過去の記事「ガリレオの衛星を探そう!?」)
同じように、紀元前、宇宙は天上界と地上界とに分かれていて、
太陽や月、星々が、地球(世界)の上で周回軌道しているのは、
それぞれに異なる運動法則で支配されているからだと考えられていた。
この考え方にアイザック・ニュートン(1642~1727)は、疑問を覚える。

アイザック・ニュートンは、ピューリタン革命や
チャールズ2世の時代のイングランドで生まれる。
ニュートンは、リンゴが地面に落下するのを見て、
「リンゴは落ちたのではなく。地面に引っ張られたのでは?」
「そして、リンゴも地球を引っ張っているのでは?」

…と考えていくことで、万有引力の法則に行きついていく。
(諸説あり)
そこで疑問になってくるのは、空の上より、はるかに上、
宇宙空間に浮かぶ、地球の衛星である“月”の存在。
万有引力が存在し、地球が月を引っ張っているのなら、
月は、何故、地球に落ちてこないのか?



物体を、地上から、秒速11.2kmの速度で打ち出すと、
地球の外へ飛び出してしまう。
しかし、秒速7.9~11.2kmの間の速度であれば、
物体は、地球の中心へと引っ張られながらも、
地球の周囲を移動して行くことになる。
つまり、月は、地球に向かって引っ張られて、
いつまでも落下し続けていることになる。

この発見がなければ、現在の宇宙開発はなく。
気象観測用の人工衛星もGPSも存在しないことになる。
携帯電話の位置情報サービスも精度の高い天気予報などもない。
現在にも続く、天才の発見による恩恵には圧倒されるときがある。
<2020年7月誤字脱字訂正>

ガリレオの衛星を探そう!?

2014年07月09日 20時01分28秒 | 愚人投影(鈍考中!)

数日前の仕事帰り。
何気なく、地上から空へと目線が向いた。
オフィスビルの照明も消えている時間帯とは言え、
都心だというのに、星がよく見える日だった。
こうしていると、空が動いているように見える。
昔の人たちは、大地(地球)を中心に星々が回っていると思っていたようだが、
あながち変な感覚だったとも思えない。
それでも、有人による航行で大気圏離脱した宇宙船から、
地上が撮影されるよりも前に、地球が球体状であり。
恒星である太陽を周回軌道する惑星であることに、人類は気付いていた。
なんとも、スゴい話である。

かつては多くの人類が地球の周囲を、
星々が回っているという天動説を信じていた。
イタリアの天文学者トスカネリ(1397~1482)が
「地球は、まん丸である」という地球球形説を唱えたことから、
コロンブス(1446~1506)は西回りのインド航路への航海に向かった。
大航海時代の話である。
それ以前の人たちは、地球は、まっ平らなものだと信じていたとのこと。
その後、ポーランドの天文学者コペルニクス(1473~1543)によって
天動説をくつがえす地動説が唱えられる。
※彼は地動説による社会的な影響を考え、晩年まで地動説の公表を控えたという。

子供の頃、「地球が太陽の周りを回っている」と言う地動説を
ガリレオ(1564~1642)という偉い学者さんが唱えたけど、
ローマの異端審問所において撤回をさせられたと学校で習った気がする。
しかし、その場を離れた彼は「それでも地球は回っている」と言ったとのこと。
…けれど、この言葉(セリフ)は、
ガリレオを尊敬していた教え子による創作であると言う説が濃厚とのこと。
当時の教会は、絶大な権威であり。
その圧力に逆らうのは、非常に危険なことだったのを考えれば、
仕方がなかったのだろう。
科学と宗教の対立は、ガリレオの時代以降も続いている。
(関連する話「ジーザスキャンプの感想」)
「真珠を豚の前に出してはいけない」…キリスト教の教えの1つだったかな。
これは多くの人を救うはずだった存在(宗教)が、権威を維持するため、
邪魔となる存在を排除(隠蔽)してきた歴史や現実を前にすると、
皮肉にも思えてしまう。



それにしても、有人による大気圏離脱を可能にした現代は、
ともかく、コペルニクスやガリレオは、
どうやって地球が回っているという事実に行き着いたのだろう。
学校で習ったような気もするけど、考えてみると彼らの科学的な業績を、
正しく理解できているのだろうか?

もし、ある日…。
「文部省(文部科学省)より緊急通達です。」
“これより小中学校の教育課程では、科学の教育課程において地動説ではなく。”
“天動説を取り入れます。”
こんなことになったら、どうするべきだろうか?
世の中には、自分の目で見たものすら理解できない人もいる。
何故?という疑問符が浮かぶ以前に“当たり前”や“常識”として教わったことは、
よく分かっていないままだったりする。

蛇足:
今度の土曜日、ディスカバリーチャンネルで組まれた科学番組が
東〇MXで放映される。
解説は、“車椅子の科学者”として知られるホーキング博士。
コペルニクスにガリレオ、ニュートン。
そして、アインシュタイン。
そんな歴史上の天才に劣らないスティ-ブン・ホーキング博士。
ちょうどよく宇宙に興味が向いているときだけに、うれしいタイミング。
また楽しみなテレビ番組というところ。
(2020年8月:一部訂正)