子供の頃よりスキーは一番好きなスポーツだった。
師範学校に入ったとき、1年間だけスキー部に入りました。2年目に学制改革で大学に行くことになったのがきっかけで、スキー部はやめました。経済的なこともあったのです。
沼田高校の時代は、町内のスキー大会などに出て、楽しんだり、検定に挑戦したり、時には体育のスキー授業の手伝いをしたりしていました。
検定のほうは、美唄に転勤になつてから、昭和42年に1級を取りました。美唄の頃は、毎年冬休みに入ると、同僚何人かと、ニセコに1泊2日で出かけたものでした。国際スキー場やキロロにも行きましたが、一番面白かったのは、ニセコ、比羅夫でした。
札幌に来てからは、スキー部の顧問もやりましたが、何せ、競技スキーの選手で無かっただけに、競技の指導の出来ない顧問でした。冬休みは無いに等しい状態で、7年くらい続けていました。おかげで、いろいろなスキー場に行くことが出来、その点では恵まれたといえるのでしょうか。
定年退職してからも、70歳くらいまでは、手稲山に出かけていたものです。しかし、70を過ぎてからは、一人で出かけるのがとても億劫に成り、やめてしまいました。それでも、スキー靴もスキーも捨て切れないでいました。
残していても、後々邪魔になります。思い出だけは、なくなることも無いのですから、思い出だけを残して、明日の燃えないごみに出すことにします。スキーも捨てたいのですが、半分に折るか,切るかしないと、持って行ってもらえないかもしれないので、ためらっています。