「この道や行く人なしに秋の暮れ」という芭蕉の晩年の句がふと思い出された。
前にも後ろにも人影がなく、一人旅を続ける芭蕉の孤独感がにじみ出ている句です。「秋の暮れ」と言う言葉は、「秋の夕暮れ時」という理解と「秋がもう終わろうとする=暮秋」の二通りに取れます。
それでなくても寂しい秋、その夕方は更に寂しさを強めます、どこが今夜の宿なのか、それさへ定かでない旅の寂しさがにじみ出て、孤独感を強めています。
秋の暮は同時に暮の秋、芭蕉はこの句を作った頃、病に侵されていました。人生の暮を意識していた時の句なのです。
ただ、言葉どおりの理解でも十分に素晴らしい句であることは判るのですが、俳人芭蕉のたどり着いた、俳諧への思いとして評価されています。即ち、俳諧一筋に歩いてきて、今周りを見渡すと、自分の求めてきた俳諧の道を、真に理解してくれる人もいないという、孤独感だというのです。
芸術家でお弟子さんを沢山お持ちの方も多い。そんな中で、芭蕉以上にお弟子さんを持った人はいないといわれます。奥の細道の旅だって、お金があってのものではなく、行く先々に弟子が待っていてくれて出来た旅なのです。そんな芭蕉が、孤独をかみしめる、将に孤高の寂しさがあるのです。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」辞世の句になったといわれます。蕉風を確立した、俳諧の巨星、その高さゆえ、理解されない、理解されようともしない行きかただったのでしよう。</font>