学校の歴史の授業で「西南戦争」とか「西南の役」と教えられた薩軍と明治新政府軍との内戦。でも、何で「西南戦争」と言うのかは教えてもらえませんでした。また、何で西南戦争と呼ぶのかなど特に疑問にも思いませんでした。が、その答えは延岡市北川町の西郷隆盛宿陣跡資料館にありました。
明治中期までは方位を言う場合に、中国の影響で「東西」を先に「南北」を後に言っていたそうです。それが、西洋の学問がそれまで以上に盛んになる明治中期以降は、「南北」を先に「東西」を後に言うようになったそうです。
「東西南北」とか「東北地方」とか、早稲田大学の校歌の「都の西北」なんて言うのも「西南戦争」と言うのと同じ理由なんだなぁと思いました。
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