行縢探検倶楽部

延岡市にある行縢山(むかばきやま)を気楽に楽しんでいる皆さんの情報交換の場ですのでお気軽に書き込みください

隠岐の島の旅 ⑤中ノ島観光(後鳥羽上皇御火葬塚、隠岐神社)

2015-06-30 18:12:40 | Weblog

知夫里島の赤壁観光を終えた後、チャーターした豪華クルーザー船で来居港から中ノ島の菱浦港へ。 すぐにバスに乗って昼食会場のホテルへ直行、名物の”えり焼き鍋”をいただきしばし休憩。中ノ島の見どころは、承久の乱に敗れて隠岐の島に配流された後鳥羽上皇の御火葬塚と後鳥羽上皇をお祀りしている隠岐神社です。 私が今回隠岐の島を訪れた理由の一つでもあります。

 

このクルーザー船で来居港から菱浦港まで行きました。

 

漁師料理の名物 ”えり焼き鍋” (味のついただし汁に、ハマチの切り身と豆腐と玉ねぎが入っていました)

 

食事の会場のホテル ”マリンポートホテル”(?) 屋根の形(千木)がいかにも隠岐らしいですね)

 

ホテルのロビーからは海が見えます。

 

隠岐神社前の道路

 

綱掛けのの松、 近くの資料館にこの松の幹が飾ってありました。 ここには根っこだけが残っています。

 

後鳥羽上皇御火葬塚

 

扉の部分に菊の御紋が見えます。

 

この階段と石垣が歴史を感じさせます。

 

御在所跡

 

おおよその広さは、縦方向:15m位 横:28m位 約130坪位ではなかったでしょうか? (歩測で)

 

歌碑

 

 

 

隠岐神社

 

狛犬、子供の狛犬が分かりますか? 後鳥羽上皇に子供がいたという説があるとか? こちらが”雌”

 

狛犬、こちらは”雄”、隠岐地方の狛犬は後ろ足を立てているそうです。 

 

右側の神輿はまだ”現役”だそうです。 5年に1度かつがれるそうです。 紋に注意して下さい。右側は菊の御紋ですね。

 

このスズメは「四羽」、触ると「しあわせ」になるそうです。 私も触ってきました。

 

海士町(あまちょう)後鳥羽院資料館

 

 

私も1回打ちました。

 

 

 


隠岐の島の旅  ④知夫里島観光(赤はげ山&赤壁)

2015-06-29 14:13:32 | Weblog

27日、隠岐の島観光の始まりです。 西ノ島町の浦郷港からチャーターした豪華クルーザー船で知夫里島の来居港へ。 最初の行先は、貸し切りバスで名前がちょっと気になる「赤はげ山」へ、バスガイドさんはいないので道中は運転手さん自ら名調子でバスガイド役を。

 「知夫里島の人口は約800人、うち65歳以上の老人が半分の400人、山の上に老人ホームがありますが、老人が元気が良すぎて入る人がいません。 役場は困っています。」 「ここは小中学校一緒です、児童・生徒は全部で30人、先生は14人います。」 「駐在さんは1名です、事件は一件もおきません、駐在さんはいつも釣りをしています。」 と、こんな調子です。

赤はげ山頂上に着くと生憎ガスがかかっていてせっかくの景色がよく見えません。すると、名ガイドさんの 「赤はげ山の展望台に着きました、何にも見えない展望台です。」 と言う説明に皆さん大爆笑。 景色ははっきり見えはしませんでしたが運転手さんのこの言葉で景色は良く見えなくても晴れ晴れとした気持ちになりました。 ものも言いようで丸くおさまる、と言いますが言葉って本当に大切ですね。 勉強になりました。 運転手さんありがとうございました。

 

浦郷港からチャーターした豪華クルーザー船にのり込みました。

 

港にあるバーベキュー店、入り口はアワビの殻で飾ってありました。

 

知夫里島の来居港に到着

 

赤はげ山、生憎ガスで周囲がはっきり見えません。 運転手さんのおっしゃる通り「何にも見えない展望台」です。 でも、これだけでも見えれば十分満足です。 赤はげ山頂上らの景色は延岡の鏡山の頂上から眺める南北海岸の景色に似ています。 鏡山も昔は牛を放牧していましたが今も放牧しているのかな?

 

 

 

 

宇多喜代子の歌碑

歌に出てくる「野ダイコン」の花

 

タヌキの親子? 夫婦?がいました。(車窓から)

 頂上付近の石垣、万里の長城とか? (車窓より)

 

赤壁見学用の駐車場に着きました。 「安全柵も何にもありません、落ちないようにお願いします。」と運転手さん。 今後、観光客が増えれば安全柵が設置されるのではないかと思います。 個人的にはこういったものは「自然のままの姿」で見たいので安全柵等は作ってほしくないですね。

 

駐車場から赤壁までには放牧された牛の姿が見られます。 子牛が乳を飲んでいます。

 

赤壁(海に向かって右手の壁)

 

海に向かって左手の壁、私は赤壁よりもこちらの方により迫力を感じました。

 


隠岐の島の旅  ③波止(はし)地区の風景

2015-06-29 13:51:39 | Weblog

27日(木)朝食を済ませ出発までに時間があったのでホテルがある波止地区をちょっとだけ散策してみました。 山の方からは、うぐいす・ホトトギスの鳴声が聞こえ、のどかな漁村といった感じでした。

朝食

 

島の中では、どこも「ねぶの花」が満開でした。 隠岐の島の「ねぶの花」の色は延岡のものに比べてピンクの色が濃いような感じがしました。

 

サンゴシトウの花

 

道路を作るために削った山の斜面、火山島だったことが分かります。

 

海岸沿いに歩きました。

 

沖には海上保安庁の巡視船も停泊していました。

 

波止の港から見たホテル

 

バス待合所、1日3便の買い物支援バスの時刻表がありました。

 

ハマヒルガオの花

 

海岸の石は丸いものばかりでした。

 

波止地区の墓所、綺麗に清掃されていました。 ご先祖様を大事にするんですね。

 

ホテルの前庭にある「べんてんさん」、小さな石を1個おきましたが、お願い事を書くのを忘れました。

 


隠岐の島の旅  ②境港~リゾ隠岐ロザージュ

2015-06-29 11:55:20 | Weblog

境港を14時25分発の”フェリーしらしま”で島前・西の島町の別府港に17時05分着。 ホテルに到着後一風呂浴びて夕食、夕食後は”隠岐伝統芸能祭”ということで「隠岐民謡を唄う会」の方々の民謡と「藤の会」の方々の踊りを鑑賞させていただきました。 イケメンの観光協会の若者の司会で盛り上がりました。 東京府中市から来られたという一行の方々の「おひねり」が更にその場をもりあげてくれました。 よほど旅慣れているのでしょう。 「最初から準備していました。」とのこと。

 

フェリーしらしま

 

境港を出港。 大山は麓は見えているものの頂上は雲で見えません。

 

橋の下を通過。 フェリーの一部が橋に当たりはしないかと思っていましたが、橋との間には意外と”距離”がありました。 若くてきれいな女性も私と同じことを思ったのか同じアングルで写真を撮っていました。 ”ぶつかるのではないかと思いましたが意外と距離があるんですね” と言っていました。

 

 

本土ともしばらくお別れ、大山は姿を見せずじまいでした。

 

島前、西ノ島町の別府港に入港、強風が吹いていました。

 

ユルキャラが出迎えてくれました。

 

ホテルに到着。 ホテル名は ”リゾ隠岐ロザージュ”   意味は分かりません。

 

夕食。 夕食に漬物がありませんでした。 こちらの習慣なんでしょうか? 田舎者には漬物が必須です。

 

ホテルからの夕景、 わずかながら陽がさしていました。

 

隠岐伝統芸能祭

 


隠岐の島の旅 ①水木しげるロード

2015-06-29 10:32:21 | Weblog

以前から一度は行って見たいと思っていた日本海に浮かぶ小さな島「隠岐の島」、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流された島としても有名な島です。 6月26日(金)から28日(日)までの2泊3日で読売旅行のツワーに参加して来ました。 隠岐の有人島4島(島前:中ノ島・西ノ島・知夫里島、島後:島後島)の地をすべて踏んできました。

ちなみに島前(どうぜん)、島後(どうご)と「島」を「とう」と発音せずに「どう」と発音するのは、もともと道前、道後と表記していたものを島前、島後と表記するようにしたが、発音だけはもともとのなごりで”どうぜん・どうご”と発音しているそうです。 というバスガイドさんの説明がありました。

6月26日(金) :延岡を午前4時に出発、6時40分大分駅発のJR特急に乗車、小倉から岡山まで新幹線、岡山から米子までJR特急、米子から境港までJR普通、境港から隠岐の島の別府港までフェリーボート、別府港からホテルまでホテルの送迎バス、ホテルに着いたのが午後5時頃、長い移動時間でした。

  

米子発境港行きの普通列車、とにかく”ゲゲゲの鬼太郎”一色でした。

 

列車の中もこの通り(行き)

 

 

(帰り)

 

途中の駅名は通常の名称と、”ゲゲゲの鬼太郎”での駅名と両方併記されていました。 <弓ヶ浜駅>は「あずきあらい駅」という風に。

 

JR境港駅に到着、駅を出るなりここも列車内同様 ”ゲゲゲの鬼太郎”一色でした。

 

カーフェリーに乗るまでの自由時間 小雨の降る中 ”水木しげるロード”を散策しました。 26月26日は金曜日ということもあってか人影はまばらでした。 

我々が話しながら歩いていると、お土産屋さんの女性の方が「九州からですか?」と話しかけて来ました。「 私も長崎出身です。」と言われ、「九州の言葉を聞くとホッとします。」と言われていました。 言葉の抑揚に特徴があるのでしょうね。 やはり「方言」は「無形文化財」大切にしたいと思いました。 そう言えば、昔、尾道の食事屋さんでも注文しただけで「九州ですか?」と言われたことを思い出しました。

 

 

 

交番も”鬼太郎”交番でした。

 


塩ソフトクリーム

2015-06-25 09:19:52 | Weblog

ソフトクリーム、よくその土地土地の特産物を生かしたユニークなものが売られています。 ここ、道の駅「きたうら」のソフトクリームは、自家製の塩(太平洋の海水から作られています)がソフトクリームに入っています。 甘さと塩の味がミックスされた何とも言えない絶妙な味です。 とにかく後味がいいことが特徴ではないかと思います。 機会があればぜひ一度ご賞味下さい。

 

 

道の駅「きたうら」は、sakarunさんが出場された、北浦~島野浦横断遠泳大会が行われる所としても有名です。 ここのきれいな海水を煮詰めて天然の塩が作られています。


いわまつ

2015-06-24 05:27:34 | Weblog

5月中旬、行縢山にササユリの開花状況確認に行った際、崖下に落ちていたものを拾ってきました。 周囲には落ちたまま枯れてしまった「いわまつ」が数個転がっていました。 枯れてもともとと思って毎日水をやっていたら、最近何とか「いわまつ」らしくなってきました。 


竹田市(たけたし)散策

2015-06-23 21:36:41 | Weblog

直入温泉に行く途中、竹田市内で昼食をとろうと思い市内の観光客用の無料駐車場に車を止めて、竹楽の時によく食事する食堂に行く事にしました。 食堂の名前は「ひらた食堂」うどん・そば・チャンポン等の麺類の麺はすべて手打ちだそうで、腰があってとても美味しかったです。 値段も安く竹田市内ではお勧めのお食事処だと思います。 ちなみに、ここ竹田市は、「たけだ」ではなく「たけた」と発音するんですね。 

 

歴史資料館、竹楽の時は本部が置かれているようです。

 

日露戦争で有名な明治時代の軍人、「広瀬中佐」の像

 

観光客用の無料駐車場

 

竹田市の昔懐かしい町並み

 

無料休憩所、”もやい”懐かしい言葉でした。

 

ひらた食堂

 

冷やし中華、あまず主体の味ではなくこの店オリジナルの味ではないかと思いました。 麺がもっちりしていて美味しかったです。 ¥600

 

ざるそば、腰があって美味しい手打ちそばでした。 ¥500

 

 

竹田市を代表する銘菓”荒城の月”で有名な「但馬屋」

 

 

街中を流れている「川」、排水溝かな?と思えるような「川」ですが、10センチ~20センチ位の「ハエ」が群れを作って泳いでいました。

 


熊野江川河口の干潟

2015-06-22 16:44:54 | Weblog

熊野江川河口の干潟で新種のシオマネキが発見されたという記事が地元の新聞に載っていたので、そのシオマネキに出あえるかも? と思い河口をぶらっと歩いてみました。  唯一、カニみたいなものの姿を見ることが出来ました。 姿がかわいかったので写真に撮ってみました。 シオマネキは爪の大きさが左右違うと思うので、左右同一のこのカニはシオマネキではないと思います。 また、河口岸にはハマボウの木があって蕾が沢山ついていました。 

 

カニの親子、 親ガニの甲羅は3~4センチ位だったでしょうか?(カニは水の中です)

 

これは親子のカニとは別のものです。(カニは水の中です)

 

ハマボウの蕾