旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

啓蒙とは何か

2014年04月12日 08時10分15秒 | Weblog

同窓世話人会の帰り道にひとり、大手町のブックオフに寄った。文庫本の売り場でカントの「啓蒙とは何か」(岩波文庫)が目に留まった。表題部の解説によれば「啓蒙とは何か」「人類の進むべき道」「人類の起源」「世界の終り」「理論としては正しいが実際には役に立たぬという批判」をテーマにしたカントの歴史哲学に関する小論5篇が収められている。
「啓蒙とは何か」の一節。「啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることである。未成年状態にある原因は、悟性が欠けているためではなくて、むしろ他人の指導がなくても自分自身の悟性を敢えて使用しようとする決意と勇気を欠くところにあるからである。」カント著 篠田英雄訳「啓蒙にとは何か」岩波文庫(一部省略)
「啓蒙を成就するに必要なものは、実に自由に他ならない。しかもおよそ自由と称せられる限りのもののうちで最も無害な自由、すなわち自分の理性をあらゆる点で公的に利用する自由である。ところが私は諸方から『君たちは議論するな!』と呼ばわる声を聞くのである。自由にはいつでも制限が付せられている。」カント著 篠田英雄訳「啓蒙にとは何か」岩波文庫(一部省略)
「どのような制限ならば啓蒙を妨げないで、むしろこれを促進し得るのであろうか。この問いに対して私は答える、自分の理性を公的に使用することは、いつでも自由でなければならない。これに反して自分の理性を私的に使用することは、時として著しく制限されてよい。ここで私が理性の公的使用というのは、あるひとが学者として、一般の読者全体の前で彼自身の理性を使用することを指している。」カント著 篠田英雄訳「啓蒙にとは何か」岩波文庫(一部省略)

カントは、「義務ないしは当為の意識によって決定される行為を理性的であるという。また、悟性を分別知、比較知、概念的・論証的能力とみなしている。」哲学事典(平凡社)を参照