旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

「失われた10年」

2008年12月21日 23時28分02秒 | Weblog
アリ対リストン



冷たい雨が降る日は暖かい部屋で読書にふける。休日ならばなおさら意欲が湧いてこようというものだ。晴働雨読がわたしのモットーである。会社の向かいにあるブックオフで、ほぼ3日に4冊の割で105円本を購入している。良い本ほど安価であるブックオフに感謝している。

NHKスペシャル「失われた10年を問う」(村上龍編集 2000年5月発行)は、大蔵省の銀行局による強力な行政指導によって、規模の大小にかかわらず、間接金融を旨とする銀行が、同じ融資条件で競争せざるを得なくなった結果、ほぼすべての銀行が不動産や株式を担保にした過剰融資に走らざるを得なかったとを検証してみせる。

実需が伴わないまま加熱した不動産融資(企業や法人からみれば投資)は地価の高騰からやがて地価の暴落を招き、引き続いて株価を暴落させてわが国に長期の不況をもたらした。では当時の銀行の過剰流動性が不動産や株式に向かわせないようにする方策があったかどうかという村上龍の問いに対して、多くの識者たちは言葉をつまらせる。

その識者たちが口を揃えて「失われた10年」は、内需の拡大を強いられたわが国の財政・金融政策が、地価の暴騰を抑止するための有効な手を打てなかったからであると指摘している。傍観者ならではの、解決策を提示しない悪しき意味での批評家のそれである。

確かに、サブプライムローンやCDSが金融恐慌の引き金になった。しかし、アメリカ発の金融恐慌は、前回は株式の、今回は不動産のバブルがはじけてしまったことが原因であることに疑いの余地はない。わたしも偉そうに、国家の破綻を避けるためには1930年代のアメリカの経験よりも20年前のわが国の経験に習った方が有効であろうと無責任な発言をしてみる。