『桃李言わざれども下自ずから蹊を成す』
桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕て人が自然と集まって来ることの喩え。(どこかの漢文教科書から引用)
庭の杏子(あんず)は桃や李(すもも)の花よりも華やかで美しいというのに木の下にひとは集まらない。家の主が成蹊の対極にあるような人物なのだからやむを得まい。個人的には、杏子の花よりも実をつけた杏子の木のたたずまいが好きだ。