旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

反抗的人間

2009年01月12日 00時49分06秒 | Weblog
何かに迷うと濫読に走る。様々な迷いを吹っ切るために読み始めて30年以上が経過した。そして、現在も迷いの最中にある。


久しぶりにカミユの「反抗的人間」を読み直してみて、改めてカミユの知識の量と質に圧倒された。自らの世界観を明らかにするという目的をもって書かれたカミユのこの著作は、わたしの様に場当たり的な読書をしてきた者には手ごわい。しかも、その妙な一貫性と理屈っぽさには辟易とさせられる。それでも読む。翻訳に難があってもなお文体は明晰である。

数十年前には懸命に読んでも理解が及ばなかった「シーシュポスの神話」にもざっと目を通してみた。カミユがアルジェリア生まれのフランス人であったことを差し引いたにしても、ギリシャ神話に取材したこの著作によってヨーロッパ文明の無味乾燥な面に触れたような気がした。カミユはこの著作で不条理と死について論及する。不条理・・・、懐かしい響きがある。


多分にテレビや映画、DVD、ネットの影響であろう、最近になって遠いヨーロッパを身近に感じ始めた。文化の背景を容易に視聴覚で確かめることができる。ありがたいグーグルの検索機能によって腑に落ちるまで文字や映像で追うことができる。ネットの向こう側には情報に富んだフランスがある。

フランス人カミユと日本人はやとの文化の差は急速に縮まった。今やカミユを読むことは、鴎外や漱石を読むのと同様のギャップしかない。それにしても、フランス人というよりもフランスの思想家や作家はどうしてああも理屈っぽいのであろうか。かなり呆れかかっている。