旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

カミユ・サルトル論争

2009年01月10日 16時00分32秒 | Weblog
      サルトルとボーボワール




時間つぶしに寄った書店で渡辺淳著「二十世紀のフランス知識人」を手にとってみた。ジィド、マルロー、ベケット、ルカーチ、サルトル、カミユ、メルロ・ポンティー、レヴィ・ストロース等馴染みの思想家やその名を聞いたこともないようなフランスの知識人たちが織りなす思想的格闘、協力と離反劇が克明に綴られている。迷わず買った。

著者は、「アンガジュマン」をめぐる「サルトル・カミユ論争」にも数ページを割いている。カミユが「絶対的な反抗による連帯」を唱えたのに対して、サルトルは「人間は自らについて責任があると考えるが、それは全人類に対して責任を持つということなのである。・・・だから私は自分の自由といっしょに他人の自由をも望まないではいられないし、実際に自他は相互に依存し合っている。だから実存主義は楽観論であり、行動の教義なのである。」(一部改竄)という。

われわれの学生時代は実存主義に傾倒する者が多かった。かぶれるものが多かった。わたしも例外ではなかった。西洋的個人主義すらろくに理解できない身でサルトルやカミユを読み漁った。上記のような実存主義の要諦を理解できるようになったのはつい最近のことである。われながら随分思想的に奥手だと思う。

著者も触れているように、「風貌や作品の風合いとは異なって、サルトルはカミユより8歳年長である。カミユは貧しい家庭の出で、北アフリカで共産党に入党して政治にコミットしていた。一方サルトルはブルジョアの出身で政治への参加はカミユよりも遅かった。カミユが詩人肌で感性派なのに反して、サルトルは理論家肌で知性派であった。」

読み進むうちにその博識ぶりに著者のことが気にかかってならなくなった。東大仏文科卒(そういえば難解を極めるノーベル賞作家、大江健三郎も東大仏文科の出だ。)で東京都立大学名誉教授であるから学者としては別に特記するような経歴ではない。

ところが、生年を見て少なからず驚いた。渡辺淳、1922年三重県のお生まれとある。この新書の発行が2004年の2月であるから御年80歳台での著作ということになる。現職はフランス文化・演劇・映画の評論家であるという。思わずもう一冊読みたくなってamazonで氏の作品を検索した。


株で儲けるのは難しい

2009年01月10日 00時12分15秒 | Weblog
アメリカを震源地とする金融恐慌は、日本・中国・大韓民国やユーロ圏からの対米輸出攻勢と不動産担保による消費者への過剰な融資が主要因であったことが鮮明になりつつある。

米国民の過剰な消費は不動産価格の急落によって(これこそがサブプライム問題の根幹をなす。)終焉を迎えた。次いで供給(輸入)が過剰になって米国経済はインフレ経済からデフレ経済へと変貌しつつある。

将来の景況判断は株価に反映する。オバマの選択肢(構想)の殆どは既に市場に織り込み済である。期待が大きい分、失望の「売り」が先行するとみるのが妥当だ。したがって21日の米国株式市場は大幅に下げる。下げて当然だ。

ところが、わたしの予想が下げるという確信を大きくするほどに株価が上昇する可能性は逆に高まる。全知全能を傾けたわたしの株価予測が当たった試しがないという経験の賜物だ。

株に理屈や理論は不要である。大口の投資家たちの動向を用心深く観察することの方が重要なのだ。大口の投機筋の動きに逆らうと痛い目にあう。妥当で大方の予想に反して大口は買う、買い進むに違いない。

そして上げるだけあげておいて一斉に売りに転じる。大口がいつ売りに転じるかを読むのはなおさら難しい。一般投資家は翻弄されて右往左往するばかりである。(だからわたしは株をやらない。)

ドル安に販売不振、わが国の輸出産業は大きな打撃を受けて現在に至る、しかも21世紀の日本を牽引してきたのは自動車や家電、産業用ロボット等の輸出産業である。日本の政治的リーダーシップに期待できないことは周知、したがって日本の命運はアメリカの新大統領の政策次第というお粗末な状況に陥ってしまった。

金融恐慌が世界の経済恐慌にまで進むかどうかは、1月20日にオバマが大統領に就任するまでに残されたあと10日間ほどの間にオバマや彼の閣僚やブレーン達がどのような経済政策を構想しどのように市場から評価を受けるかにかかっているといってよい。この救国構想にしばらくの間、市場は敏感に反応することであろう。

どこから資金を調達するのかという問題をさておくと、米国の金融恐慌を沈静化させるためには政府による資本の注入や資金の提供、金融機関の国有化がもっとも有効である。

実体経済と金融との相関はジャーナリズムが騒ぎ立てるほど深刻な問題ではない。むしろ景気の浮揚策がもっとも重要である。その浮揚策を打ち出せないから米国や日本、ユーロ圏および世界各国は恐慌前夜なのだ。

「究極のところがオバマ任せの世界経済」であることに気がついたので経済・金融関係の本を読むのはやめた。経済というものはなるようにしかならない。わたし自身が景気の波に乗ってうまく立ち回ることができるほど器用でないことは重々承知だ。