サルトルとボーボワール
時間つぶしに寄った書店で渡辺淳著「二十世紀のフランス知識人」を手にとってみた。ジィド、マルロー、ベケット、ルカーチ、サルトル、カミユ、メルロ・ポンティー、レヴィ・ストロース等馴染みの思想家やその名を聞いたこともないようなフランスの知識人たちが織りなす思想的格闘、協力と離反劇が克明に綴られている。迷わず買った。
著者は、「アンガジュマン」をめぐる「サルトル・カミユ論争」にも数ページを割いている。カミユが「絶対的な反抗による連帯」を唱えたのに対して、サルトルは「人間は自らについて責任があると考えるが、それは全人類に対して責任を持つということなのである。・・・だから私は自分の自由といっしょに他人の自由をも望まないではいられないし、実際に自他は相互に依存し合っている。だから実存主義は楽観論であり、行動の教義なのである。」(一部改竄)という。
われわれの学生時代は実存主義に傾倒する者が多かった。かぶれるものが多かった。わたしも例外ではなかった。西洋的個人主義すらろくに理解できない身でサルトルやカミユを読み漁った。上記のような実存主義の要諦を理解できるようになったのはつい最近のことである。われながら随分思想的に奥手だと思う。
著者も触れているように、「風貌や作品の風合いとは異なって、サルトルはカミユより8歳年長である。カミユは貧しい家庭の出で、北アフリカで共産党に入党して政治にコミットしていた。一方サルトルはブルジョアの出身で政治への参加はカミユよりも遅かった。カミユが詩人肌で感性派なのに反して、サルトルは理論家肌で知性派であった。」
読み進むうちにその博識ぶりに著者のことが気にかかってならなくなった。東大仏文科卒(そういえば難解を極めるノーベル賞作家、大江健三郎も東大仏文科の出だ。)で東京都立大学名誉教授であるから学者としては別に特記するような経歴ではない。
ところが、生年を見て少なからず驚いた。渡辺淳、1922年三重県のお生まれとある。この新書の発行が2004年の2月であるから御年80歳台での著作ということになる。現職はフランス文化・演劇・映画の評論家であるという。思わずもう一冊読みたくなってamazonで氏の作品を検索した。
時間つぶしに寄った書店で渡辺淳著「二十世紀のフランス知識人」を手にとってみた。ジィド、マルロー、ベケット、ルカーチ、サルトル、カミユ、メルロ・ポンティー、レヴィ・ストロース等馴染みの思想家やその名を聞いたこともないようなフランスの知識人たちが織りなす思想的格闘、協力と離反劇が克明に綴られている。迷わず買った。
著者は、「アンガジュマン」をめぐる「サルトル・カミユ論争」にも数ページを割いている。カミユが「絶対的な反抗による連帯」を唱えたのに対して、サルトルは「人間は自らについて責任があると考えるが、それは全人類に対して責任を持つということなのである。・・・だから私は自分の自由といっしょに他人の自由をも望まないではいられないし、実際に自他は相互に依存し合っている。だから実存主義は楽観論であり、行動の教義なのである。」(一部改竄)という。
われわれの学生時代は実存主義に傾倒する者が多かった。かぶれるものが多かった。わたしも例外ではなかった。西洋的個人主義すらろくに理解できない身でサルトルやカミユを読み漁った。上記のような実存主義の要諦を理解できるようになったのはつい最近のことである。われながら随分思想的に奥手だと思う。
著者も触れているように、「風貌や作品の風合いとは異なって、サルトルはカミユより8歳年長である。カミユは貧しい家庭の出で、北アフリカで共産党に入党して政治にコミットしていた。一方サルトルはブルジョアの出身で政治への参加はカミユよりも遅かった。カミユが詩人肌で感性派なのに反して、サルトルは理論家肌で知性派であった。」
読み進むうちにその博識ぶりに著者のことが気にかかってならなくなった。東大仏文科卒(そういえば難解を極めるノーベル賞作家、大江健三郎も東大仏文科の出だ。)で東京都立大学名誉教授であるから学者としては別に特記するような経歴ではない。
ところが、生年を見て少なからず驚いた。渡辺淳、1922年三重県のお生まれとある。この新書の発行が2004年の2月であるから御年80歳台での著作ということになる。現職はフランス文化・演劇・映画の評論家であるという。思わずもう一冊読みたくなってamazonで氏の作品を検索した。