goo blog サービス終了のお知らせ 

旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

島田裕巳著「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリストについて」

2008年06月05日 00時27分25秒 | Weblog
蒸し暑いので本屋で涼みながら立ち読みをしていると懐かしい名前が目にとまった。オウム事件の舌禍で日本女子大教授の座を引きずり下ろされた宗教学の島田裕巳さんそのひとだ。著者紹介によると現在は東京大学先端科学技術研究センター特任研究員と中央大学の非常勤講師を務めている。

かって中沢を助教授に据えるかどうかで東大が紛糾した。教授会が彼の就任を否決した際にはそれこそ3面記事的に解釈して、学者としての力量に盲目のまま、ただ教授会に対して憤りを覚えたものだ。若気の至りである。その事件ののち中沢は私の母校に教授として着任した。そして10数年前に中沢新一の著作を初めて2.3冊手にすることになった。

今では書斎にうず高く積まれた本の肥になって探すのも困難だ。はっきり言って面白くもなんともなかった。自らの宗教体験を無邪気に述べたてるだけで訴えるものがない。でいて、しきりにあちらさんの固有名詞や訳のわからない単語を乱発する。もしも私が東大の教授選考の担当者であったと仮定する。選考の手法についての問題を棚上げすれば、はやと教授は間違いなく中沢に不適格の判定を下したことであろう。

島田は、中沢新一がチベット仏教の体験を記した「虹の階梯」がオウムの麻原に利用されて「洗脳の書」「信徒を誘引する種本」になっていたにもかかわらず、学会やマスコミから不問に付されていることがどうしても許せないらしい。彼の出自から研究歴、チベットでの修行の実態からオウムとの関係に至るまで3面記事的手法を駆使して中沢の実態を暴きなじっている。

例えば、戒律を犯すことによって生計を成り立たせている人々がいる。こういう人々には宗教的な救済を奪われているので、逆に社会によって否定されている事項を実践することによって救済の可能性を見出そうとする考え方がある。これをタントリズムという。悪人正機説が典型だ。

この元マルキスト一家の甥っ子(中沢)が、オウムの麻原が被差別の出身であるというデマを流してそのタントリズムを強調しようとしたり、中沢が自らの出自が被差別に近いことを仄めかしていることを島田は見逃さない。中沢のオウムに係るタントリズムの解釈は、父の妹の旦那である網野善彦の歴史観を援用しようとして実は歪曲するまがいものであると明言する。

3面記事的な傍若無人ぶりには「中沢は無罪放免で、なんで自分だけが・・・」という島田の怨念がこめられている。が、文体どおり風貌どおり、羽のように軽い中沢をどこから責めてもスルリとかわされるのがおち。中沢の実態は彼の文体が物語っている。

学者世界の裏話をうんざりするほど聞かせていただきました。お疲れ様でした。島田センセに合掌。