旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

難問

2006年01月14日 21時55分39秒 | Weblog
なぜ人を殺してはいけないのか?と問われると言葉に詰まります。ざっくりと「人を殺してはいけないのだ」ということを前提に話を進めます。

国権の発動としての戦争を、異なる国民・民族(近代国家はその殆どが民族国家ですね?)相互の殺し合いであるとみるかどうかで、結論がかなり違ってくるように思いわれます。もちろん戦争には人を殺しあうという側面もありますが、単なる殺し合いじゃないことだけは確かです。教科書どおり、国家の意思もしくは国民の意思(民主国家の場合)とでも言うのでしょうか、政治の延長線上に戦争があるのだと解釈します。

すると、戦争中の「無差別殺戮と安楽死を行うこと」との間にはおのずと大きな因果の差があります。
安楽死の対象となるひとは特定されており、行うひとだって医師であれ身内であれ特定されているのです。個人的な行為であるということになります。
一方、交戦中の軍隊ならなお更、上官の指揮命令に従わない場合、将兵が銃殺刑に処せられることだってありうるわけです。勝利のためには無差別殺戮だって行われます。殺戮は個人的な事情によらず、組織的に行われます。

だから、ひとを殺すことは悪いことだという前提に立つと、安楽死であろうが戦場での殺害、殺戮であろうがいずれも、先験的に、いけない誤った行為であるということになります。人道上も許されない行為であるということになります。軽重の差はありません。ひとひとりの生命は地球よりも重いのですから。