旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

個人情報

2006年01月07日 14時20分17秒 | Weblog
ご指摘のように、頭がよいというか、勉強のできる連中って、なーんにも解っていないんですよね。 個人情報のデータベースが社外に漏れた場合に、何が起こってこういう経済的なロスが生じ、こういう犯罪の温床になりかねない。だから、社員が情報をもらしたら企業にどういう責任が生じ、漏らした社員がどのような制裁を受けることになるのか、を解りやすく説明すればそれでいいはずなのに、あれいけない、これいけない・・・。おれたちゃ、小学生じゃないっちゅーの!
法律やマニュアルで網の目を小さくすればするほどに、魚(社員)は網の目に引っかかりやすく、社員が個人情報を扱いにくくなるばかり・・・。 おい官僚!お前らが企業に強いているマニュアルどおりに営業を展開して実績をあげてみろ!と言ってやりたい。勉強ができる奴らに営業はえきないというのが実感。というわけで、ここはやはり官民の交流しかない。 営業の隅から隅まで知っている金融庁に出向した金融マンが、実務研修のために金融機関に出向している金融庁のお役人の一斉検査をやる。こういう構図って面白い。

古畑任三郎

2006年01月07日 10時15分50秒 | Weblog
まさか、音也を誘導したように、熊をけしかけて前社長を殺すことなんて通常は不能ですものね。ところが、熊をうまく調教して殺した場合とか、飢えた熊を故意に現場に運んだりした場合はどうなのかというと、音也は殺人罪の適用を受けることになる。 で人間相手に同様のことをしたとして・・・、天馬が音也を誘導したにしても、天馬の責任を問うことが困難であると思わざるを得ないのは、ひとの言動から影響を受けやすい性格であるにしても、音也は一個の人間として責任能力を負わされているということ。逆にいうと、意思能力を有する。合目的的に行動できる人間と動物の違い、この点を曖昧にすると国家による刑罰権の存立基盤が揺らいでしまうように思われます。最近、調教されやすい人間が増えているのも確かですが・・・。 とんだ書生論で申し訳ありません。その昔できの悪い法学徒でした。

今日の古畑任三郎もみました。カプセルについては、多分細工がしてあって、イチローが毒薬をそのまま飲むことはなかったとみています。たとえば、片方のカプセルに食塩水を塗っておけば毒入りかどうか判りますよね。 プロフェッショナルって目的のためには手段を選ばない人種の通称であるとはいえ、正々堂々とフェアープレイ精神にのっとってひとを殺すことはありえません。だって、死んでしまったら殺せません。 それに、三谷流に言うと、『誤ってイチローが毒薬を飲んでしまったら、ドラマが続かないじゃないですか?』 余談ですが、プロのスポーツ選手たちって、ぎりぎりの所までやることはやる。その結果がフェアーか反則かは審判に委ねる。ビジネスの世界でも、ほんとのプロフェッショナルってコンプライアンスぎりぎりのところで商談を進めているもののようです。

それにしても、プロがもつ狂気のをオブラートに包んで、ゲーム感覚で殺人事件を古畑に解決させる。田村正和の演技も確かですが、三谷のシナリオも大したものです。


原始仏典

2006年01月07日 10時13分14秒 | Weblog
ご存知かと思いますが、わが国には中村元(確か最近、文化勲章を受章したのでは?)という原始仏典の碩学がいまして、生涯をかけて「ゴータマ・ブッダを歴史的人物として把握する時、そのいきいきとした姿に最も迫りうる書」としての原始仏典の口語訳を進めています。その一部が「ブッダのことば」「ブッダ 真理のことば 感興のことば」「ブッダ 最後の旅」として、岩波文庫(文字の大きな岩波文庫もあります)から市販されています。日本語の文語や古語で難渋しているわたしが、まさかサンスクリット語で読むわけではありません、ははは。
上記の3部作は、ブッダが神格化される前の言動を記録したものであるといわれています。ブッダが、宗教家である前に思想家であったことがよくわかります。是非目を通してみてください。

昭和史

2006年01月07日 10時11分47秒 | Weblog
昭和史というと、われわれの父母・祖父母が生きた時代になります。「文芸春秋」にみる昭和史全3巻 重臣たちの昭和史全2巻 天皇裕仁の昭和史 「週刊朝日」昭和史全5巻からはいり、「日本の一番長い日」「一死大罪を謝す 阿南惟幾」から角田房子さんの伝記モノに進み 秦郁彦、家永三郎あたりで足踏みをしています。最近読んだ「キメラ 満州国の肖像」は満州国の歴史的意味合いを理解するのに役立ちました。斉藤茂吉や高村光太郎がどのように大戦を評価したのか気になって、茂吉の日記を読み始めたところです。もともと、歴史の通論にはさほどの興味がありません。何よりも日本の経済的な事情が引き起こした戦争じゃないかと思われましたので、昭和経済史全3巻には目を通した程度の知識にとどまります。その他、南京事件 特攻 2.26事件 従軍慰安婦 戦犯や東京裁判に関わる本もそこそこ読みました。最近、江藤淳の「閉ざされた言語空間 検閲」を読んで、戦後教育に対する違和感の原因を掴めたような気がしています。