思い起こせば昭和45年11月の25日のお昼過ぎ、三島由紀夫が市谷で自衛隊とトラブっているというニュースを聞いて、身内同士のいざこざみたいなものがあったのかくらいに軽く考えていました。ところが、三島が、声の限りを尽くして自衛隊の決起を訴える姿が何度も何度も報道されるにおよび、尋常ならざる何ものかを感じました。そして、三島自決の報道を耳にしたのですが、自決の報道を耳にしたわたしの足は自然に市谷に向かっていました。
「仮面の告白」を未消化のまま、「金閣寺」に感動し、ちょうど「春の雪」を読み始めた田舎者の大学生でした。「若きサムライのために」や「文化防衛論」という扇情的な著作に、正直「ハマッテ」いました。また、三島の「文章読本」が作文のお手本でした。
きっと、田舎者なりに尊敬していたんですね。東大の法学部を出て大蔵省に入省、文学への思い断ちがたく退職、そして、ノーベル賞候補。文学的伝統主義者で政治的には極めて保守的、対極にある全共闘の学生達が「天皇陛下 万歳」と言えば手を結ぶという確信犯的ニヒリスト。でいて、ひととの交流にはいじらしいほど折り目正しい。何かの因縁か、わたしの母親と同い年でした。
あの日からしばらく、わたしのような文学かぶれや全共闘かぶれ、女たらしももてない奴も、思想や宗教に翻弄された悩める若者も能天気なにいちゃんもねえちゃんも、じいちゃんもばあちゃんも、三島の自決について議論しました。
時は移り、切腹というグロテスクな印象と保守反動、同性愛嗜好などの三島に関する報道に嫌気がさしてきた頃、興味本位な庶民の議論も下火になりました。
愛読書は?と聞かれると躊躇なく「三島由紀夫」と答えます。ひとがなんと言おうが、わたしは三島由紀夫を愛読しているのですから・・・。
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