旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

コスモス

2005年10月01日 01時04分49秒 | Weblog

高速を、広島北インターから千代田まで抜ける。千代田から「そばの里」豊平に入る田舎道沿いでは、民家の庭や空き地に、土手や畑に、コスモスが咲き乱れている。先々週のドライブでは、毒々しい赤の彼岸花が盛りであった。山や里は、夏から秋へと装いを改めつつある。

吉川元春の城跡にある「そば屋」でざるそばを食い。どんぐり村では、好きな抹茶のソフトクリームを食った。千代田と豊平の「道の駅」では、採れたての新鮮な野菜や果物を売っている。富有柿と小ぶりな早生りんごを買った。たまには、行き当たりばったりの「ひとりドライブ」も悪くはない。 

朝倉喬司著「ヤクザ・風俗・都市」 ②  美空ひばり

2005年10月01日 00時04分50秒 | Weblog


朝倉は『「血」と「性」の狭間に揺れる国民的スター』というルポで、美空ひばり・山口百恵・松田聖子を論じている。血と性という独創的な概念道具を使って、芸能界の深層にメスを入れていく朝倉の手法には説得力がある。

林与一は、ひばりファミリーについて「はっきり言えば、敵か味方かで、味方については肉親のように接してきたわけ。」と語ったという。『即ち石井寛や川口松太郎は「パパ」、清川虹子は「ママ」、金田正一は「お兄さん」、鶴田浩二は「お兄ちゃん」、萬屋錦之介は「錦兄い(きんにい)」という具合である。・・・山口組三代目・田岡一雄は「オジさん」と呼んだ。・・・このような血の象徴性は、近代の発展とともに性に圧倒されるしかないとミシェル・フーコーは言う。』ここで、朝倉は、ひばりファミリーに性の匂いが希薄であることを指摘する。