今になって想いかえせば、若い頃はもとよりその後もずうっと妻あっての私で、まさに妻に{負んぶに抱っこ}の私でした。
根っからの仕事人間の私は、朝5時から帰りが6時から7時というのが当たり前で、時には日曜日でさえも半日出勤するのが当たり前のことでした。
そんなわけで、育児を含めて家の事などは妻任せでしたから、家の中のことは勿論、戸外の庭の草取りや、また冬の除雪なども妻が受け持っていたのです。
妻は見掛けによらず器用な方で、押入れや物置の棚板の取り付けなども一人でこなしていました。今になってそれらを見る度に、ただただ済まなさが先立ち切なくなります。
後年私も少しは役立ちたいと思っておりましたが、肝心の心臓の不具合が見付かり、除雪どころか家から僅か30メートルほどのゴミ集積所へのゴミだしさえさせて貰えず、より以上に妻に負担を掛ける始末でした。
もともと私は地方の中小企業の職員でしたから、家計の遣り繰りでも妻には苦労を掛けたことでしょう。
特に娘たちが進学する頃は大変だったと思います。そのために妻は一時期ですが、一寸したアルバイトに出たことがありました。
ちょうど隣が弁当の仕出屋だったので、其処へ手伝いに出たのですが、朝一番の出荷に間に合わせる為の作業ですから、夜中から明け方までの手伝いでした。幸い直ぐ隣でしたから、時どき家の様子を見に戻っていました。
また私と違って理数系が得意の妻は、娘たちの勉強を良く見てやっていたようで、娘二人が地域一番の新学校進学ができ、そして一応名のとおった東京の大学に行けたのは、みんな妻の影響であり、また遣り繰りなど妻の才覚のお蔭でした。
今の我が家では、私が買物役で娘が炊事に洗濯と二人がかりでこなして居りますが、今にして思えば何のことは無くこれらのこと全ては、妻は当然の事として日々独りで行っていたのです。
それに比べると私と娘のしていることは、妻が生前していたことの半分くらいです。いやいや半分どころか遠くにおよびません。
こうして何事に付けても、亡き妻への感謝と切なさに明け暮れる日々が、続いているのです。
根っからの仕事人間の私は、朝5時から帰りが6時から7時というのが当たり前で、時には日曜日でさえも半日出勤するのが当たり前のことでした。
そんなわけで、育児を含めて家の事などは妻任せでしたから、家の中のことは勿論、戸外の庭の草取りや、また冬の除雪なども妻が受け持っていたのです。
妻は見掛けによらず器用な方で、押入れや物置の棚板の取り付けなども一人でこなしていました。今になってそれらを見る度に、ただただ済まなさが先立ち切なくなります。
後年私も少しは役立ちたいと思っておりましたが、肝心の心臓の不具合が見付かり、除雪どころか家から僅か30メートルほどのゴミ集積所へのゴミだしさえさせて貰えず、より以上に妻に負担を掛ける始末でした。
もともと私は地方の中小企業の職員でしたから、家計の遣り繰りでも妻には苦労を掛けたことでしょう。
特に娘たちが進学する頃は大変だったと思います。そのために妻は一時期ですが、一寸したアルバイトに出たことがありました。
ちょうど隣が弁当の仕出屋だったので、其処へ手伝いに出たのですが、朝一番の出荷に間に合わせる為の作業ですから、夜中から明け方までの手伝いでした。幸い直ぐ隣でしたから、時どき家の様子を見に戻っていました。
また私と違って理数系が得意の妻は、娘たちの勉強を良く見てやっていたようで、娘二人が地域一番の新学校進学ができ、そして一応名のとおった東京の大学に行けたのは、みんな妻の影響であり、また遣り繰りなど妻の才覚のお蔭でした。
今の我が家では、私が買物役で娘が炊事に洗濯と二人がかりでこなして居りますが、今にして思えば何のことは無くこれらのこと全ては、妻は当然の事として日々独りで行っていたのです。
それに比べると私と娘のしていることは、妻が生前していたことの半分くらいです。いやいや半分どころか遠くにおよびません。
こうして何事に付けても、亡き妻への感謝と切なさに明け暮れる日々が、続いているのです。