畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

休薬延長

2024-04-18 17:10:13 | 暮らし

4月18日(木)

体調が回復しないまま、二週間が過ぎ、15日。消化器外科の外来。血液検査の結果は、ほとんど変わらず。

主治医と相談し、休薬をもう一週間延ばし、23日から、2クール目の服薬を80㎜に減薬してやることにした。服薬を再開した後で、体調が悪くなり、日常生活に支障をきたすようなら、服薬を休むことにもした。

さすがに、2週間以上、薬を飲まないでいるおかげか、この数日は、なんとなくすっきりしているようだ。

この1週間ほどは、極力体を動かすようにして、16日には水稲の種まきをして、ハウス内に苗箱を並べて、育苗を開始した。例年よりほぼ1か月遅れての、米作りの開始だ。トラクターも花畑から回送してもらい、これから、田んぼの準備に入る。

昨日、今日と家の周りや、裏の畑の草刈り。モアと刈払機を使い、かなりしんどさを感じながらの作業だった。これから約半年、水田の畔や大土手の草刈り作業、どうなることやら、前途多難の様子だ。

でも、とにかく、最後の米つくり。やれるところまで、やってみよう。そして、畑と鶏を含め、二人の農業生活もどうするかも。


休薬期に入っても

2024-04-07 14:50:35 | 暮らし

4月7日(日)

二日から、抗がん剤の休薬期に入った。ずっと待った休薬期。新年度でもあるしと、喜び迎えたが。五日間薬を断っているのに、体調は変わらない。というか、体のバランスがくるってしまったような症状が、現れることもある。昨日は、午前中出荷作業で、作業場仕事だったが、昼上がり前、急に、体の芯からの寒気を感じ、部屋に入りストーブの前にしゃがみこんで毛布をかぶったが、体の震えが止まらず、寒気にぶるぶる、ほんとうに、体が震えてどうにもならなかった。放熱を受けている表面は暖かいが、芯の寒さは一向に温まる気配がない。小一時間たち、少し楽になり、ベットに潜り込み、休養。

服薬期とほとんど変わらない5日間を過ごし、一週間たってしまう。畑は少し手を付けたが、田んぼはゼロ。そろそろ、本気の焦りも感じ始めている。

連れ合いに言わせると、薬を休んですぐに体調がよくなるなんてこと、あるわけないじゃない。休薬期間は、それだけかけて体調を戻し、また、飲み始めるということ。考えが、甘いんだよ!

ほんと、どうしよう?


不順

2024-03-25 15:44:48 | 暮らし

3月25日(月)

またまた無為に一週間が過ぎた。天候の不順と体の不調で、何もせずに、ベットに横になっている時間ばかりが増える。そして、その時間がいくらあっても、困るということはなく、よく眠れる。連れ合いにも呆れられるほどに、眠っているようだ。

18日には、消化器外科の前倒し診察で、血液検査を受けるが、検査の数値的には、問題はなかった。薬の副作用による、赤、白血球等の数値もほどほどの範囲で、その影響による体調不良ではない。術後の体力の弱まりと薬の副作用により、食欲不振、全身疲労、胃腸不調、吐き気、むかつき等々で、身体が言うことを聞いてくれない。同時に、気力もわかず、倦怠を助長させる。そんな悪循環に陥っているようだ。

診察で、抗がん剤の量を減らすこともできるといわれたが、とりあえず、ワンクルーはこのままやってゆくことにした。4週間の服薬だから、あと一週間だ。3月いっぱいは、こんな状態が続くことを覚悟する。4月2日からは2週間の休薬に入る。ここで、どこまで体力が回復するか。果たして、がん細胞にはどれだけの効果があったのか、あるいはあるのだろうか。客観的データはわかるかどうか。そんなことを検討して、続行、薬量を減らすか、中止するか、考えようと思っている。

田んぼや畑には、ほとんど手を付けていないが、3月いっぱいは、あきらめた。すべて、4月からだと。関東地方では、桜の開花も、予想よりはどんどん遅れているようだ。そんな天候不順なのだから、4月に入っての用意ドンでも、それほどの遅れにはならないだろう。

3月は集落の各集団の総会の月。体調を理由に出たりでなかったり。自身、役員が終わったり、新規役員についたり。構成員の減少により、役員の順番も早くなる。そして、でも、最後のお役目となるのだろうが。


春、訪れ

2024-03-17 15:53:04 | 暮らし

3月17日(日) 春の陽気、そして、春らしい強い風。

体調不良を良いことに、だらだら過ごしていると、特急並みの速さで。毎日が過ぎてゆく。3月も中旬を過ぎ、彼岸の入りだ。ジャガイモの植え付けだけはやってもらい、終わったとの報告は受けた。稲の苗の準備や、畑の準備は全く手つかず。けれど、身体もそうだが、気持ちも一向に動いてくれない。ただ、このまま体力をなくしては嫌だとの小さな思いだけが、淡い希望として、朝晩のゴンの散歩に駆り立てている。

そんな一週間だった。

膵癌がステージⅣになったということは、どういうことだろうと考える。

2020年1月に手術を受けたことで、とりあえずは、目に見えるがん細胞は切除し、その後の術後化学療法で、目に見えないがん細胞の活動もある程度は抑え、膵がんとしては寛解していた。しかし、丸4年、正式には丸3年目の昨年1月ころから、CT画像では肺の影が指摘され、要観察状態であった。そして約一年、生育した影は、膵がん転移性肺がんだった。切除した肺組織の病理診断ではっきりした。同時に、リンパへの広がりや、血液中のガン細胞、胸膜播種などの疑いも指摘されている。さらに、術後の残存肺組織にも要観察を指摘される影も現れているようだ。

さてさて、この状態で、抗がん剤による化学療法が、効果あるのだろうか。前回の術後から、4年の年齢を経ている。さらに、肺の三割近くを切除する手術を受けた。抗がん剤の効果と、副作用による生活ダウンの比較。抗がん剤治療をせずに副作用なしに過ごす生活の質と、治療しないことで、身体の内のガン細胞が、どのように活動するのかの比較。単純に75歳の高齢者の、今後の健康余命。

そんなことを視野に、今後の事を考えてゆく時だと思えてきた。

3月17日~19日。温泉につかり、術後の体をいやすつもりだった。しかし、それは甘い考えだった。抗がん剤を始めて数日で結論が出た。温泉旅行はキャンセル料付きで取りやめ。明日、18日は前倒しで、診察予約を入れた。


不調

2024-03-09 18:36:50 | 暮らし

3月9日(土)

体調はすぐれない。ベットで横になっている時間が増えている。横になっても、小説を読もうという気にもならない。起き上がっていると、胸や、手術の傷が痛むし、げっぷの気配や、さらに、胸やけのような気分も加わる。横になると、不思議なことに、そんな症状はほとんどなくなる。ゆったりと楽になり、気が付くと、眠っていたのかと思うことが続く。夜は夜で、痛み止めの世話になって、たっぷりと、8~9時間以上も眠っているのに、明るいうちもとは。こんな状態を甘やかしていると、すこしずつ寝たきり状態に近づいていくのかと、恐ろしくなる。

【ステージⅣ膵がん】

  3月4日 消化器外科診察、エコー、CT検査、血液検査。

  3月5日 呼吸器内科診察

呼吸器内科は、肺がんについて知りたいこともあり、診察を受けた。こちらも、次回外来はなし。

戻るところに戻った感じで、今後も消化器外科での治療、経過観察が続く。ステージが上がったことで、早速治療が始まる。治療といっても、薬物療法であり、身体中に流れているであろう膵癌細胞に対して、抗がん剤という薬物で、がん細胞をたたくことである。薬により、がん細胞が死滅、弱体化することで、がんの再発、転移を防ぐ、あるいはその進行を遅らせる、そんな療法だ。

抗がん剤は、がん細胞だけに標的を定められれば良いが、そうはいかない。普通の健康な細胞にも作用する。血液や、粘膜に作用しやすく、白血球、赤血球、血小板の減少。消化器系の不調で、下痢や吐き気の症状。全身の倦怠感。そんな症状が現れる。

4日に診察だったので、5日から始めた。TS-1という抗がん剤を飲み始める。術後の体調が完全回復前ということもあり、前述のような毎日となっている。

 


寒さがきつい

2024-03-07 17:11:43 | 暮らし

3月7日(木)

三月も一週間が過ぎるというのに、寒さがきつい日が続く。体の傷が結構いたい。後期高齢者ゆえか、傷の回復が遅いようだ。痛み止めは我慢していたが、3月に入り、寝る前に飲むことにした。ぐっすり眠れて、目覚めがすっきりする。もうここまで来たのだから、我慢はせずに、快適さを求めようと思ってはいたのだが、まだ、「古い意固地】に取りつかれていたようだ。

日常的には、ちょっとした農作業の手伝い程度と、退院してすぐに振られた、食当、ゴンの散歩。横になっていると楽なので、陽に何度かは、ベットで横になる。こんな毎日だと、過ぎるのがはやく、2月はとっくに行ってしまった。

そして、3月も、病院通いから始まった。

【さようなら! 肺がん】

3月1日(金)呼吸器外科、消化器内科  げっぷが頻繁で、苦しく、傷にも響くので、消化器内科に飛び込んだが、おなかの中を手術してますからね! ということで、さらりと流され、薬を処方され、様子見、二週間。

さて、呼吸器外科では。退院後の初外来だが、お別れだった。切除した組織の病理検査の結果、ガンは膵ガンの転移したもの=膵がん転移性肺腺癌だった。肺にできたガンであっても、膵がんの組織が、血液などで流れて肺組織に漂着して、周囲を癌化したもの。肺のガンでも性質は膵癌なのだそうだ。たとえ話は、日本人が、アメリカで子供を産んでも、その子供は日本人というのと、同じです。と、よくわかるような、ちょっと首をかしげるような説明がネットで読める。

というわけで、呼吸器外科の主治医とは、また切るようになったら、お願いします、その時はおいで、と会話で、退室してきた。

 


退院ののち

2024-02-23 16:00:44 | 暮らし

2月23日(金曜日)

冷たく、寒い雨が降り続いている。5月とか初夏のような気温を記録したと思ったら、真冬に逆戻り。ていうか、まだ2月も下旬は、真冬そのもの。当たり前になっただけのこと。しかし、暖かさにゆるみ切った、手術後の体には、たいそうきつい。

思った以上に、身体の痛みを感じる。痛み止めの薬はあまり使いたくないのと、まあ、飲むほどでもないか、程度の痛みだとも思うのだが、そして、横になって休んでいると、痛みはほとんど感じないのだが。最後まで渡連チューブを入れてあった、穴の後と、切除しただろう肺の右肺の下部あたりに痛みを感じ、動くときどうしても、前かがみになりがちで、息苦しさも強まる。

けど、もう若くはない体ゆえ、こんなものかと、身体を休めるようにして入る。

2月17日(土)

予定通り、昼に退院。約半月ぶりに、我が家で昼食。その後のんびり、夕食は鍋をつつき、浴槽には入れないので、シャワーで暖まり、部屋のベットに。ユニットバスを暖房付きにしてもらっていたので、こんな時、よかったなと思う。

2月18日 19日

恒例の味噌つくり。今年も無事に20㎏の大豆と、20㎏の麹を仕込んだ。退院直後なので、ほとんどを連れ合いに任せ、娘の手も借りて終わった。さすがに、今年は来訪者もなく、静かな味噌つくりだった。

2月20日(火)

ちょっと疲れたので、ほぼ半日は別途で過ごす。気温は高く、バカ陽気。リハビリと家の周りをちょっとだけウォーキング。

2月21日 

出荷。リハビリにと、朝晩、〈咬み犬のゴン〉の散歩を日課に繰り入れることにした。この散歩を機に、少しは手名付けてやろうとの思いも持って。

2月22日

小雨は降り続き、寒い。ゴンの散歩は、しっかり歩く、一回、1300歩くらいの運動。途中二度ほど、呼吸を整える休憩を入れる。

今はこんな状態だが、どこまで、回復できるか。


退院へ

2024-02-16 15:08:00 | 暮らし
2月16日(金)
13日。癒着療法の効果はすぐにあらわれた。くうきもれはぐんと減り、目が覚めても、ほとんど0のグラフ。咳き込んだり、深呼吸で10〜20。夜半からはぐっすりとはいかず、うつらうつらの繰り返しだったが、目覚めはいつものようにスッキリ。歩行運動を頑張り、過ごす。午後、若干微熱は出たので、からだをやすめ、少しゆっくりする。エアリークは0が続く。
15日。回診には朝晩来てくれるが、夕方の回診時、リークの状況を確認して、どれんちゅーぶを抜くことになり、5時過ぎ、局所麻酔の注射でチューブが抜けた。フリーになった。もう、ドレンタンクをガラガラと引きずらなくて良い。チューブを気にせず動けるようになる。
16日、今日は朝の回診時、チューブを入れてあった胸下方の穴に張ってあった絆創膏テープもとってくれた。これで、体には何もついていない。素の身体にもどった。胸腔鏡手術の5箇所くらいの傷跡は、瘡蓋上に残ってはいるが、シャワーをあびてもよくなった。そして、きょう、体調に異変でも起こらない限り、明日、退院が決まった。

2度目の癒着療法

2024-02-13 19:29:00 | 暮らし
2月13日
3時過ぎから2時間ほどの治療。ただ、15分ごとに寝返りを打つだけだが。終了後すぐ夕食だが、おいしく食べられた。
今夜はこのまま何事もなくぐっすり眠ることができたらな。そして、良い結果になり、退院を早められたらな。

病室は7階。窓からは外房の太平洋の海。ドレンチューブさえぶらさげていなければ、快適なんだけど。









漏れ続く

2024-02-13 14:45:00 | 暮らし
2月13日
目覚める。まだ暗い5時10分すぎた所。まずは、モニターだ。数字は20。グラフはほぼ横ばいながら40弱くらいのところを伸びている。やはりピンホールがあるのだろう。でも、声の出はそれほど悪くはない。
今日は休刊日なので、コーヒーもやめた。7時過ぎには回診があり、先生の言うには、一回だけではよくあることらしく、もう一度やるか、様子見か検討しますとの事だった。
普通に過ごし、昼前に来てくれ、午後にもう一度癒着療法をやりましょう、ということになった。
今日は手術の日で、2件あるから、その後になるらしい。
そうか、前の火曜日、6日は今ごろ手術室だったなと、思い出しながら待っている。