畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

退院?

2019-06-13 18:21:33 | 介護日記

6月13日(木) 

母の退院。三週間入院していたことになる。医師の話では、口から食べれるようになったので、施設のほうにモッドってもらう、ということだったが、別途に横になっている母は、入院した時とは見違えるように、痩せて、顔などは、むくみ気味だったので、半分ほどと、骨と皮、というぐらい。足なども、膨らんでいたのが、これまた骨と皮。迎えに来た施設の職員と、ほんとに、これでたいいんなの? と、首をかしげるぐらいだった。

この状態だと、又すぐに入院、と病院へ、Uターンするんじゃないかと思う。そして、さすがに、そろそろ、本当のお別れが近いような気がした。

午前中、ジャガイモの整理、種芋選別など。

午後は、畔の草刈り。モアで、5枚のところを終わらせる。

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百歳

2018-10-03 17:35:12 | 介護日記

10月2日(火) 

この8月の誕生日に、百歳になった母親に、政府からお祝いの言葉と、記念品が贈られると、施設から、連絡をもらっていた。今日、市長が、直接持参し、手渡してくれるという。調べてみると、記念品は、銀メッキの銀杯で、総理大臣の銘入りだとのこと。そんなものをもらっても、どうにもならないので、そちらさえ了承してくれるなら、断りましょうかと答えていたのだが、ほかの入所者で、90歳になられる方もいて、その方たちへは、市長からのお祝いの言葉をいただくのだとか。だから是非にも、家族の方にも来ていただいて、葉はともども受け取ってもらいたいと、頼まれていた。

これからもどのくらい続くか、お世話になることだし、施設としても初のセレモニーらしいので、時間になり出かけた。いつもは入所者の食堂兼のホールに、ほとんどの入所者と職員が、集まり、真ん中の前に母の車いす。で、隣の椅子が、指定席らしい。「俺がもらうわけじゃないから」と断るが、そんなこといわずにと。こんなことでぐずってもしょうがないので、促されるままに。

祝いの言葉は、現職の総理大臣名で、賞状形式。ご丁寧に、市からの記念品は、それを飾るべく額だという。

百歳を超える人が多くなり、介護を含めた、高齢者福祉に予算を割かなければならない状況になっているにもかかわらず、くだらない記念品を贈り続ける愚をいい加減に改めるべきだと思いつつ、帰ってきた。

5時からは、寺の役員会。

パイプ杭作り。頂付近に、針金を通す穴をあける。

花畑。大根シーダーテープ播種。テープがなくなり、一列だけ。もう一列は種を蒔こう。チョウホウナ、2列、ミズナ、2列、テープ播種。不織布のべた掛け。

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退院

2018-09-27 17:23:33 | 介護日記

9月26日(水)  ときどき 

出荷作業を早めに切り上げ、母の退院手続きに出かける。10日以上の入院だが、国民年金の高齢者ということで、費用は、二万円を切るほどで済む。部屋が、個室でない限りは、部屋代がかからないので、大変助かる。前回は、満室だったので、部屋の差額代金が、必要だったが。母は、施設の迎えで、そのままホームに帰る。ホームの玄関まで送るが、職員に、息子さんとお別れですよ、と言われても、何のことだろうと、言われるままに手を振るだけ。

百歳の記念に、政府から祝い状と、記念品が贈られ、10月2日に、市長が、それを持って岩井に来てくれるので、ご家族もぜひ、おいでくださいと言われる。記念品は、内閣総理大臣名入りの銀杯だそうだ。そんなものをもらってもしようがないから、断りましょうかというが、まあまあ、ということで。ばかげたことだが、来てみようか、どうしよう。

午後は、血圧記録の8月分をグラフにしてみる。

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再び

2018-09-15 18:38:49 | 介護日記

9月15日(土) ときどき

本降りの雨は、朝方には上がるが、その後も、弱い雨がパラパラ。ごごも、おそくに、ようやく、雨雲はなくなった。

お昼を食べて、休んでいると、特養からの電話。午前中から、元気がなくボーっとしているので、熱を測ったら、9℃近くあったので、診察に行ったら、食欲もなく、高齢でもあるから、入院させようということになったという連絡。手続きもあるから、病院へ行く。特養も近いし、病院もそこから5分くらい。特養の提携病院で、かかりつけの医師が、主治医である。母のことは、もう何年も診察していて、よく分かっている医師だ。話を聞くと、今回は、ちょっと気力がないように見えて心配だ、とのこと。まあ、私自身は、何もできないので、よろしくお願いしますと、医師、看護師、病院に任すしかないこと。手続きを終え、病室に行くが、点滴を受けながら、眠っている。声をかけたが、起きる気配もないので、ナースステーションに声をかけて、帰ってきた。

100歳になると、政府から、祝い金が出るのだそうだ。10月2日には、市長が自ら、特養に訪れ、祝い金を手渡してくれるので、家族の方も一緒に受け取ってください、との特養からの連絡ももらっている。それがどうなるのか、入院となれば、2~3週間にはなりそうだ。しばらくは、ちょっと、落ち着かない日々になるのかも。

午前中は出荷作業。病院から帰ってからは、特に何もしないで、出荷残りのショウガのつくだ煮、近所からもらったミョウガのなめ味噌を作ったりして、時間をつぶす。

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栄養ゼリー

2018-09-13 17:41:14 | 介護日記

9月13日(木)  いちじ 

昼に、突然パラパラあるが、土に染みるほどではない。

花畑。ジャガイモ植付を100個ほど。全部で、600株。植穴が100ほど残った。高畝だし、株間もほどほどなので、大根を蒔くことにする。ごご、種蒔をして、不織布のべた掛けをする。最近では、少し早めのダイコンの播種か。畝間の草取りを少しして、緑餌として、持ち帰る。

育苗用の培土作り。トレイへの土入れを少し。

夕方、特養から連絡。今日、医師の診察があった。最近の母の食事だが、うまく食べれなかったり、時間がかかったりで、量が減ってきていた。職員の補助を受ければよいのだが、それは強く拒否する。そんなことで、医師に栄養不足を指摘される。栄養ゼリーを試してみたら、それはうまく食べてくれる。それで、その栄養ゼリーを私費で、購入してよいかとの電話だった。即、お願いする。医師の話では、ゼリーで栄養を取れればよいが、うまくゆかないときは、入院して、点滴せざるを得ない、ということだった。

8月の誕生で、もう、満100歳になった。今後どうなるか。何があってもおかしくない状態なのだろう。

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退院

2018-07-18 18:31:57 | 介護日記

7月18日(水)  のち 

午前中は日差しはないが、蒸し暑く、昼前ころからは、太陽も照り付け、猛烈な暑さになる。

午後、母の退院。病院へ支払いなどに行く。母は、ホームの人に迎えに来てもらい、帰ってゆく。病院の看護師の、退院ですよ、の呼びかけにも、ホームの人の、さあいつものところに帰りましょう、という挨拶にも、わからないと答えるだけ。まあ、無事退院できて、一安心。

午前中は、出荷作業。途中、1時間ほど抜けて、変換畑で、大豆播種。管理機を引き上げてくる。

午後は、病院から帰り、3時過ぎから、変換畑。大豆を蒔いたところ一面に、防虫ネットのべた掛け。ハウス用直管と、ヘアピン杭で、抑える。水遣りは、きゅうすいかしょから、掘ってる溝を通して、水を流し全体にひたひたに水を吸わせようと思う。溝から、耕してあるところまで,何か所か、仮溝を掘り、速やかに耕してあるところが水を吸うように試みる。給水バルブを細目に開け、少しづつ水が流れるようにして、引き上げてくる。今晩一晩ほどで、水を吸ってくれるだろうか。

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母の入院

2018-07-01 18:46:40 | 介護日記

7月1日(日)  いちじ 

徳陽から電話。母が昨晩から高熱で、日曜日だけれど、病院に連れて行ったとのこと。検査などの結果を分かり次第連絡すると。昼ころ、再度電話。発熱の原因は破棄りしないが、食事もとれないようなので、入院することになったということで、食事後、病院へ。医師の話だと、何らかの感染症。肺と腎臓のCTを取ったが、延焼は見られず、足の腫れから、蜂窩織炎ではないかとのこと。高齢だし、抗生物質の天敵の必要もあり、2週間ほどの入院を勧められた。即、お願いをする。と、高齢ゆえの、非常時の対応について、説明と、家族のご希望をと問われる。万一の時の、心臓マッサージ、人工呼吸器の使用についてだ。心臓マッサージは、かなり強くせざるを得ず、恒例の場合、肋骨骨折することになるとのこと。この8月の誕生日で、満100歳になる。肋骨を骨折してまで、心臓を動かし続けるのがいいのか。人工呼吸器を使ってまでも、臓器を動かし続けて意味あるのか。人工呼吸器を使ってしまうと、それを外すということが、どういうことなのか。

たまたま、今日の東京新聞の特集を読んでいたこともあり、いずれも希望しない、と告げて、入院同意書にサインをする。手続きを終えて、病室に行くと、母は静かに眠っている。声をかけても、目を空けない。このまま休ませておいたほうが良いと、すぐに病院を後にする。

午前中は、そんな電話もあったので、精米をしながら、ハウス内のキュウリの世話など。午後は、戻ってきて一休み後、裏の畑。サトイモの草取り。鶏糞の施肥。土寄せをと、管理機のエンジンをかけようとしたら、スターターのロープが切れてしまう。それで、草取りを続け、終わらす。

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2016-09-22 17:34:35 | 介護日記

9月22日(木)  のち 

朝のうちパラパラだった雨が、8時過ぎころから強まった。そして、ものすごい大雨に変わり、豪雨は、昼過ぎころまで続いた。

何もしないで過ごす。テレビのワイドショーは、豊洲のことを延々と続ける。私たちも、雨をよいことに、ボケーッと、見続けている。

お彼岸ということで、連れ合いは今年のもち米で、うるちは去年のものだが、おはぎを作る。我が家はあまり食べないからと、雨の中、友達たちにおすそ分けに出かける。私もめったに食べないのだが、ソラの供養と、あんこと黄な粉と一個づつ食べる。

午後、雨も上がったので、特養に、新しい介護保険証を届ける。今回から、要介護度4となった母にもあってくる。元気だったが、レクレーションの輪の中にいたが、加わらず、一人勝手なことをするたくさんの人たちの一人だった。私の顔を見るなり、こんなところで会えるなんてと、涙ぐみ、懐かしがるが、顔はわかるが、名前は忘れたという。5人の子供たちを順番に話すが、その誰だ、と問うても、答えられない。いくつになったと聞いても、わからないが、生年月日は言えた。じゃあ、もう100歳になったかというと、そんなに年寄りではないと、98歳の母は答えた。

パソコンに保存してある空の写真の一つを、デスクトップの背景に設定。いつでも顔を見れるようにしておく。

ソラのことをブログにするのは、少し落ち着いてからにする。

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面会

2016-05-06 07:29:26 | 介護日記

5月5日(木)  

五月晴れのこどもの日。農家組合の集まり、早苗ぶりの決まり日。午後からなので、午前中は家の周りの草刈り。農道、ハウス周り、鶏舎周りなど。春の草の生育は旺盛だ。特に、外来牧草系から、雑草化した、イネ科の草、カラスムギなどは、何度刈り取ってもすぐに再生するし、今の時期、穂を出して急成長する。株元も分けつが多く、難雑草だ。モアで刈れるところを走らせ、その後は、刈払機を背負う。昼までに、少し残してしまった。

昨日、ほぼ4カ月ぶりに母に会ってきた。前日、新潟の親せきから、恒例の笹団子が送られてきた。移住して以来ほぼ毎年、越後名物として、この季節送られてきていた。母に食べさせてから、母の様子も含め、電話をしようと、面会を決めた。今年夏に、98歳になる母だが、元気だった。認知症で、直近のことは5分もすれば忘れ去り、田だ今だけを認識しているように、日々暮らしている。しかし、昔のことは覚えているし、私にあっても、誰だかはわかり、どうしてきたのか、とか、懐かしいとか、よかったとかは言う。笹団子も好物だという。送り主の名前もわかり、よく話したことなども懐かしむ。

しばらく、1時間弱、だんごを食べさせながら、同じ会話の繰り返しを我慢して、じゃあ、帰るからと立ち上がると、もう行くのかと、ちょっと詰問調に問いかけてくる。私が、ホームの玄関を出るころには、息子が笹団子を持ってきたことなど、何もなく、いつも通りちり紙を丸めたり広げたりしているのだろうが。

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入所

2015-04-06 18:10:32 | 介護日記

4月6日(月)   いちじ 

夜の間、少しの雨はあったようだが、まとまった雨にはならない。よく降りはするが、弱い雨で、天水頼みの田んぼは、水がたまらず、大変のようだ。合間を見て、ハウス内のトンネルを完成させ、道具や資材を片付ける。今日の作業は、これだけ。

健康診断書が必要なので、入所前に受けるようにということで、9時には、ショートステイ先に到着。前もって連絡しておいたので、荷物もまとめて、すぐに車に積める様に、しておいてくれてあった。かれこれ、何年くらいだろうか。ずっとショートステイをやってもらっていた。この一年数か月は、ほとんどずっと預かってもらっていた。その施設とも今日が最後だ。そんなことを、わかっているのかいないのか、母は、ありがとうございましたと、職員のお元気でという見送りに、笑顔で答えていた。

健康診断は、かかりつけの病院。一通りの検査があるので、たっぷり2時間はかかる。97歳の年寄に、こんな検査が必要なのだろうかと思いながら、採血、採尿、レントゲン、心電図等、検査室から検査室へと、車椅子を押して回る。会計は、時間がかかるので、後日でよいですよという、窓口事務員の計らいで、昼前には、ホームに到着。今日からが入所開始ということで、8名の入所だという。そのトップ組の一人の母は、4人部屋。荷物のチェックと引き渡しを済ませ、不足している荷物は、夕方届けることで、ひとまず帰宅。

購入しなくてはならないものは、午後から診察(病院は違う)のある連れ合いに依頼し、ハウス内作業をして、帰りを待つ。

夕方4時過ぎ、再びホームへと向かう。こんな時、近いということは、便利だと思う。荷物を渡して、帰りに、共有スペースのテレビ前のソファーに座る母に言葉をかける。と、私をさして、

「あんたが、なんでここにいるの」 「私がここにいるのも分からない」

「新しいホームで、過ごすんだよ」と、帰ってくる。

しばらくは、環境の変化で、落ち着かないかもしれないが、ショートステイ先と、それほどの違いはないだろうから、すぐになれるだろう。

とにかく、母にとっての、終の住まいが決まったことで、ほっと安心する。そんな意味で、今日はお祝い、入所祝いである。

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