ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

2049      ブラッと堺    

2010-04-24 00:49:01 | Weblog
きのう(23日)はNが不意に堺へ行こうと言い出す。
最近、なにかと疲れているのだ。

金太郎にクルミを与えて11時過ぎに出発。
大好きな尼宝線に乗り、時友のバス停、喫茶メロン、田中病院、古着のめえめえ、美容室ストゥリート(ふつうはストリートだと思う)、大島温泉のエントツを眺めながら、水津さんの病院へ通った日々をなつかしく思い出す。
喫茶店 “青い鳥” の壁はクリーム色に塗り替えられ、赤い文字で “カフェ・ド・メイ” と描かれていた。

末広入り口から湾岸線へ入る。
以前にはなかったPANA●ONIKKUの建物が目立つ(これが液晶工場だろうか)
WTS(ワールドトレードセンター)やUSJのホテル群に、海遊館、大観覧車、そして黄金に輝くアラビヤ宮殿風のゴミ焼却場。
カーブ沿いの向こうには真っ赤な港大橋(トラス橋)が見え出す。
海上に浮かぶ景色はまるで四次元の世界だ。

乙姫さん(竜女神像)を見ながら大浜ICを降り、フェニックス通りの外ラチ沿いを走りながら、あやふやな記憶を頼りに朝●会病院を目指す。

水津さん亡きあと、冴えないニュースで話題になってしまった病院だが、あの当時のままと少しも変わらずに建っていた。
駐車場入り口よこの小さな牛乳やさんがなつかしい。

おなかペコペコだったので、病院向いの松島家へ入る。
せまい店内には小さな子連れの主婦が二組と男性グループが先客。
Nはカレーうどんセット、私は親子ドンブリを注文。
見舞いへ来るたびに入っていた食堂だが、当時どんな気持ちでどんな会話をしていたのか全く思い出せない。
親子ドンブリはおいしかったが量が足りなく、うどんとセットで頼めばよかったなあと後悔しながら店を出る。

ツツジの咲く歩道沿いを大仙公園へ向かう。
この道をy崎さんやo崎さんと一緒に歩いたことがなつかしい。
あのときは、雨に濡れて黒々と光るサクラの樹が印象的だった。
取り壊されたお風呂やさんのあとは小さな駐車場になっており、ネコのいたロー●ンも無くなっている。
時々入っていた “喫茶あじさい”、水津さんとココアを飲んだ “うりずん” は無事に残っていてホッとする。

大仙公園へ入る。
以前にお花見をした場所までは遠くて歩けず、水津さんがよく利用していた図書館脇を通って外へ出る。
人なつこいハトがいて、しばらく後をついてきて困った。

そのあと
百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)という、仁徳天皇陵の正門のような場所に出る。
ここへは3度ほど来ているが、いつも気が抜けるほどに静かで地味な場所だ。
堀の向こうにひっそりとそびえる鳥居の奥に、雨脚に洗われ、こんもりと濃い緑に染まった小山が美しい。
ジッと見ていると、なにか神聖な気持ちになってくる。
黄色のジャンパーを着た、ひと目ボランティアとわかる女性が近寄ってきた。
Nに、「どちらからおいでですか?」 「よろしければ説明いたしましょうか」 と言っているようだ。
(わ~、ちょうどよかった!) とよろこんだのだが、「いえ、いいです」 とすげなく断るN。


なんでやねん


ガッカリと去っていく女性に背を向けながらNに近寄って小声でもんくを言う。
「なんで断ったのよ」
「え、だってめんどくさいもん」
「私は聞きたかったよ」
「聞いたって別におもろないで」
「私はオモシロいのっ!!」
「何を聞くん? 別に何も聞くことなんてないやろ」
「そんなことないよ。 さっきだって自分に “ここはお墓のどの辺りになるの?”って聞いたら、さあって言ってたじゃん
「あ、そーか。 ヘヘヘ」

仕方がないので、Nを無視して黄色いジャンパーの人のところへ行き、いろいろ説明してもらった。
ここは陵の前方(鍵型の丸くない方)中央部分にあたる場所で、ここからまっすぐ見える森の中ほどから、明治5年の土砂崩れの際に石室や石棺が発見されたらしい。
それらは同時に見つかった様々な出土品と共にすぐに埋め直され、実物を元に作られたレプリカが、今、博物館に陳列されているものだという。
あと、丸い後方部分にも石室・石棺が埋まっている可能性があるとのことだが、これは誰も確認していないらしい。
ただ、今のように立ち入り禁止になったのが明治なので、それ以前を考えると盗掘・荒らしの可能性はかなり高いようだ。
ここから出土した銅鐸が、すでにボストン美術館にあるということ自体、その可能性が高いという証明であるらしい。
あと、“仁徳天皇” という名前は、数世紀経ってからつけられた名前であることも初めて知った(やさしい心を持った、徳のある天皇だったらしい)

他にも色々興味深い話が聞け、大満足のひと時だった。
Nがいなければ、もっともっと聞いていたかった(急いで切り上げたのに、遅いなーとブーブー言われる)

あじさいで休憩して病院へ戻ったあと、水津さんのいた団地に寄る。
狭い階段を上がりながら、色んなことが思い出され、なつかしさや寂しさでなんともいえない気分になる。
踊り場にひっそりと置かれたサボテンの鉢にも見覚えがあった。
水津さんの住んでいた4階へ着くと、紙切れの表札がまだ貼られっぱなしで、そばには骨の折れた傘が1本ぶら下がっている。
夏の暑い日に涼んだ屋上は、カギがかかって入れないようになっていた。

竜女神像にも寄りたかったが、もう4時になるのと、行き方がよくわからないのであきらめる。
高速の入り口がわかりにくく、かなり苦労しながらなんとか乗ってホッとするが、そのあとちょっとした渋滞に巻き込まれ、家に着いたのは5時半近くだった。
金太郎をのぞくと、力ずくで割ったらしいクルミの残骸が転がっていた。

夜はtsutayaへ。
帰宅後、ハッピーターンとストロベリーチョコを食べながら “時間ですよ” を観る。



いい1日だった。



おわり
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする