修行僧が行く

OCNブログから引っ越してきました。日々の彷徨の記録を綴ります。

八幡高原花巡り~高原の見所に寄りながら

2018-08-22 08:33:49 | 散歩道

 二川キャンプ場を後にして八幡高原の花巡りを続けました。西中国山地の核心部の中にある八幡高原はやはり周囲の山や花々が最大の見所、見ものですが、その他にもまた多くの見所があります。そのうちの幾つかに立ち寄りながら花巡りを楽しみました。〔8月20日(月)〕


↓ 千町原にある牧野富太郎博士句碑です。日本の植物学の父とされる牧野博士は昭和の初期に八幡高原を2度に亘って踏査されました。句碑に刻まれた句は、最初の踏査の際に湿地一面に咲くカキツバタの花の汁で着ていたワイシャツを染めたことを謳ったものとのことです。「衣に摺りし 昔の里か かきつばた」

↓ 句碑のある千町原の佇まいです!

↓ カキツバタの里近くに咲いていたシシウド(セリ科シシウド属)の花!

↓ 今回も山野草園に寄ってみると、ここではシラヒゲソウ(ウメバチソウ科ウメバチソウ属)が一足早く群れをなして咲いていました。

↓ ここは植生ゆえに、シラヒゲソウとサギソウ(ラン科サギソウ属)が同居していました。

↓ サギソウもまだ健在でした。

↓ 山野草園ではマツムシソウ(マツムシソウ科マツムシソウ属)も群れをなして咲いていました。

↓ 広島藩が八幡高原に拓いた薬用人参畑跡を訪ねました。藩の財政難対策として薬用人参を育てていたようです。

↓ 薬用人参畑の跡地は今ではシラカバ林となっています。秋の紅葉の頃が美しいかも知れません!

↓ 薬用人参畑跡地の奥に八幡洞門を開き八幡高原開発に尽力された岩沢忠恭翁(1892-1965)の顕彰碑がありました。岩沢翁は広島市仁保出身の内務・建設官僚で初代建設事務次官。教育者、政治家(参議院議員)。

↓ この日最後に立ち寄ったのは古代八幡湖遠望地でした。尾崎沼への入口にあります。ここから見渡せる現在の八幡高原は古代には大きな湖であったとのことです。

↓ 現在の八幡高原の景観に、臥龍山に堰き止められた古代の湖の姿をダブらせることが出来そうな気もします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする