逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



昨日の激しい雨も上がったので、走り出す。雲が多いのに穂高連峰は良く見える。今日は期待できるか?


途中でコンビニランチを調達し、2時間半かけて900m登ってきた。歳のせいで、やはり坂を登るのが年々遅くなっている。悲しいけれど、そろそろインナーギアT30をT28かT27に換えて、坂を登れるようにしないとダメだね。高ボッチ牧場到着。


下の展望台へ登る。満開のレンゲツツジの向こうに諏訪湖が広がる。


さらに自転車を持ち上げて、展望台へ登る。


あっ!空気が湿っていて、霞みや雲も多いが、諏訪湖の向こうにかすかに富士山が見えるよ。


さらに、南アルプスのシルエットも見える。たぶん北から、甲斐駒、北岳、塩見だね。
展望台の周りはレンゲツツジだらけ。せっかくなので、この風景を一人占めして、持ってきたコンビニランチを頂く。



昼食後、展望台の反対側に出ると、雲の間に、穂高岳と槍ヶ岳の穂先。

少し待っていたら、レンゲツツジと高ボッチ牧場の向こうに穂高連峰、槍ヶ岳、そして常念岳。


高ボッチ牧場で牛さんと山のコラボ写真でもと向かったのだが、まだ放牧は始まって居ないのか?



さて、ここからの眺望だけを楽しみに来た訳ではないので、そろそろ出発しましょう。標高1600mの稜線上をゆるゆると走る林間の道を辿り、



時々歩きを交えながら、標高1800mまで登ってくると、森林限界を超え、向こうに登っていく道が見える。



道の斜面にはレンゲツツジの群落。



疲れ果てて、ようやく鉢伏山荘に到着。標高差1000m+αはアラセブにはやはりキツイ。



さて、もと来た道を戻りましょう。残念ながら午後になって、期待した北アルプスは雲の陰。



松本市街を遠く眺めて、フルブレーキで下りましょう。


登るのに5時間かかったけれど、下るのはたったの1時間。塩尻市街を望む地点まで下ってきました。畑の雑草に見えるのは蕎麦の芽吹き。



雲が多く山が見えるか心配したが、日本の標高ベストスリーの富士山、北岳、穂高岳が一度に見える地点でランチを楽しめた一日だった。ただ、体力、特に心肺機能と脚力の低下を実感させられる55kmでもあった。走ったのはこんなコース。地図ダブルクリックで、詳細地図が開く。



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朝から降ったり止んだりの目まぐるしい天候。残っているマリーゴールド、なでしこ、アスターの花苗をデッキ前の空いているスペースに植え付け。


続いて野菜の収穫。スナップエンドウ、絹サヤはまだ沢山採れるが、冷蔵庫へ直行。
葉物はそういう訳に行かない。屋外で一度洗い、台所でさらに洗って、根、茎の固い部分、そして虫食いのあまりに多い部分(右側)を取り除く。



ルッコラでは結局半分になってしまう。



その他に、今日はサラダ菜、春菊、二十日大根を収穫。



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もう平地ではとうに盛りを過ぎたアヤメ。標高の高い薮原スキー場近くのあやめ公園池ではまだ見られると言うので出かけた。


3週間ほど前出かけた御射鹿池と同じ、冷たい山水を貯め、日光で温めた後、下流に流す温水ため池なので、風が無ければ、緑色の湖面に対岸の木々が映る似たような風景である。



美しく咲いたアヤメ。御射鹿池のように誰か有名画家が描けば、有名になるのかもしれないが、訪れているのは、我々だけ。



帰りにきそむら道の駅により、この時期の名物、ホウバ餅を買って帰還。



ホウバの香りが良かったね。



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5月に咲いたツツジ、花も萎み枝が伸びてきた。一方、サツキの方はようやくこれから満開へと向かうところ。ツツジをそのままにしておくと、枝が伸びすぎ、来年の花芽まで刈ってしまうかもしれないので、梅雨の合間を縫ってツツジを剪定する。


畑の葉物は今が盛り。左から、食べきれない量のルッコラ、小松菜、春菊、エンドウ。



雨で土が緩み、雑草も抜きやすくなっているので、畑の草取りも行う。
キュウリの棚を覗くと、葉の影に今年の初物が1つあった。ツルの成長の為、少し早取りだが、もいでおいた。





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自粛解除になったらどんどんサイクリングをするはずが、色々やることがあり、しかも気温が高めなので出かける元気が薄れていた。6月はサイクリングベストシーズンなのに、このままでは体がなまってしまう。で、お手軽な近所の秘境、小曽部へ。
本洗馬の心念堂、初訪問。この裏から登る道もあるようだが、一度舗装道路に戻る。


秘境への細いトンネルを抜けて、



小曽部の谷へ。


この所、雨が降って居ないが小曽部川は水量豊富。



奥平のヤマメの在のテラスで一休み。ここが最後の人家/携帯基地局。



椎茸の原木が並ぶ林を抜け、


安次郎橋を渡れば、そこは白滝周辺の保安林。



20年ほど前?に整備された公園や休憩施設が散在してはいるのだが、人気は全くないので、熊さんの歌を歌いながら、登攀。


適度に木漏れ日があり、さわやかな風が吹き抜ける幅広な林道。しかし、誰も居ない。車も通らない。



木曽義仲の巨木を過ぎれば、



白滝入口だ。



体力もまだ残っているし、今日は、もう少し林道を登り、上流から白滝の上に出ようと考えた。つづら折の道を登り、やがて舗装道路が砂利道になり、、、、、
倒木で道が塞がれ、その先にあまり人が歩いた形跡がない。



スマホを取り出すが、電波が届かないので、グーグルマップではなく、MAPS.meを起動するも、地図はガーミンと同じで、滝に降りる道が出ていない。単独行なので、ここはおとなしく引き返しましょう。野草の咲く、途中の広い公園の木陰で一休みして。


再度白滝入口から、川沿いの巻き道を遡り、白滝に到着。



マイナスイオンをしっかり吸い込み休憩。このコース、日当たりを避けて走ることができるので、夏の暑い時のショートコースとして楽しめそうだ。
小曽部の谷を下るにつれて気温が上がる。ただ、朝よりも雲が出てきて、日差しが少し和らいだか?ただ、そのせいで、朝しっかり見えていた穂高は雲に包まれつつある。



一方、もっと北の後立山連山が麦畑の向こうにくっきりと見え、今日は頑張って白馬に行くべきだったか?とも思う。



松本市内の南端で500円でどうずらで納豆ラーメン/小チャーシュー丼を頂き帰宅。



走ったのは50km、こんなコース。




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日差しが大分強くなってきたので、オーニング、パラソルに続いてヨシズの支持台を組み立てて、ヨシズを取り付けてみた。



去年ポリ紐で縫い目を補強したのだが、そのポリ紐が風化して、一部綻びている。



ポリ紐でダメなら凧糸でと、漁網修理用?の凧糸を取り出してきて、下端と中段の縫い目を補強してやった。



2本の糸を交互にヨシズに通していく。


なんとかヨシズの格好がついた。これであと2,3年はもってほしいのだが、、、。



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この所の好天で庭のハーブセクションのウイキョウだけが大きく成長しすぎている。



少し頭をチョン切って、樹形を整形してやろうと近づいたら、こやつらが既に先端を刈り込み中だった。ちょっとグロテスクでだいぶ大きいので普通の蝶ではなく、小型のアゲハの類か??



もう数日でサナギになって、蝶になるのだろうから、しばらくの間は、こやつらに、ウイキョウの剪定をまかせることにした。



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梅雨の雨が降ったり、夏の本格的暑さに襲われる前にやっておこうと取り掛かった畑その2の1/3強の土の篩い分け、結局4日間掛かって終わった。



つい欲張って深さを30cm以上掘ってしまうのでなかなか進まなかったが、一応これで篩分けは終わり。出てきた砂利や石はガレージにも敷いていたのだが、運搬が面倒になったので、畑上の通路に積み上げた。例によって、見てわかるようにかなり大量の石がでてきた。



あとは堆肥や落葉の有機物をすき込んでやれば、今度は大根などの根の伸びる野菜もまともに育つ畑になってくれるだろう。
幸い、腰には来なかったが、とにかく疲れた。!!



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畑その2は表面近くの大きな石を1年前に除去して、一応の畑にしてあるのだが、やはり作物の生育が今一である。1ヶ月前、貰った庭木を仮り植えしてあった部分で全体の1/3位の土を篩でふるった。
残った2/3の半分くらいがあいたので、再度土壌のふるい分けをすることにした。


表面から30cmほど掘り下げて、ひたすら篩を掛ける。



出てきた小石は駐車場の防草シートの上に敷いていく。この部分、従来は一袋200円の砂利を敷いていたのだが、これだけ小石があると、少し土がついて汚れてはいるものの、その内、土はおちるだろうから、廃物利用することにした。



篩えたのは2日間でまだ半分だが、砂利を敷かねばならない所はまだ沢山あるので、腰に来ないよう気を付けて、残りも振るうことにしよう。



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漬物樽の再利用PJ:その3 雨水貯蔵タンク  で錆びて捨ててあった水道蛇口を雨水タンクに取り付けたのだが、やはり水がチョロチョロしか流れてくれない。



玉型弁で水道の様に圧の掛かっている状態なら、勢いよく水が流れてくれるのだが、、、、これではジョロを一杯にするのに数分かかってしまう。



そこで、圧力損失の無い、管路全通のボール弁を部品ストックから見繕ってきた。



1X1を削りだし、バルブ受けを作って取付ける。水が2cm位しか溜まって居ない状態でも、勢い良く水が流れ出てくれる。やっぱりこうでなくっちゃ。



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築150年の宿、ますや旅館を出発して、今日はチョコチョコと観光地巡り。
その1は今日開館となった五島慶太未来創造館へ。2年前落雷で燃えてしまった生家を模した建物だ。初開館日なので大勢の人が訪れるかと思ったら、なんと第一号の訪問者であった。



果敢な企業買収などで、強盗慶太と揶揄された東急グループの祖、五島慶太の業績を讃えた展示がしてある。昨日、焼け跡を訪れた、生家の模型。



山村の農家に生まれながら、向学心に燃え、片道12kmを歩いて学校に行ったり、授業料がタダの東京師範学校卒後、一旦教職に就いたが学問への情熱から東大に入学など、その知への熱の高さに驚かされる。上田中学は昨日泊まったますや旅館の長男と同級だったらしく、ともに勉強したらしい。


無罪になった疑獄事件で入獄中とか、公職追放時代とか時間に余裕ができると、今までと違うことを勉学したりしていて、事業欲も知識欲も人の数倍あった方みたいだ。
上京した当初、お世話になった、今は無い渋谷駅。



続いて青木村にある国宝、大法寺の三重塔へ。
ここも国宝なのに他に人影が無く、貸切状態。


谷の向こうには、昨日訪れた五島慶太の生家が見える。


新緑と三重塔。



続いて訪れたのは丸山晩霞記念館。


水彩で描かれたスイスアルプスと北アルプス。


外に出れば、満開のバラ園。すべてが地植えではなく、鉢植えであるのに驚かされる。



行きは長野道を使って北回りで来たので、帰りは中山道を辿って南回りで帰ることに。そのついでに宿場巡り。
(以下手抜きで)
芦田宿本陣



笠取峠の松並木


長久保宿本陣


和田宿本陣





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6/1から長野県民限定で長野県の観光地に宿泊すれば一人5000円割引になると言う、コロナ復興割りを利用して、普段だったらなかなか泊まれない青木村のますや旅館に行ってきた。



私の育った家も明治末期に建てられた3階建ての温泉旅館なので、それほど差は無いだろうと思っていたが、その予想は大違い。まず規模が違う。大きな木造3階建てが3棟と、大宴会場、浴室棟からなる巨大な旅館である。


この山奥のますや旅館、1868~1911年建設、今から150年前の有形文化財の建築物である。コロナ禍で営業を自粛していて、6/1から営業を再開したのだが、この広い旅館に当面1日3組しか予約を取らないのだそうだ。当方は長野県の復興割りが発表されるとすぐに申し込んだので、目的のこの部屋、藤村の間に最初に泊まることができた。



明治34年=1901年、120年前に藤村はここに泊まり千曲川のスケッチの一場面を書いたのである。
 ↓ ↓ ↓ 左側の建物の最上階が泊まったますや旅館の1868年の建物、その後1912年に右の新館が建てられた。


藤村の句碑などの拓本や、往時を偲ばせる銀色の模様入りの金色のふすまで囲われている。


そんな客室を2室連続して使わせていただく。


部屋の周りは全周が回り廊下になっていて、かっては雨戸だった部分にはガラス窓が嵌められている。


建設時は超豪華だったのだろうが、150年の年月には逆らえず、母屋から張り出し構造の回り廊下や一部の柱が沈下している為、隙間だらけ。金色に輝いていたはずの襖も温泉の硫化硫黄でくすんでいる。近代的で綺麗なホテルがお気に入りの人にはチョット残念な、でも柱が傾いていてもレトロが趣味の人には感激する部屋である。



150年間何もなくここに建っていたので大丈夫という思いと、殆ど壁、筋交いが無く、4方を回廊で囲まれた木造3階建てという構造に若干の恐れを感じながら、畳に寝転がれば、いつの間にか山から川を渡って来る緑風にまどろんでしまう。

ひと眠りした後、たった3組しかお客が居ないので、旅館の他の部分も探索。少し高い位置にある新館に登る緩やかな階段。



今はもう使われなくなった数十帖敷の大広間。かっては結婚式や忘年会で賑わったのだろう。



20年ほど前、温泉での卓球の小ブームを作った映画「卓球温泉」のロケがここで1ヶ月ほど行われたそうなので、藤村の間には主演の松坂慶子や牧瀬里穂も泊ったのだろうか?


その映画以前からあった緑色に塗られていない、一枚板の卓球台。



長い廊下を抜けた先に、


広くて気持ちの良い、源泉かけ流し、ぬるめの露天風呂。



ただ一人、人肌のぬるめのお湯に1時間ほど浸かった後は信州産の食材を中心に使った料理を楽しむ。山菜各種、地蜂、鯉、馬刺し、サーモン、ウド、破竹、蕎麦、、、、、


敷居が高かった旅館の、しかも藤村の間に泊まるなんて、あまり考えていなかったのだが、復興割り発表の翌日に一番乗りで予約して、自粛生活終了のお祝いができた小旅行だった。



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外出自粛解除でプチ旅行をしようと県内旅行に出かけた。最初の訪問地は松本から長野に抜ける途中の麻績宿。一通り見て回ってから向かった先は修那羅峠(しょなら峠)の安宮神社。ここはかつて修験者が修行をしていた山奥の峠。その一角の安宮神社の周りには、江戸時代最後の修験者、修那羅大天武へのお願いや民間信仰の象徴としての石仏が数百点寄進され、それらが林の中に点在ている。(詳しくは筑北村のHPのここを参照



安宮神社の「みやこ忘れ」も咲いているとの事なので、出かけてみた。


少し朽ちかけた神社の裏手の山に向かうと、さまざまな庶民の願いを込めた多種多様な石仏が鎮座している。



怒って、鬼になって居る者。



素朴に、ただひたすら祈りをささげているもの。



最初は餅つきの神様?と思ったのだが、築北村のHPを見ると、どうも酒泉童子と言って、良い酒ができるよう奉納されたものらしい。



HPに記載がないので、詳細は不明なるも、「催促金神」なんてのもあって、いつの世も、借金はしたくないし、取りはぐれも困るし、、、、だったのだろう。



健康や安産とか、豊作とか、交通安全とかの普通の神様もあったので、色々とお願いして回って山を下りたのであった。



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漬物樽の再利用PJで一番最初に思いついたのは雨水貯蔵タンクとして使うこと。所が実際に樽に水を入れてみると、樽全体が湿気を帯び、雨水を長期保存しておくとカビとか変色とかいろいろな心配が出てきた。そこで方針変更。漬物樽はカバーするのみで、雨水はポリバケツに貯蔵することにした。
まず雨樋に穴を開け、取水の為のホース取付け口をホットメルトで取付け。


漬物樽の内部に入れたポリバケツに水を導くホースの先には網戸の網を取付ける。その上の穴はオーバーフロー用。


漬物樽、貯蔵バケツはこれも廃物利用で、50年前のやぐらコタツの上に載せる。オーバーフロー用のホースと蛇口用のホースを取り出して配管。



こんな感じで雨水貯蔵タンクが出来上がった。



雨水バケツの上に蓋を嵌め、さらに漬物樽の蓋も閉めれば、日光は当たらないので、藻の発生も防げるだろう。



ただ、少量の水を入れて試験してみた所、圧が立たないので、水道の蛇口(開口部狭い)の抵抗が大きく、水が勢いよく流れてくれない。雨水が溜まっても流れが悪いようなら、全流路開となるボール弁に切り替えなければならないかもしれない。

⇒⇒⇒ 蛇口をボール弁に切り替えて、水の出を良くした記事はこちら



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もうボロボロで使い古した老眼鏡のツルが折れてしまった。一度アロンアルファと紫外線硬化樹脂で修理してあげたのだが、2週間ほどでまた折れてしまった。修理の虫がうずくので、「もう捨てよう」と言うのを押しとどめ、修理にチャレンジした。

巾4mm長さ15mmほどの補強接続プレートを作り、Φ2mmの穴をツルとプレートに開ける。



M2のネジで固定し、そこにアロンアルファを垂らして固定する。


数分後、ツルの割れた部分の外周に厚さ1~2mm紫外線硬化樹脂を塗りながら、UVライトで硬化させる。



屋外で1時間さらに太陽光で紫外線硬化樹脂を完全に硬化させれば、修理完了。私の骨盤骨折と同様金属プレート+ネジ固定でしっかりしたツルが復活した。



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