6/1から長野県民限定で長野県の観光地に宿泊すれば一人5000円割引になると言う、コロナ復興割りを利用して、普段だったらなかなか泊まれない青木村のますや旅館に行ってきた。
私の育った家も明治末期に建てられた3階建ての温泉旅館なので、それほど差は無いだろうと思っていたが、その予想は大違い。まず規模が違う。大きな木造3階建てが3棟と、大宴会場、浴室棟からなる巨大な旅館である。
この山奥のますや旅館、1868~1911年建設、今から150年前の有形文化財の建築物である。コロナ禍で営業を自粛していて、6/1から営業を再開したのだが、この広い旅館に当面1日3組しか予約を取らないのだそうだ。当方は長野県の復興割りが発表されるとすぐに申し込んだので、目的のこの部屋、藤村の間に最初に泊まることができた。
明治34年=1901年、120年前に藤村はここに泊まり千曲川のスケッチの一場面を書いたのである。
↓ ↓ ↓ 左側の建物の最上階が泊まったますや旅館の1868年の建物、その後1912年に右の新館が建てられた。
藤村の句碑などの拓本や、往時を偲ばせる銀色の模様入りの金色のふすまで囲われている。
そんな客室を2室連続して使わせていただく。
部屋の周りは全周が回り廊下になっていて、かっては雨戸だった部分にはガラス窓が嵌められている。
建設時は超豪華だったのだろうが、150年の年月には逆らえず、母屋から張り出し構造の回り廊下や一部の柱が沈下している為、隙間だらけ。金色に輝いていたはずの襖も温泉の硫化硫黄でくすんでいる。近代的で綺麗なホテルがお気に入りの人にはチョット残念な、でも柱が傾いていてもレトロが趣味の人には感激する部屋である。
150年間何もなくここに建っていたので大丈夫という思いと、殆ど壁、筋交いが無く、4方を回廊で囲まれた木造3階建てという構造に若干の恐れを感じながら、畳に寝転がれば、いつの間にか山から川を渡って来る緑風にまどろんでしまう。
ひと眠りした後、たった3組しかお客が居ないので、旅館の他の部分も探索。少し高い位置にある新館に登る緩やかな階段。
今はもう使われなくなった数十帖敷の大広間。かっては結婚式や忘年会で賑わったのだろう。
20年ほど前、温泉での卓球の小ブームを作った映画「卓球温泉」のロケがここで1ヶ月ほど行われたそうなので、藤村の間には主演の松坂慶子や牧瀬里穂も泊ったのだろうか?
その映画以前からあった緑色に塗られていない、一枚板の卓球台。
長い廊下を抜けた先に、
広くて気持ちの良い、源泉かけ流し、ぬるめの露天風呂。
ただ一人、人肌のぬるめのお湯に1時間ほど浸かった後は信州産の食材を中心に使った料理を楽しむ。山菜各種、地蜂、鯉、馬刺し、サーモン、ウド、破竹、蕎麦、、、、、
敷居が高かった旅館の、しかも藤村の間に泊まるなんて、あまり考えていなかったのだが、復興割り発表の翌日に一番乗りで予約して、自粛生活終了のお祝いができた小旅行だった。