曽爾村小長尾の村行事取材を終えて一路西へ。
国道369号線に沿って走る道程は宇陀市室生田口抜けの同市榛原へ、である。
17km先になる宇陀市榛原萩原・玉立(とうだち)に着いた時間帯は午後4時ころ。
小長尾の行事は写真家のKさんに同行していた。
その帰り道に、是非見てもらいたい習俗がある。
苗代作りをし終えたら、その一角。
つまりは水口に初祈祷、あるいは御田などの予祝行事でたばったモノモノを立てると云う豊作願いの印しである。
一昨年、昨年に拝見した榛原萩原・小鹿野の水口マツリである。
平成28年は4月15日。
前年の平成27年は4月18日。
この日は15日であるから、もしかしてはるのではと思って駆け付ける。
先に訪れたのは萩原の玉立(とうだち)である。
玉立の水口マツリの在り方を初めて知ったのはつい二日前の14日である。
玉立の信号待ちにたまたま車窓ごしに覗いた玉立橋の下にあった。
まずは、それを見てもらいたくて案内する。
橋の下の情景は二日前と同じ場にある。
違うのは時間帯だけである。
二日前は午後5時20分であったが、この日は午後4時過ぎ。
明るさはまったく違う。
晴れの日のハレ場を撮らせてもらう。
鳥除けのバルーンを揚げた苗代田にあったごーさん札。
黄色い花は水仙であろうか。
色も花もある場で数ショットを撮る。
判読できる文字は、この日も同じで「南無」、「大日」、「二聖」、「雨」であった。
次に訪れた苗代田は日蓮法華宗青龍寺の向かい側にある。
同寺に登る階段左に建つ祠は庚申堂。
14日に立ち寄った際に話してくださったHさんによれば、玉立に2組あるという庚申講が奉る庚申さんである。
それはともかく向かいの水苗代では太い藁束を横たえていた。
それに挿した棒は4本。
初祈祷でたばったお札を挟んでいたのは竹。
1本離れたところに短めの竹が1本。
その間はウルシかフジの木の棒である。
うち1本は皮が捲れている。
おそらくランジョー叩きに勢いがついて捲れたのであろう。
もう1本は青竹。
黄色い花は菜の花。
白い小さな花をつけた樹木の枝もある。
裏側も拝見する水口マツリの在り方は隣村の小鹿野とよく似ている。
ふと見上げるとその上の段丘に田んぼがあった。
田を起こしていた男性がおられたので尋ねてみたら、田主のKさんだった。
Kさんは昭和10年生まれの82歳。
「こんなことしたくないねんけど・・」という。
定年後に始めた畑作。
それまでは仕事半分に農作業が半分だったという。
稲作初めにモミオトシ。
芽出しして育苗を経て苗床作り。
幌を被せた苗床に一枚、一枚並べた苗箱は140枚から150枚になるという。
水苗代に敷いた藁束は昨年に収穫した稲藁。
挿した木の棒はフジの木。
山にあった長い1本を2本に割った。
その2本でランジョー叩き。
うんと叩くそうだ。
竹は先を割ってお札を挟んだ。
水口マツリをしたときはお菓子も供えたようだ。
苗が育って田植えをする。
植え初めの日は白ご飯に黄な粉を塗した椀を大黒柱におました、という田植え初めの在り方であった。
水苗代の在り方の聞取りに夢中になっていたのでつい失念してしまったモノがある。
水路の蓋に置いてあった巻貝である。
泥に塗れていた巻貝はたぶんにタニシ。
ジャンボタニシなのか、それともほんまもんのタニシなのか、田主に聞きそびれたので、始末をどうされているのか、わからない。
その場から集落を下っていけば、14日に拝見した水口マツリの場に出会える。
ここの水口マツリは庚申講のことも教えてくださったHさんの苗代田。
この日はお仕事に行かれたのか、田んぼには居られなかったが、田んぼに下りていく孫さんと散歩中の婦人が居られた。
長閑な田園風景を背景に思わずシャッターを押した。
(H29. 4.16 EOS40D撮影)
国道369号線に沿って走る道程は宇陀市室生田口抜けの同市榛原へ、である。
17km先になる宇陀市榛原萩原・玉立(とうだち)に着いた時間帯は午後4時ころ。
小長尾の行事は写真家のKさんに同行していた。
その帰り道に、是非見てもらいたい習俗がある。
苗代作りをし終えたら、その一角。
つまりは水口に初祈祷、あるいは御田などの予祝行事でたばったモノモノを立てると云う豊作願いの印しである。
一昨年、昨年に拝見した榛原萩原・小鹿野の水口マツリである。
平成28年は4月15日。
前年の平成27年は4月18日。
この日は15日であるから、もしかしてはるのではと思って駆け付ける。
先に訪れたのは萩原の玉立(とうだち)である。
玉立の水口マツリの在り方を初めて知ったのはつい二日前の14日である。
玉立の信号待ちにたまたま車窓ごしに覗いた玉立橋の下にあった。
まずは、それを見てもらいたくて案内する。
橋の下の情景は二日前と同じ場にある。
違うのは時間帯だけである。
二日前は午後5時20分であったが、この日は午後4時過ぎ。
明るさはまったく違う。
晴れの日のハレ場を撮らせてもらう。
鳥除けのバルーンを揚げた苗代田にあったごーさん札。
黄色い花は水仙であろうか。
色も花もある場で数ショットを撮る。
判読できる文字は、この日も同じで「南無」、「大日」、「二聖」、「雨」であった。
次に訪れた苗代田は日蓮法華宗青龍寺の向かい側にある。
同寺に登る階段左に建つ祠は庚申堂。
14日に立ち寄った際に話してくださったHさんによれば、玉立に2組あるという庚申講が奉る庚申さんである。
それはともかく向かいの水苗代では太い藁束を横たえていた。
それに挿した棒は4本。
初祈祷でたばったお札を挟んでいたのは竹。
1本離れたところに短めの竹が1本。
その間はウルシかフジの木の棒である。
うち1本は皮が捲れている。
おそらくランジョー叩きに勢いがついて捲れたのであろう。
もう1本は青竹。
黄色い花は菜の花。
白い小さな花をつけた樹木の枝もある。
裏側も拝見する水口マツリの在り方は隣村の小鹿野とよく似ている。
ふと見上げるとその上の段丘に田んぼがあった。
田を起こしていた男性がおられたので尋ねてみたら、田主のKさんだった。
Kさんは昭和10年生まれの82歳。
「こんなことしたくないねんけど・・」という。
定年後に始めた畑作。
それまでは仕事半分に農作業が半分だったという。
稲作初めにモミオトシ。
芽出しして育苗を経て苗床作り。
幌を被せた苗床に一枚、一枚並べた苗箱は140枚から150枚になるという。
水苗代に敷いた藁束は昨年に収穫した稲藁。
挿した木の棒はフジの木。
山にあった長い1本を2本に割った。
その2本でランジョー叩き。
うんと叩くそうだ。
竹は先を割ってお札を挟んだ。
水口マツリをしたときはお菓子も供えたようだ。
苗が育って田植えをする。
植え初めの日は白ご飯に黄な粉を塗した椀を大黒柱におました、という田植え初めの在り方であった。
水苗代の在り方の聞取りに夢中になっていたのでつい失念してしまったモノがある。
水路の蓋に置いてあった巻貝である。
泥に塗れていた巻貝はたぶんにタニシ。
ジャンボタニシなのか、それともほんまもんのタニシなのか、田主に聞きそびれたので、始末をどうされているのか、わからない。
その場から集落を下っていけば、14日に拝見した水口マツリの場に出会える。
ここの水口マツリは庚申講のことも教えてくださったHさんの苗代田。
この日はお仕事に行かれたのか、田んぼには居られなかったが、田んぼに下りていく孫さんと散歩中の婦人が居られた。
長閑な田園風景を背景に思わずシャッターを押した。
(H29. 4.16 EOS40D撮影)