二日前の14日にも訪れた玉立(とうだち)地区は宇陀市の榛原萩原にある。
その玉立の南側になる地区が小鹿野(おがの)である。
玉立にあるなら小鹿野も水口まつりをしている可能性があると思って14日の夕刻に訪れた。
未だであったが、2年前に拝見した場はすでに苗床まで整地していた。
そういう状態であれば間に合うかもしれない。
苗床はできたとしても苗箱を運ぶには人足がいる。
家族の手伝いがあってこそ捗る作業。
そうであれば土曜か日曜になるであろうと判断して立ち寄った。
着いた時間帯は午後5時過ぎ。
そこにあったお札は2枚。
お札の文字は別の場であるが、昨年に拝見させてもらった。
一枚は「牛王 不動明王 宝印」。
もう一枚は「牛王 地蔵菩薩 宝印」。
版木摺りではなく自筆の札。
正月初めに地蔵堂で行われる初祈祷の際に墨書すると聞いている。
この日に苗代作りを終えて立てたお札はイロバナも添えていた。
向こう側に見える祠は庚申堂。
旧暦閏年の庚申行事をしているとわかって訪れたのは、この年の7月2日だった。
小鹿野地区では数か所に亘って水口まつりをしている。
区長の話しによれば小鹿野地区は28戸。
すべての家にごーさん札が行き渡るように戸数分の枚数を作るが、農家でない家もある。
また、農家であっても苗代を作ることもない。
苗代をしなければ水口まつりをすることもない。
夕刻が迫ってくる時間帯。
次の取材地を訪ねたくこの場を離れようとしたら人影が動いた。
手には花の色が見えたから、今から始めようとする水口まつりを追っかける。
走ってなんとか間に合った婦人に声をかけて撮らせてもらう。
場所は水口ではないが、二つに折った藁束を苗代田に置く。
枯れた竹に挿したお札を立ててイロバナも・・。
その後も何がしかの動きがあるが、遠目ではわかり難い。
近づかせてもらって教えてくれたそれは洗米。
小さく刻んだオモチとともにお皿代わりの表面の椿の葉にのせて供えていた。
お顔をみれば思い出した。
2年前に訪れたときに水口まつりのことを教えてくださったOさんだった。
先を割った竹は古い竹。
新しい竹に挿すのではなく古いものを使うのが決まりのようだ。
(H29. 4.16 EOS40D撮影)
その玉立の南側になる地区が小鹿野(おがの)である。
玉立にあるなら小鹿野も水口まつりをしている可能性があると思って14日の夕刻に訪れた。
未だであったが、2年前に拝見した場はすでに苗床まで整地していた。
そういう状態であれば間に合うかもしれない。
苗床はできたとしても苗箱を運ぶには人足がいる。
家族の手伝いがあってこそ捗る作業。
そうであれば土曜か日曜になるであろうと判断して立ち寄った。
着いた時間帯は午後5時過ぎ。
そこにあったお札は2枚。
お札の文字は別の場であるが、昨年に拝見させてもらった。
一枚は「牛王 不動明王 宝印」。
もう一枚は「牛王 地蔵菩薩 宝印」。
版木摺りではなく自筆の札。
正月初めに地蔵堂で行われる初祈祷の際に墨書すると聞いている。
この日に苗代作りを終えて立てたお札はイロバナも添えていた。
向こう側に見える祠は庚申堂。
旧暦閏年の庚申行事をしているとわかって訪れたのは、この年の7月2日だった。
小鹿野地区では数か所に亘って水口まつりをしている。
区長の話しによれば小鹿野地区は28戸。
すべての家にごーさん札が行き渡るように戸数分の枚数を作るが、農家でない家もある。
また、農家であっても苗代を作ることもない。
苗代をしなければ水口まつりをすることもない。
夕刻が迫ってくる時間帯。
次の取材地を訪ねたくこの場を離れようとしたら人影が動いた。
手には花の色が見えたから、今から始めようとする水口まつりを追っかける。
走ってなんとか間に合った婦人に声をかけて撮らせてもらう。
場所は水口ではないが、二つに折った藁束を苗代田に置く。
枯れた竹に挿したお札を立ててイロバナも・・。
その後も何がしかの動きがあるが、遠目ではわかり難い。
近づかせてもらって教えてくれたそれは洗米。
小さく刻んだオモチとともにお皿代わりの表面の椿の葉にのせて供えていた。
お顔をみれば思い出した。
2年前に訪れたときに水口まつりのことを教えてくださったOさんだった。
先を割った竹は古い竹。
新しい竹に挿すのではなく古いものを使うのが決まりのようだ。
(H29. 4.16 EOS40D撮影)