マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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遅瀬・地蔵寺の涅槃会

2018年01月28日 09時00分06秒 | 山添村へ
山添村遅瀬の行事取材はずいぶんと間が空いた。

「マジャラク」とはどのような形であるのか。

拝見したく訪れたのは平成22年の10月10日

その日に寺行事があると聞いて伺った場所は集会所にもなっている中南寺(なかなんじ)。

毎月の17日に集まってくる観音講の営みである。

訪れたのは平成23年の9月17日だった。

遅瀬にはもう一つの寺がある。

場所は村当家祭が行われた八柱神社。

その年は生まれたばかりの男児がいなくて村当家(むらどー)

対象の幼児がおれば本来の当家祭になる。

神事を終えた一行は公民館でもある八柱神社の参籠所に上がって「座」の営みが行われる。

その参籠所奥にあるお部屋が地蔵寺。

その場で正月初めの初祈祷が行われる。

そう聞いていたが、なかなか都合がつかなくて未だに拝見できていないが、祈祷したハゼの木に挟んだごーさん札があると聞いていた。

あれから7年も経過した。

当時にお会いできた長老たちは元気にされているのだろうか。

村の代表者も替わったことだろう。

気にはなるものの、どうするか迷っていてもしかたないので、毎年の年賀状を届けてくれるUさん家を訪ねる。

訪れたのは通院を終えてからだった。

天理市内から山添村に走る。

お家は見つかったがUさんは職場におられるということだった。

訪ねた職場は山添村の役場だった。

受付にお願いしたら出てこられた。

久しぶりに顔を合わせてお願いする現在の氏子総代を紹介していただく。

尤も紹介は電話でのこと。

地蔵寺で行われる涅槃会取材の許可取りができてほっとする。

参籠所の扉の向こうには人がおられる。

声がするから扉を開けて声をかける。

どうぞ、と云われて上がらせてもらった参籠所の奥の部屋におられた3人の氏子総代にご挨拶をさせてもらった。

こうして拝見するこの日の行事は涅槃会。

地蔵寺の正面壁に掲げていた涅槃図はとても大きい。

高さは200cm。

幅は165cmの涅槃会は彩色が美しい。

劣化もない涅槃図の最幅は表装部分を入れて185cm。

氏子総代らが云うには15年ほど前に表装をし直したということだった。

遅瀬の涅槃図は猫もいる珍しい様式だと話される。

探してみれば右下にちょこんといてはる。

涅槃図に猫が描かれているといえば、京都の東福寺である。

縦が15mの横幅が8m。

とてつもなく大きい大涅槃図は室町時代の応永十五年(1408)の作。

私は未だ拝見しない大涅槃図にたいへん珍しい特徴があるという。

それが「猫」である。

東福寺ではこの猫を「魔除けの猫」縁起として伝わっているそうだ。

一般的に涅槃図は「」を描くことはないそうだ。

遅瀬の涅槃図にも「猫」が描かれていた。

「猫」の表情、構図はまったく違うが、珍しい。

村も自慢する涅槃図であるが、調べてみれば他所にもあるようだ。

ネット検索して見つかったお寺は千葉県安房郡鋸南町にある瑞雲山天寧寺

寺名は不明だが神奈川県にある寺院にもあるらしい。

また、茨城県守谷市にある雲光山華厳院清瀧寺にも涅槃図があるそうだ。

探してみれば奈良県内にもあるがわかった。

一つは橿原市正連寺大日堂にも。

記録によれば涅槃図を寄進したのは、当時橿原市豊田町住民。

寄進年代は延享三年(1746)。

同寺では涅槃会の法会をすることなく大日堂資料室で拝見できるそうだ。

ネット探しはそれぐらいにするが、FBでの知人たちからここにもあると伝えてくれた猫有り涅槃図。

一つ京都市東山区の御寺泉涌寺の涅槃図である。知人がいうには縦が16m。

横幅が8mもある。

凄いとしか言いようのない大きさは日本一とか・・で、吊り上げるだけでもたいへんな作業を伴う。

また、薬師寺東京別院にもあるとメールで伝えてくださった。

年に数回行われる特別大写経会のうちの2月13日~15日が釈迦涅槃会。

同院のHPにその日程が書かれていないことから特別な方の写経会であろう。

ちなみにその涅槃図の年代は天正五年(1579)である。

もう一人のFB知人が伝えてくれた山添村勝原の涅槃図。

私も実際に拝見したことはあるが実測はしていない。

寄進年代が寛文十年(1670)とわかったのはこの年に訪れた2月11日だった。

年代ばかり気になっていたので、猫があることは失念していた。

県内だけでなく、探してみれば全国あちこちにあるような気がしてきた猫入り涅槃図。

先に挙げた東福寺HPの解説によれば、同寺の涅槃図は室町時代の画聖とされる兆殿司(吉山明兆;きつさんみんちょう)によって描かれたとある。

寺伝によれば、裏山の谷から絵具を銜えた猫が現われて献じた。

そのことを大いに喜んだ画僧明兆はお礼に描き加えたという説話に続きがある。

涅槃図には鼠がいる。

その鼠が薬袋をかじって落とそうとしていたので猫が阻止したとうのだ。

三重県鈴鹿市にある龍光寺

同寺にも猫が描かれた涅槃図がある。

毎年3月の第二土曜日より3日間に亘って行われる「かんべの寝釈迦まつり」と呼ぶ涅槃会である。

同寺の涅槃図も吉山明兆の作。

東福寺は龍光寺の大本山。

その関係があったものと推定される。

紹介するブログによれば、同じく三重県津市榊原町にある林性寺にも。

同寺は毎年3月14日より3日間に亘ってご開帳されているが、東福寺繋がりでもなさそうだ。

暗黙のルールを外して猫を涅槃図に描き加えた吉山明兆は正平七年(1352)~永享三年(1431)。

室町前期、後期に亘って活躍した臨済宗の画僧。

明兆以前には猫入り涅槃図の存在が見られないとすれば、各地に存在する猫入り涅槃図は、応永十五年(1408)明兆作の東福寺涅槃図を模して各地の絵師が描いてきたものと考えられる。

長々と猫入り涅槃図について調べてきたが、話しは遅瀬の涅槃会に戻そう。

遅瀬の涅槃図を納めている「涅槃像入箱」に目を移す。

その箱に墨書文字がある。

「大和國山辺郡遅瀬村地蔵寺什物」とある表面。

黒光りはしているものの古さはそれほどでもないように思えた。

ただ、念のためと思って表面の蓋を裏返してみたら文字がでてきた。

「昔 明治十五年春貳月新調現在越後國高橋教連」とあった。

やはり、時代は新しい。

とはいっても明治時代のことである。

さらに拝見した「涅槃像入箱」。

今度は底の裏面である。

表も裏もひっくり返したあらゆる面から探りを得る。

その結果が報われること・・。

箱の側面に貼ってあった白いシールの印刷文字が「釈迦念仏供養(涅槃会)掛図」。

いや、これではなく底面に、あった薄っすらとした墨書文字は「干時 正徳六丙申(1716)三月十□五日」である。



正徳年間は西暦1711-1716年/6月まで。

「涅槃像入箱」の底面を拝見してようやく年代がはっきりした。

法会を終えてから拝見した涅槃図の裏面にも墨書があった。

「添上郡月瀬村大字尾山 表具再調人 岡本重五郎 長老世話人(連名で西山菊松 長島岩松 奥端猪々松 井戸根市松 上峰駒石 井尾□吉 永谷岩吉 井戸元由松 昭岩松 今中由松 以上10名) 昭和四年七月二十二日調之」とあった。

15年ほど前の表装し直しどころか、89年前に再調されていたのだった。

「涅槃像入箱」などを拝見させているころに来られた僧侶は山添村大字春日の龍厳山不動院住職の前川良基さんである。

平成26年の9月5日に行われた自寺院の高野山結縁行脚である。

直近にお会いしたのは2カ月前に行われた大字大西のオコナイであった。

支度を調えて始まった地蔵寺の涅槃会。



総代はご本尊を安置するところに立てた燭台に火を灯す。

本堂には総代の他、区長に7人のネンヨ(以前は8人/8組だった)と呼ばれる組長さんらが座る。

地蔵寺の空間は広い。



壁際いっぱいに座られているから超広角でもない限り、全員が座る様相は撮れなかったことをお詫びする。

まずは礼拝。

そしてお堂は・・・。

漢語、和語で唱える涅槃の法会。

お釈迦さんの入滅について讀まれた釈迦仏法要和讃を唱える。

節をつけてゆっくりとした調子で唱える。

時間にしてはおよそ30分。



その途中に廻される焼香。

一人、一人に廻される。

和讃を終えたら般若心経に移る。



そして礼拝で法会を終えた。

住職が云うには、山添村の涅槃会はここ遅瀬と上津しかない。

そう云われたが、僧侶の姿のない涅槃会は勝原にある。

(H29. 3.15 EOS40D撮影)


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